なぜ、起業フェイズで自社プロダクトのオープンソース化に手を出してはいけないか
オープンソースは、ITエンジニアにとってとてもビジネス上の大きな武器になると思っている人がIT業界では多いと思う。
しかし、IT業界以外の世の中はどうだろうか? また、本当にオープンソースがマーケティングに効くといっている人で具体的な根拠を示せる人がいるだろうかと考えると非常に大きな疑問がわきます。
■ビジネスに効くのは本当か?
オープンソースがビジネスに効くというのであれば、まず、考えるべきは、「誰がオープンソースのメリットを享受するか」です。
オープンソースの魅力を享受するのは、開発会社です。よって、この開発会社がどのくらい恩恵を受けられるかでビジネスに効くかどうかが分かってきます。
開発会社がビジネス上で本当に恩恵を受けられるかどうかに関しては、競合の事も考えなくてはなりません。というのは、そのオープンソースのソフトウェアを利用して提供価格を安くできても、他社もその価格で出せたら、ビジネス上、まったく効果がないことになります。
よって、オープンソースの普及を応援する会社が現れたとしたら、その会社は、オープンソースのプロダクトに対して多少なりとも労力やお金を投資すると思いますが、それが普及すればするほど自分の首を絞める矛盾したモデルになっています。
案件をこなす効率や技術面では、ビジネスにはほとんど効果がないので、今度はエンドユーザーから案件をとるのに有効かどうかを考えてみます。
■ゲームに例えると分かりやすい
このコラムを読んでいる方の中にも、ゲームで遊ぶ方はたくさんいらっしゃると思います。そして、エンドユーザーのオープンソースに対する感覚を知るにはこのたとえが一番しっくりくると筆者は思っています。
次の2つのゲームがあったら、どちらを取るでしょうか?
- 非常に面白い普通のゲーム(非オープンソース)
- あまり面白くないけれどオープンソースなゲーム
エンドユーザーというのは、ITを利用するのが目的です。よって、ゲームの場合は、我々ITエンジニアであっても遊ぶのが目的であれば、その横にオープンソースという属性がついたとき、どのくらい価値が上がるか分かると思います。
正直な話、オープンソースであるかないかは関係ないと思います。そのソフトウェアがユーザーにとって使ってどれだけ価値が出せるかどうかしかエンドユーザーに対してマーケティングを行う上では関係ありません。
■デュアルライセンスがオープンソースがビジネスにならない証拠
GPLと商用ライセンスのデュアルライセンスを定義して、どちらかを選択できるライセンス形態がありますが、これこそが、製作元が「オープンソースはビジネスにならない」といっているようなものです。
オープンソースではビジネスにならないので、普及させるのにオープンソースライセンスを利用して、商用ソフトウェアで儲けられるところに注目され、そこがこっそり商用ライセンスを採用して分け前をもらうシステムです。
オープンソースがマーケティングに使えない証拠にもなっていると思います。MySQLなどはこの良い例ですが、エンドユーザーはMySQLが採用されているから買うのではなく、提供されるソフトウェア全体の価値で判断しています。
■怒りからはなにも生まれない
最近、オープンソースは怒りから生まれたという文章をよく見かけますが、正直、怒りからは何も生まれないと思います。
目的が、怒りの矛先を破壊したら、それで終了だからです。
技術者としてものが作れる能力があるのであれば、それをもっと建設的な方向で使うべきです。
■オープンソースのブームは終わろうとしている
正直、今からオープンソースをウリにしてマーケティングを行うとしたらすでに時代遅れだといってもいいでしょう。
そもそも、オープンソースのブームは、技術者や技術系の会社の幻から生まれたものだと思います。単純に考えて
- ライセンス費用が無料
- 設計図がオープンだからリスクもなし
といえば、エンドユーザーが飛びつくと考えたのでしょう。また、本当の「マーケティング」ができない企業が、安売りの延長上でたどり着いた究極の答えだともいえると思います。
しかし、ソフトウェアはそんなに簡単なビジネスではありません。現実はそのようにならないのです。ビジネスは細かい部分まで理解することが必要です。
どこまで細かくするかといえば、「実行可能」な状態まで細かく分析する必要があります。
世論というのは、最初は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的なものから始まって、希望的観測や妄想でスタートしますが、徐々に失敗をしていくことによって本質が分かってきます。
そういう意味で、もうすでに、オープンソースのブームは終わっています。
■オープンソースは技術者の遊びで
資本力がない初期の段階において、オープンソースとITプロダクトの販売ビジネスは結びつけてはいけません。あくまでも、遊びの範疇でやるべきです。
オープンソースがビジネスとして成功している例として、EclipseやPostgreSQLなどがありますが、これらは、最初からそもそもビジネスを意識していません。自分らが使うことを意識して、これでお金を稼ぐなどとは考えていないのです。
だからこそ、膨大な時間と費用がかかっていて、それらを考えたらビジネスとしては魅力がありません。ビジネスを目的とするのであれば、このような投資の仕方はしないとおもいます。
しかし、社会貢献としては素晴らしい意味があります。つまり、オープンソースはビジネス本体ではなく、社会貢献や福利厚生のカテゴリに入るものだと思います。趣味が合ったもの同士で行く、有志の社員旅行のようなものだと筆者は考えます。
■起業したい技術者は一度オープンソースを忘れるべき
オープンソースで収益が上がるところまで持っていくのは非常にコストがかかることで、起業初期の鶏と卵を解決するような強力なマーケティングツールにはならないとここまで書きました。
起業したい技術者の人は、まずは、「誰に何を売るか」という基本に立ち返ってそこに集中してビジネスモデルを考えるべきです。
オープンソースの利用はとても価値があることだと思いますが、やはり、他の人も同様に利用できるため、それは、ビジネスで勝利する上でのポイントにはならないということはしっかりと考えておかなくてはならないと思います。
■オープンソースを利用したビジネスモデルは?
