組み込み系システムに3年、オープン系システムに7年。徹夜がこたえるお年頃。独身貴族から平民へと降格したホリは、墓場へまっしぐらなのだろうか……。

ITアーキテクトとは母親である

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■誰にでも好き嫌いはある■

 新婚の食卓に“まずい”という言葉はない。

 概念自体は存在するが、その言葉が発せられることは決してないのである。まずいと言葉にださなくとも、残すのはさらに“まずい”のである。とはいうものの、嫌いなものが出たら残すのである。食べ物の好き嫌いはない方がよいが、こればっかりはしょうがない、苦手なものは苦手なのだ。決して“まずい”わけではない(苦しい言い訳)。

 好き嫌いと言えば、職場での仕事においても好き嫌いはあるだろう。コーディングが好き、営業が好き、仕様決めが好きなどなど。開発言語においてもJavaは好きだけどC#は嫌いだとか……。しかし、サラリーマンに仕事の好き嫌いは禁物なのである。上司からの命令には忠実に従わなければならない。これがTHEサラリーマンの辛いところでもある。どうしても自分の好きなことだけをやりたければ、上司に辞表を叩きつけ、フリーになるしかないのである。

■母親には好き嫌いがないというカラクリ■

 さて、食べ物の好き嫌いに戻るが、誰もが小さいころ、母親から耳にタコができるほど言われた言葉があるだろう。「好き嫌いせずに全部食べなさい」と。

 僕も天敵であるピーマンやにんじんを、冷や汗かきながら食べたことを思い出した。それと共に、母親は好き嫌いなく、なんでも食べてしまうということも強烈に覚えている。このことは子供心に「大人は好き嫌いがないんだ」「なんでも食べなければ大人になれないんだ」と思ったのである。子供に“好き嫌いするな” ということを母親自身が証明していたのだろう。

 しかし、ある日、少年時代のホリススムは気付いてしまったのである。なぜ、母親には好き嫌いがないのか。それは…… 

母 親 は 自 分 が 嫌 い な も の は 食 卓 に 出 さ な い

からだった。

 僕はこの決定的な事実に気付いたのだが、そのころはまだ素直な心をもっていたので、母親に言われるがまま苦手な食べ物を克服しようとしていたのである。

■ITアーキテクトの好き嫌い■

 プロジェクトにおいて、ある優秀なITアーキテクトがいた。彼はVBが得意だったがC++は苦手だった。入社2年目の僕は、彼の下でプログラマとして日々コーディングにいそしんでいた。彼はプロマネを含めた周りのC++を押す声を無視して、強引にVBで開発することに決めたのである。そう、苦手な言語を排除し、得意なVBでシステムを開発しようとしたのだ。

 周りの反対を押し切り強引に進めた結果、パフォーマンスが出ないという問題が発生した。しかし、彼は自分が選択したVBを駆使し、最後にはシステムを完成させたのである。自分の苦手な言語を避け、得意な言語で開発を進める。そのころの僕にはものすごく強引に感じたのだが、彼には成功させる自信があったのだろう。今の自分の立場であれば、そのころの彼の気持ちがよく分かるような気がする。

■どちらも責任ある立場■

 家族の健康を考える母親。プロジェクトを成功に導くITアーキテクト。どちらも似たような立場でありながら、自分の苦手なものを排除する権力がある。母親が料理せずインスタントばかり出すようならば夫や子供は不健康となる。ITアーキテクトがめちゃくちゃなアーキテクチャを指定すれば、プロジェクトはたちまちデスマーチとなる。父親がプロジェクトマネージャならば、母親はITアーキテクトである。家族やプロジェクトにとってなくてはならない存在であり、責任重大な立場でもある。

 冒頭の話に戻るが、僕が好き嫌いがなかったのは、あくまで母親の趣向の範囲内である。その結果、母親が嫌いなものは、なぜか僕も嫌いになっていたのだ。

 新婚の食卓に突如として登場したレバニラ炒め。レバー嫌いの僕には、食わず嫌い王に出演する俳優なみの演技力が必要とされていたのである。

 続く

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