自分の書いたコードを客観的に見る
少し音楽の話をします。私も音楽を多少たしなんでいますが、最近、ちょっと自分にとってショックなことがあった。
最近のカラオケでは録音ができる機種があったりします。歌っているのを録音してその場で聴いたり、ネットにアップして友達と共有したりできるようです。面白そうだなと思い、私も得意な曲を一曲歌って録音をしてみた。
録音した自分の歌を聴いて、その下手さに愕然とした。音楽をやっている人、特に歌う人にはよくあるようです。自分がイメージしている歌い方と実際の歌い方のギャップでそう感じるとのことらしい。自分の歌を自分で聴いて、下手に音程が合っているので表現の下手クソさが際だっていてしんどかった。
似たような経験がプログラミングでもあった。三年前、これは凄いコードを書いた!と思い、今になって読み返してみると、とんでもないクソコードだった。三年前にタイムリープして、コードを全部書き直してやりたくなった。プログラミングをやっている人で、似たような経験をしたというのを何度か聴いたことがあります。
音楽でもそうですが、客観的に自分のやったことを見つめるというのは凄く大事です。コードを書く時も同様かと思う。自分の書いたコードを最高だと自信を持つことは素晴らしいです。でも、自己満足しきってしまうと、効率の良い書き方や違う概念で書かれたコードが理解できなくなってしまいます。その結果、スキルアップのチャンスを逃してしまうことになりかねなせん。
自分の書いたコードを客観的に見るには、人の書いたコードを読んだり、自分のコードを人に読んでもらうのがいいでしょう。ネットを活用すれば多くの人の書いたコードを読むことができるし、GitHubを使えば自分のコードを人に公開できる。ワンランク上をめざすなら、是非、客観的な視点を持つといいと思います。
コメント
リノズカ
内容については賛同しますが
誤字(なりかねなせん。)や文体のですます調が統一されていないのが気になりました。
編集者のチェックとか入らないんですかね?
Horus
> リノズカさん
編集者のチェックは入っていません。なので、多少の誤字脱字は含まれます。コラムに対して賃金は発生しておりません。あくまでブログとしてのスタンスでお楽しみください。
ですます調に関してですが、書くにあたって意識はしています。コメントに対して疑問を投げかけるとすれば、ですます調をキチンと整えれば良い文章になるんですかね?細かいニュアンスのため、あえて統一していない部分もあります。言葉をそろえるのも大事ですが、そこにこだわり過ぎると、文章にリズムがでなくなったり。そういう表現上の問題もあります。
文法の正しさ、誤字脱字のないことは素晴らしいです。しかし、それを追求し過ぎると情報発信する人が尻込みをします。語調云々で細かい指摘ばかりする人が増えると情報発信する人が減るので、ノリヅカさんの指摘の正しさを認めた上で、「無粋だ。」と返答させて頂きます。
無粋マン
自己満足しきってしまうと、効率の良い書き方や違う概念で書かれた文章が理解できなくなってしまいます。その結果、スキルアップのチャンスを逃してしまうことになりかねなせん。
Horus
> 無粋マン さん
そうですね。心に留めておきます。しかし、実際のところ、校正やらチェックする人がいないとなかなか感覚を身につけるのは難しいです。個人では詰まるところもありますが、できる範囲で改善は試みてみます。
ぬ
常体と敬体の使い分けについて
うまく使い分けると、文章にメリハリが生じて、読みやすくなりますよね。
例として、本コラムの最終段落を引用してみます。
--(引用)---------
自分の書いたコードを客観的に見るには、人の書いたコードを読んだり、自分のコードを人に読んでもらうのがいいでしょう。ネットを活用すれば多くの人の書いたコードを読むことができるし、GitHubを使えば自分のコードを人に公開できる。ワンランク上をめざすなら、是非、客観的な視点を持つといいと思います。
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「自分の作品を自分1人で見ているだけでなく、他者の視線を常に取り入れるべきだ」
というのが、この段落の(ひいてはコラム全体の)主題ですよね。
また、ここでは他者の視線を取り入れる方法の「実例」として、
・ネットで他者の文章を読む
・GitHubでコードを公開して他者に読んでもらう
という2点を挙げています。
ひるがえって文体に着目すると、段落全体は敬体を基調としながら、実例の提示2点のみ、常体が挟み込まれています。
つまり、主題(主)と実例(従)が、敬体と常体で使い分けられている。これによって、文章の構造が、読み手に自然な形で伝わってくるわけです。うまい書き方ですね。