オープンソースのビジネスモデルとして有効なのは、求人だと思います。これは、明らかに有効ですし、今後も流行っていくと思います。
筆者も当初は、「オープンソースを利用したビジネスモデルはベンチャーのプロダクト販売にも有効だ」と思っていました。
つまり、一部分をオープンソースにして、その追加機能やそれを利用したものを有償にしていくというモデルです。オープンソースの集客力と有償のビジネスの良いとこどりをしようと考えました。
ところが、実際にやってみると、有償のパッケージの魅力の部分しかマーケティング上は有効ではなく、オープンソースで集まってくる人々は、顧客にはならないということが分かってきました。
オープンソースでは、知名度を上げたり、HPのアクセスを上げて自己満足するには良いですが、売り上げが上がるかというと非常に謎です。
「アクセス数=売上」という式。これも幻です。「正しい方向性のアクセス=売上」という式は正しいです。
また、有償部分でビジネスが回りだすと、今度は資金ができて広告などを出せるようになってくるので、むしろ、普及させるにも、もしかしたらひたすら無料で突き進むオープンソースより、しっかりとマーケティングをされた有償の商品の方が強いのではないかと感じています。
筆者としては、どんなに時代が変わろうとも、「顧客が欲しがっているもので他にはないものは、顧客はお金を払ってでも欲しいと思ってくれる」という不変の原理に忠実にビジネスを行うのが今の時代でも正しいと思っています。
とは言っても、オープンソースは技術者にとって、とても魅力的な部分がありますので、むしろ「将来的にはオープンソースの活動に本腰をいれて頑張れるようになろう」というのが、技術者にとってはよいのではないかと思います。
コメント
まさぼう
オープンソースとビジネスの両立は難しいと思います。
しかし、そもそも、プロダクトのビジネス化もまた難しいです。
そういう意味で、試行錯誤の1つとしてあり得る手ではないかと思いますが、
確かに、創業時には負荷は大きいとは思います。
>非常に面白い普通のゲーム(非オープンソース)
>あまり面白くないけれどオープンソースなゲーム
というたとえのうちは、たぶんだめで、
そこそこおもしろい名の知れた売れたゲームのバージョン2以降(非オープンソース)
かなりおもしろいが、ほとんど知られていないゲーム(オープンソース)
というたとえまで持って行かないとだめだと思います。
こうなると、どちらがいいか、結構分かれてくると思います。
そのフェーズまで持って行ける技術力はあるが、
販促の手段が弱い人が使うのが、オープンソースという1つの方法ではないかと思います。
ただ、オープンソースにすると、世界からも利用があるので、そのフィードバックを受けられます。面倒は面倒ですが、その経験は日本という考えから脱出する方法としてもありなのかなと最近思い始めました。
まさぼうさん、コメントありがとうございます!
