サード・プレイス(シリーズのその5)
前回は、仕事から離れれば離れるほど実は取り組んでいる仕事の生産性は上がりますよ、という話を書き進め...
で仕事から離れて離れて、最終的に行きつくところはおそらく「無」。
無心であるに違いない、というところで終わりました。
話が「無心」に飛んでしまったので、今回そこのところを詳しく書こうと思ったのですが、その前に...
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具体的に「無」や「無心」の話にいく前に、いろんなアプローチがあると思っていまして。
まずですね... 「サードプレイス」っていう言葉が、以前、私の周りでけっこう流行っていたのです。今でも巷では流行っているのかもしれませんが。
スターバックスが提唱しているコンセプト?でしたっけ。カンタンにいえば、家と職場の往復じゃなくてもう1か所、自分の場所を持ちましょうよ、みたいなことだと思います。
別にコーヒーショップである必要はないw
そしてそこは、居心地のよい場所である必要があります。まぁあたりまえのことですが。
そして、その「サードプレイス」がどのようなハコなのかとか、どこにあるのかとかではなくて、
そこにいることによるステイタスとかそういうことでもなくw
そこで何をするのか?が大事だと思っています。
あそれと、いつか書く機会があったら詳しく書きますが、諸々の条件を満たせるのであればサード・プレイスは自宅でも構わないのです。
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サードプレイスっていうのは(私の定義ですので、世の中的な定義とは乖離があるかもしれません)、家でも職場でもないところ、ということは、極論すれば「何もしない場所」ってことです。何も「生産」をしないところ。
スタバでこれみよがしにPCを立ち上げて(なぜかMacBookAirであることが多い)仕事してる風な方を、否定はしませんけども、そういう方にとってはスタバは「サードプレイス」ではなくただの職場の延長です。
「何もしない」ということが大事で、それが「無」と密接な関係がある!と、無理やりこじつけておきます(笑)。
後での伏線のつもり...
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そして「何もしない」というのと、休息とは違います。(それも私の個人的な考え方です)
何もしなくていい場所で、休息するなんて、もったいなさすぎます。休息は家ですればいい。
「何もしない」の定義でいうと、たとえば読書とかはOK。何もしてなくないじゃん!本読んどるやん!というツッコミが入りそうですが...
まぁそういうことで一旦ご容赦ください(苦笑)。
「仕事や家庭と関係のないことをする」が「何もしない」ことなんですよ、たぶん。
言い方を変えると、「仕事や家庭と関係のないこと」が、現代人にとっては「何もしない」になっちゃうんですよね、悲しいことに。
それこそが大事なのに!
何かしら自分にとって有益なことをしているにも関わらず、です。読書しかり。
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テレビとかネットとかゲームは...確かにそれは「何もしない」に含まれるのですが、え、それやっちゃう?という感じ。私から言わせると。そもそも時間を浪費したくないので...
とっくに人生の折返し過ぎてますから!時間ないんです!
ていうか最近のオトナって家庭に完全にテレビ、ネット、ゲームが入り込んでるじゃないですか。だからそういうのは家でがっつりやればよくって、「サードプレイス」っていうのは「デジタルデトックス」の場所でもあるべきだと思いますね。
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さて、「何もしない」場所、そして時間を、現代人が、確保しなければならない理由はなんでしょうか?
それは、まぁありていにいえば「明日への活力」ってことなんでしょうね。明日からもまた、バリバリと働き、バリバリ家事育児をし、家族サービスをし、そしてそれらの生産性を上げるために、「何もしない」と。
でも本当は、違うんですよ。
それだったら凡百の飲み会と同じですよね?
「何もしない」のだけれど、それは「生産」をしないというだけであって、「休息」でもないのだとすれば、何かはしているわけで。
その「何か」というのは、自分が選択するのです。マスコミやいわゆる「常識」等に惑わされることなく。
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自分がしたいことを、する場所、そして時間。
つまり...
サード・プレイスが「主」で、仕事や家庭が「従」なんです。実は。
ぜんぜん「サード」じゃないんです。ファーストです!(笑)
目からウロコが落ちませんでした?笑
「仕事や家庭が『従』なんです」と断定すると違和感を感じるのであれば、「従」である「べきなのです」。
それでいいのです。
ここで川平慈英さんの「イインデス!」を脳内に送り込んでください(笑)
もし違和感を感じるのだとしたら、それが正しいのかもしれない。なぜなら、それはこれからの時代に主流になる生き方だからです。
つまり必ずしも今は主流じゃないという...
これからはサード(ファースト)・プレイスを持っていない人生のほうがおかしい、と揶揄される時代になります。
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仕事はまだしも...家庭を「従」と考えていいのだろうか?と、思いますか?
なんか最近あからさまに家族第一主義の方が増殖してますしね...いわゆるイクメンとかイクメンとかイ(ry
仕事や家庭を「従」と考えるとはいっても、以前書いたかもしれませんが、ないがしろにしろといってるわけではありません。
どっちが明日への活力なのか?っていう話なんですよ。つまり、自分の時間を極力確保し、自分のやりたいことに対する生産性を極限にするために、家庭があり、仕事があるんです。
これもこのシリーズで最初にぶち上げた「劇的なパラダイムシフト」のひとつです。
ここで、一旦切りましょうか。続けます。