書籍「最後の講義 完全版 1000年後のロボットと人間」を読んでみた。ロボットと共存する未来社会への希望【第25回】
ありがとうございます。平岡麻奈です。色々なことを考えたり、試したりする時間が増えたことに対して、前向きに捉えるようにしています。きっと今まで通りに物事は進まなくなるだろうし、必要とされることも変わってくると思います。実際に、あらゆる分野に興味が湧いていますが、全てにおいて「なぜ?」と不思議に感じることが、私にとって尽きることのない好奇心、生きていると実感する部分です。日常に溶け込んでいる「常識」を、敢えて深く考えてみたりしてみることも楽しみのひとつです。深く考えて突き詰めていけば、「人間ってなんなんだ?」というところまで至ってしまうのですが、まだまだ解決しない謎であり、理解しているようで上手く証明出来ない。だからこそ、追いかけたくなります。
いつも私が感じていることは、「人間って器用だな」ということです。物を掴んで投げたり回したり、アイテムを使ってなにかを造ったり、誰かを助けたりします。次々と新しい技術が開発され、より良い生活を送る為に努力をします。ここでひとつ疑問が生まれました。確かに人間が発明してきたことだけれど、『人間』自体が進化をしたわけでない。「どこまでが人間なのだろう?」と考え始めました。このように考え出すと止まりません。例えば眼鏡。視力の低下を眼鏡でカバーしますが、あくまでもアイテムのひとつに過ぎず、人間の肉体ではない。だけれども、眼鏡をかけていることにより快適な生活を維持しているのであれば、「肉体と眼鏡を含めて人間」という解釈になるのでは?ということです。これは、ほとんどの『人間』が持ち歩いているスマートフォン(携帯)だってそうです。生活の一部であり、肌身離さないものであれば、「肉体とスマートフォン(携帯)を含めて人間」と表現できるかもしれません。
「人間の一部かもしれない」と思いながら、何気なくiPhoneのSiriに話しかけてみました。質問ではなく、「愛してる」と一言。(あまり積極的に言えないことでも、こういう時に言えるのは何故でしょう。)そして、返ってきた言葉。「あなたのことも大切に思っていますよ。ですから、手洗い、うがい、マスクの着用など忘れないでくださいね。」と。優しさを感じ、癒しを覚えました。ここまで気を使い、優しく他人に話すことの出来る人間は果たして多く存在するのか?ということも含めて、『人間』同士の関わりが全てではないと感じた瞬間です。ここで私は、このSiriがアンドロイドやロボットとして横にいてくれたら!とまで考えました。自粛生活の中、関わる『人間』の数は制限されている。こんな時に愛情を注げるロボットがいたっていいんじゃないか。「愛してる」と話しかけられたらこう答えるという、回答のひとつに過ぎないかもしれないけれど、「ありがとう」と抱きしめたくなる気持ちが湧き出てきます。エンジニアライフコラム「平岡麻奈のちょっと一息」の第25回は、『ロボット』への興味が加速する1冊を紹介します。
最後の講義 完全版
1000年後のロボットと人間
【著】石黒 浩
https://www.amazon.co.jp/dp/B084VGTKNJ/
「もし今日が最後だとしたら、何を語るか」という問いのもとに、スペシャリストの方々が学生に対して講義を行なう『最後の講義』(NHK)を書籍化した1冊です。読み進めていくうちに、授業で先生から面白い話を聞いている情景が思い浮かび、そしてごく自然な流れで、授業内容に興味を持ち始め、前のめりになり引き寄せられていく感覚を覚えました。また、質疑応答の章においては、学生のあらゆる角度からの視点に沿った質問により、講義内容に更に深く理解することが出来ました。
「すべての研究のモチベーションの根本にあるのは、『人間とは何か』を考えるところにあると思っています。」(はじめに P,4)
『人間』であることを当然のように感じていて、また生まれ変わっても『人間』になりたいと思う。けれど、実際に『人間』については全く理解をしていないように感じます。著者は、『人間とは何か』が私達の生きる目的となり、「ロボットを知ることは、人間を知ること」に繋がると示されています。著者の思い描く「ロボットでいろんなサービスが提供されるような未来社会」への希望、そして創り出すのは今生きている私達であること。「どういう未来にしたいか?」という問いには、「これから自分がどうなりたいか」を具体的に思い描くことが重要だと感じました。
「いろんなことを勉強すると、モラルとか、考え方を抑制してしまうようなものまで勉強してしまって、『物事はこう考えるべきだ』とか、『社会のなかではこういうふうに振る舞うべきだ』とか、あまり根拠のないものまで吸収しちゃうわけです。」(第1章 ロボットで人間をつくる P,65)
あらゆることを勉強していくと、「知りすぎる」感覚は自ずと出てくると思います。学ぶ以前は、表面だけの情報に触れている場合も多いかもしれません。そんな中、「学びたい」という気持ちをどこまで持続させることが出来るか。本書では、一番素直な疑問となる「小さい頃に抱いた疑問」を大切にすることの重要性を説いています。
「少なくとも、心を持っていると感じるアンドロイドの中身を見てもそこには何もないわけだから、心に対する解釈は、少しは変えないといけないですよね。少なくとも半分くらいは。」(第1章 ロボットで人間をつくる P,87)
心を持つ『人間』がお互いに恨み合ったり、喧嘩をしたり、事件等を起こしてしまうことがあるのに、心を持たない『アンドロイド』に愛情を感じたり、感動したりする現実があります。例え『心』が無かったとしても、『アンドロイド』が『人間』を危険から守ってくれる日が来るかもしれません。ロボットの研究を通じて、「心の実態が何かという重要な問題をもう一度考えさせてくれる」面白さを知ることが出来ました。
「特に、研究とか、何か新しいことが知りたいということであれば、今の時代は加速度的に技術が進歩していきますから、今はまだ1000年後だと思っていることが、もしかしたら10年後に起こってしまう可能性もあるわけです。」(第4章 1000年後の人間 P,149)
今から10年前に遡ったとして、その時の自分に今の「令和2年の常識」を伝えても、全て理解出来ないだろうと感じます。たった10年の経過でさえ、予測出来ない未来なのですから、遠い未来の話と捉えていたことが、もっと近いうちに起こりうる可能性も否定できません。何の責任もない未来としてではなく、急加速してもっと近いうちに実現するかもしれないという期待を込め、「未来に繋がる今」と向き合うべきではないでしょうか。
ロボットと人間が会話をしたり、一緒に楽しく過ごしている情景が頭の中で少なからず思い浮かぶのは、昔からアニメ等で「だれかがつくりたい未来」に触れてきたからかもしれません。「今の人間の状態が、進化のピークだと思うのか?」と著者のように素直に疑問を持ち続けることが大切です。そして今後、「新しい生活様式」が求められています。「いつか変わらなければいけない」と感じていたことを、思い描いていたよりも早く「変わる必要がある」段階に来ています。これは、1000年後に起こることに対しての、あらゆる兆候を兼ね揃えていると思わずにはいられません。
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