間接的な格差の肯定
格差というのは価値観の固定です。優れていると思っている人と、劣っていると思っている人達のチームワークで成り立っています。優れている人が「優れている」と自分だけ思っていても、誰もそう思わなければ格差は成立しません。「優れている」と認識して称賛されると、ヒーローが一人できあがります。多数の「劣っている」と認識した人がいて格差が成り立ちます。
江戸時代の頃は家柄で格差がありました。現代でそれを格差を感じている人がどれだけいるでしょうか?家柄に価値を見いだす人がいなくなったので、家柄が良くても優遇されることは無くなりました。家柄で優遇されることがなくなったので、家柄の格差が発生しなくなりました。将来、福祉が発達すればお金に過度な価値を見いださなくなり、同じようなことが起こるかもしれません。
社会問題として挙げられる格差に対して問題と指摘する人は多いです。しかし、そういう人たちが普通に社員と派遣、社内の役職、元請けか請負かで意気揚々と差別をやってます。派遣より社員の方が偉い。役職は高い方が偉い。元請けは金を払ってるから偉い。そういう価値観は当然のように受け入れられています。相反する価値観をすんなりと受け入れることができるでしょうか?なので、本人にその気はなくても差別が自然発生します。
こういう価値観の基準というのは、その場にいると分かりにくいです。こういう差別を否定したいのであれば、差別されている人の悲惨さを訴えても無意味です。価値観に基づいて悲惨な状況に置かれた理由が説明できるので、逆に叩かれます。価値観が硬直していることが問題の根本です。格差による差別を解決するには、硬直した価値観を壊して柔軟にするしかありません。
価値観を柔軟にするといっても、単にどこぞのコラムやらニュースを読んで「あ、そうだね。」と納得するような、そういう軽いものではありません。自分の優位性や既得権を手放したり、実際にお金を払う。そのくらいの行動が伴います。そのくらいのことをやらないと、現実は変わりません。格差を否定するのは勇気と行動力が要ります。それができないから、間接的に格差を認めざるをえないのではないでしょうか。
コメント
ななし
AnubisさんもHorusさんも平等で格差のない社会を目指して執筆活動をしておられるのですか。
以前から、スキルに価値はない、努力に価値はない、あなたがいなくなれば、別の人がその席につけるだけだなんてコラムを書いておられましたね。私はそうは思いませんよ。
平等な社会より、足の引っ張り合いなどのない努力が報われる社会であってほしいです。
Horus
> ななし さん
> AnubisさんもHorusさんも平等で格差のない社会を目指して執筆活動をしておられるのですか。
実のところ平等なんてどうでも良いです。ただ、競争だけとか平等だけという、どちらかか一方しか存在しない社会であって欲しくないです。書こうと思えば、ななしさんのスタンスでもコラムは書けます。
世の中的には、ななしさんの意見が多数派だと思います。なので、異を唱える人がいるくらいでちょうどバランスが取れるのではないでしょうか。それに、わざわざ多数派の納得を得たところで書いていてつまらないです。それが、この題材を選んだ理由です。
今回のコラムでは、スキル云々、努力云々、については言及していません。別のコラムからの引用としても、今回のコラムと条件が違います。ただ、流石にAnubisさんのコラムを混ぜるのはご遠慮頂きたいです。芸風パクってるだけです。同一人物と思われているなら大成功です。芸風を上手くパクれているわけですから。
私は、誤読だろうとなんだろうと、自分の書いたコラムをどう取って頂いても構わないと思っています。それもれっきとした個人の意見なので、それはそれで非常に価値のあるものだと思っています。
s.yama
素晴らしい内容だと感じました。
また、自分がSESフリーランスで社員では得られない金額を積まれて仕事をしているのもそれらの価値観による差別的なものを取り除きたいという願望があったことにも気が付かされました。
SESやっているので当然のことながらパワハラに類することは経験してきました。エンジニアとして、あるいはSEとしての実力で評価されるのではなく、差別によって仕事場を追われるという経験は当然、かなりの数を経験しました。
本当の有能さを見極めるのはなかなか難しいものですが、自分は大きな要素としてどれだけ多くの人(客・仲間)をどれだけ効率よく仕事できるように助けたのか、というものを参考にしています。
たまに仲間を潰すような人間がいますが、こういう人は周りの人を傷つけるというひどくチームの生産性にマイナスとなる行為をしているので、実に仕事ができない人とみなしています。
できれば、ポジションによる権威などでの格差ではなく、個人個人が実力で仕事と収入を得ていくという、格差是正が行われたらいいなと思って仕事していきます。