ぬ
しかし、コラム前半は、残念ながら、このような上手さを全く感じません。
たぶん、書き手の心の赴くままに、適当に常体と敬体をスイッチしているのだと思います。
書き手ばかりが気分よく、読み手は、それに「付き合わされている」感じ。
「これだったら、どっちかに文体を統一してくれよ…」
というのが率直な感想です。
Horus
> ぬ さん
私は少し別の観点です。ですます調にすると何を強調したいかぼやけ易くなります。他の方のコラムを読んでいるとだいたいがですます調です。丁寧で読みやすいが、主題がぼやけ易い印象を受けます。
話し言葉でもそうですが、強調したいとき「だ」や「です」で言い切ります。言い切ると話の流れを自分にもっていけます。
> 読み手は、それに「付き合わされている」感じ。
これは自分の意図した通りでした。意図した通りに通じていましたが、意見を読む限り良かったかどうかは別だったようです。
コラムの意図としては自己主張と試行錯誤です。発端となったコメントでも、「内容については賛同しますが」とあるので、個人的にはこのコラムは成功です。「読みやすいが伝わらない」か「読みにくいが何か伝わる」の二者一択で後者を選んでいます。
あえて「無粋」と書いた理由は、文章に読みやすさばかり求めていると思ったからです。校正なしで大量に文章を書く以上、「読みやすく何か伝わる」を実現するのに無理があります。読み手の人も、自分で考えないと面白い記事に出会えません。読み手は神じゃない。面白いものを探している一人の人間です。
意見としては筋は通っていますし悪意もありません。ただ、完璧を求めすぎてつまらない流れにいくので「無粋」です。もし、悪意が乗っていれば、某コラムニストさん風に「失せろ」とか「私のコラムは読まないでくれ」でしょうか。
そもそも、仕事でコラムを書いている訳ではありません。返答は失言覚悟の独断でさせて頂きます。「コメントありがとうございます。あなたの言うとおりです。」みたいなテンプレートで返答されても、コメント書いた人も面白くないでしょう。
確かに自分のスタンスを確立すると、非常に文章がはかどります。自分でやってみると、某コラムニストさんが大量に書ける理由も分かる気がします。
ぬ
>強調したいとき「だ」や「です」で言い切ります。
なるほど、そういう意図があったのですね。
しかし「やり過ぎ」て、強調の効果を失っています。
昔、学校や塾で、こんな人がよくいましたよね。
「参考書の重要部分に赤ペンで色を付けているんだ」
どれどれ、と、その学習参考書を見せてもらうと「ページの半分ほど」が真っ赤に塗りつぶされていて、単に「目が疲れるだけ」の代物になっている、という…
あなたのコラムもそれに近い。
ちょっと数えてみたら、コラム中、句点「。」の数は21個。うち常体で終わっているのが10個でした。
(つづく)
Horus
> ぬ さん
ちょっと興味深いので付き合ってみます。
> しかし「やり過ぎ」て、強調の効果を失っています。
売り言葉に買い言葉風に返してみると、"しかし「やり過ぎ」て、指摘の効果を失っています。"という表現が浮かびました。私なら「読みにくい」ではなく、「バランスを変えると映える」と表現します。
前に頂いた指摘ですが、的を得ていると思います。納得はいきましたが、同じような指摘が続いています。私は指摘の正しさを認めますが、更に指摘を繰り返すということは、自分の指摘に不安があるのでしょうか?それを私は「自分の意見に自信が持てない」と表現します。
> ちょっと数えてみたら、コラム中、句点「。」の数は21個。うち常体で終わっているのが10個でした。
その指摘ですが、楽譜を読んで「ソ」で終わるフレーズがいくつあるかと指摘しているのと同じです。この意味は自分で考えてください。良い意味でと悪い意味での含みを両方いれてあります。
Horus
一応ネタばらしはしておきます。
コメントのやりとりを続けていて、最後に蔑むような言葉でしめくくるか、何かしら肯定的な言葉でしめくくるかでコメントを付けた人を判断するようにしています。そういう意味で、ぬ さんのアクションを見ています。
コメントをまめに返している時は、観察していると考えてください。コメントをよく読むことで、次のコラムのネタに繋がったりします。自力だけでネタを探すのはけっこう大変なので、コメント欄を楽しみながらコラムのネタを模索していたりします。
別に議論でなにかの結果をだそうとか、特定の人を否定したいとか、そういう意図はありません。思いのままコメントは書いてくれればOKです。
ぬ
>前に頂いた指摘ですが、的を得ていると思います。納得はいきましたが、
えっ?そうなんですか?