確かに、そういうたとえもあると思いますし、とても鋭いご指摘だと思います。
このコラムで私がそのように言っているのは、実は、自分の経験がベースになっていて書いているからだと思います。
世の中には、いろいろな商品化の方法があり、プロジェクトやビジネスの成否は、かなり細かい部分できまりますから、「絶対にこのコラムの内容」が正しいと言う風には私自信も言いきれないというのは本音です。
私が、考えつかないような方法があれば、きっとこの内容は簡単に覆ります。
ただ、このコラムを書いた趣旨は「オープンソースは魅力的だけれども、起業する人にとって方法の一つであり、盲信してはいけない」とういうことです。
そして、「新しいオープンソースのあり方」を考える上では、今までの社会の経験の中で、メリット、デメリットを希望的観測や行き過ぎたネガティブな考え方を捨てて、中立的な思考で分析することだと思っています。
得に、販促の手段としてどこまで有効なのか、どのようにすれば販促の手段になるのか、販促の手段として成立させるためのプラスアルファは何が必要なのかを考えると、日本ではプロダクトのビジネス化と同じくらいパワーがいると自分は考えています。
自分も、オープンソースは嫌いではなく、mysqlのストレージエンジンを作ったり、NetBeansやEclipseのプラグインを自在に作ったりするのが大好きです。
ただ、それだけでは現実的に、食べていけないといいますか、いじる時間が確保できないので、その部分で悩んでいます。
最後の方でおっしゃっていますが、日本と海外ではOSSのカルチャーがまったく違います。舌足らずで申し訳なかったのですが、これはあくまでも、日本国内の事情を反映したものです。
もしかしたら、海外と日本のカルチャーの違いに答えがあるのかもと思い出したりもしています。(海外には販促のためのインフラや資金源があります)
コメントをいただいて、ちょっと新しい視野が開けたような気がします。
まさぼう
いいずかさま、返事ありがとうございます。
あまり、オープンソースというものをビジネスという軸も踏まえて、
考えている人というのは少ないと思います。
まして、世界的に有名になったものに乗っかるならまだしも、
自ら発信する側としてオープンソースとはなんぞやを技術以外の面かも追求する環境を作れるまでいたったというに非常にうらやましく思います。
私も個人的にビジネスではないのですが、オープンソースを提供する側になってはじめてわかったこともあります。
今までは、まさにSaaSでのアプリ提供側でOSSを使う側でした。
いくつかの事業の立ち上げでOSSとお金という関係で私なりにわかったことがあります。
それは、お金を稼げる事業になるまでは、OSS=「ただ」という意味ですが、
規模が大きくなり、安定も必要になるとどうしても、OSSのメンテナンスのための人を増やすか?金で解決するか?(それとも事業を縮小するか?それはない)
の選択がきます。
OSS=「ただ」の考えから卒業できない事業は結局、終わってしまいます。
(ただし、使う側に無料というあまーい誘惑を誘ってしまっている部分があることも否めませんが・・・)
人というのは、ほしいときにすぐに見つかるものでもないので、
結局は「金」ということになります。
ここで私は、「デュアルライセンス」の意味深さに感心しました。
持たない人からはとらずに、持っている人からとるという意味だと思いました。
それは、ベンチャーキャピタルが「金と人」を投資するのだったら、
オープンソースは、「機能とコード」を投資をして、成功した事業から回収しているのだなと思いました。
また、オープンソースが機能から利益を享受している人からも、お金を回収できないリスクがある一方、ライセンスビジネスは、買わない人へのプリセールスとしてお金を使うリスクがあります。
入るお金をMAXにするか、出ていくお金をMINにするかというバランスもあるでしょう。
でも、個人でやっているオープンソースはそこまででもないでしょうし・・・
>ただ、このコラムを書いた趣旨は「オープンソースは魅力的だけれども、
>起業する人にとって方法の一つであり、盲信してはいけない」とういうことです。
という意味では、私はオープンソースとは、技術者がとりえる「形兵の極みは、無形に至る」という感じではないでしょうか?
この「無形」の形をどう作るかは、その人それぞれちがうということになるので、
オープンソースのビジネスは多くの形をもっていて、
そして、安易に「手をだす」とけがをするということではないかなと思っています。
まさぼうさま
本当によい議論をさせていただいて、とてもコラムを@ITさんで書いて良かったとおもいます。
インターネットってこういう議論がこの場で出来てしまうのがすごいと思います。そして、このインターネットこそが既得権益を破壊し、破壊の後の新たな文化がおとずれる前兆のように感じます。
今の時代は、IT業界が歴史的な戦国時代に突入しようとしています。
そして、人間が最初に行った「仮想化」である、お金という仮想システムが見直されようとしています。
apacheや、PostgreSQLの最初の起源はお金ではなかったはずです。お金以外の価値がその起源に存在したはずです。そして、関わる人数や人の種類が増える中、それがいつのまにか、価値の評価基準が万人にとってわかりやすい「お金」という基準に切り替わる瞬間が出て来て、さらに、それをモデルケースにした資本主義的を原点にしたコミュニティーが徐々にできはじめてきたと言うのが現状であると思います。
今回のコラムの内容を覆すためには、「価値」の原点は何かを考えることが重要と思います。そして、その「価値」とはなにかを理解したとき、オープンソースも商用プロダクトも同じ原理にたどり着くのだなあと僕は思いました。
この内容は、次回のコラムで書こうと思いますので、ぜひ、読んでやってください。