私は、2018/06/01 21:21 のコメントにて、あなたの文体について批判的に書きました。
それに対する、あなたの 2018/06/02 07:51 のコメントには、いろいろ書かれていますが、結局のところ、
「『読みやすさ』は重視しない。自分のスタイルを変えるつもりは無い」
のように私は受け取りました。
私の指摘に納得した、とは読めませんでした。
>同じような指摘が続いています。私は指摘の正しさを認めますが、更に指摘を繰り返すということは、自分の指摘に不安があるのでしょうか?
いいえ、違います。
なぜ、さらに指摘を繰り返すか。
それは私が、 2018/06/02 07:51のあなたのコメントを読んでも、「Hoursさんは『ぬ』の指摘の正しさを認めた」
という事実を認識できなかったからです。
もっといろいろ(肯定的な内容も含めて)書こうと思っていたのですが、何かくたびれてしまいました。
Horus
> ぬ さん
で、あなたの最大の間違いはこのコメント欄しか見ていないことです。後続のコラムも似たような感じだったので6/4に公開したコラムは指摘を意識して修正されています。私なりには気をつけてみました。
修正したコラムをアップした後も同じ指摘をしていたので、「あぁ、この人コラム読まずにコメントしてるな。」と思いました。ぬ さんは目的を達しています。しかしそれに気付けませんでした。
・・・・どうですかね?
ね
うぁー。ぬ さん完全に論破されとる。ここまで鮮やかなブーメランは久々にみた。
Horus
> ね さん
どうあれ、指摘が的を得ていたのは事実です。そこは忘れるべきではないかと。
Horus
一応、ぬ さんの名誉のために断っておくが、別に論破しようとかそういう事は考えていない。
リノズカさんに指摘された段階で、他の媒体で書かれているコラムなどを確認していました。この時点で指摘の正しさは受け入れています。ただ、無制限に品質を求められると後々書きずらくなるので「無粋」と返しています。
後に入った同様の指摘についても、内容について否定する要素はありません。ただし、「指摘の正しさを認めた上で」と断っているのに同じ指摘を繰り返すのに関しては、「状況を見ずに発言しているな」というのが率直な感想です。
そんな様子が、楽譜だけ見て演奏を聴かずに想像で語る。そんな風に見えたので「楽譜を読んで「ソ」で終わるフレーズがいくつあるかと指摘しているのと同じです。」と投げかけてみました。後から振り返ると、返答でも全く触れられていなかったので、振りとして寒かったかもしれません。
コメントで指摘をする方に言ってくと、「はいそうですか」と言っても指摘を全く聞き入れない人もいます。また、反論するけどなんだかんだで聞き入れている人もいます。これはコメントに限らず現実生活でもそうだと思います。ちゃんと相手の反応を確認しないと、思わぬミスリードをして損益を被ります。
・・・と、雑に仕掛けた伏線も回収しましたし、私の訴えたいことは以上です。
コメントでの対応も某コラムニストさんのやり方を踏襲してみています。アイコンを真似たのはそういう意味も含んでおります。
ぬ
(2018/06/06 18:47のコメント)
>で、あなたの最大の間違いはこのコメント欄しか見ていないことです。.....(以下省略)
ガタタッ!(椅子から転げ落ちる音)
はぁ、そうっすか…
あなたが、エンジニアライフのコラムに注いでいる熱意は素晴らしい。
そこは素直に称賛いたします。
改めて新しい記事を読みましたが、確かに、ぐっと読みやすくなっていますね。
しかし問題は、
「書き手がこんなに熱意を注いでいるんだ!読み手だって相応の熱意をもって読むべきだ!!」
と、無意識のうちに期待しているところです。
残念ながら、読み手はそこまで書き手を慮ってはくれません。
私も、あなたとのやり取りのために、そこまで熱意を注ぐつもりはありません。
「よし、最新コラムにも目を通して、書き手の姿勢の変化を見届けよう!」
なんて思いませんよ。
期待の新人作家とそのファンじゃあるまいし。
Horus
> ぬ さん
> 期待の新人作家とそのファンじゃあるまいし。
それでいいと思います。淡々と書き続けていこうと思います。書き手の都合で読み手に何かを強制するのも何か違いますし。たまに息抜きくらいに読んでくれれば嬉しいです。
匿名
自分の書いたコードがクソコードだったから書き直したい って言っておきながら
文章の読みづらさを指摘されると自己弁護に終始
読みにくい文章を平気で垂れておいて
Horus
けなし言葉だからといって適当に書いてませんか?通り一辺倒の言葉でグッとくるものがありません。工夫もなければ主張もありません。
次のコメントは期待しておきます。もう少し工夫してコメントしてください。私をガッカリさせないようお願いします。