気難しいプログラマとの人間関係に必要ないくつかのポイント

9. 自分の価値観が揺るがされる

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 時として、プログラマは打ち合わせのような席で、あなたが思いも寄らなかったことを口にするときがあります。

 その一言で、自分がいままで持っていた価値観が一瞬にして揺るがされる、なんていうことを体験された方もいるのではないでしょうか。

 技術の進歩にはすさまじいものがあります。

 あなたがいままでの経験で得た知識や法則の一部が、陳腐化する瞬間が来たのです。

 彼らは、あなたの鼻っ柱を折ろうとしてそれを言っているわけではありません。むしろ正しいこと、ひいてはあなたのためになることを伝えようとしているだけです。

 いいアイデアは若い人から出てきます。

 それは時として、あなたを動揺させるようなものであるかもしれません。

 でもそういったことを含めてプログラマと接することを面白がらなければ、真のリーダーとは言えないでしょう。

 自分の価値観が揺るがされたとき、それは新たなビジネスのチャンスなのかもしれませんよ。

◆◆◆

あとがき

 2カ月間に渡って連載させていただいた「気難しいプログラマとの人間関係に必要ないくつかのポイント」は、これにてひとまず終了です。

 このコラムの原文は、いまから4~5年前、わたしが失業保険をもらっていたころに書き溜めたもので、最近PCの引っ越しをした際に偶然見つけ、エンジニアライフに場所をお借りして(コラムニストに応募して)毎週推敲を加えながら、順次投稿させていただきました。

 かつてはこのコラムで焦点をあてた「気難しいプログラマ」が、どのプロジェクトにも必ず1人や2人くらいいました。

 プログラミングスキルはやたら高いけど、ツンケンしてて冷たく見える人。

 上司すらビクビクしながら話しかけなければならない人。

 このような人たちは職級が一番低いにもかかわらず、課長や部長よりも偉そうで、そしてそれが平気でまかり通るほどプロジェクトに貢献してきた人たちでした。

 以前はソフトウェア1つ作るにも技術的課題が非常に大きく、高いレベルの技術力を持った職人に頼らざるを得ないという背景があったのです。

 プロジェクトの命運は、まさにこのようなエースと呼ばれる人たちの肩にかかっているといっても過言ではありませんでした。

 現代においても技術力が重要であることに変わりはありませんが、いまや社会で成功するためには知能指数よりも好感度指数がものをいう時代と言われています。

 企業も技術者に対して、突出した技術力よりも総合力を求めるようになってきました。

 かつて先頭きってプロジェクトを牽引してきたこのような職人気質の技術者は、残念ながらこの業界から徐々にいなくなりつつあるのではないでしょうか。

 しかしながら……。

 日本には「道の精神」というものがあり、何事においても「道を極める」という考え方が日本人の心に深く根付いていると思います。どのような職業の方にも言えることですが、自分の仕事に対して日々努力を重ね、1つの才能を磨き上げていく人は大勢います。今日の日本を支えてきたのは、まさにこのような「道を極めし者」たちの職人的な活躍だったのではないでしょうか。

 プログラマは気難しいからこそ、技術者としての類稀なる特性を兼ね備えているのです。彼らのような人間を抱えることができない企業は、いずれどこかでその代償を払うことになるでしょう。

 コミュニケーションスキルをうんぬん言う前に、企業はまず自社のマネジメントスキルが十分なのかを考えなければならない、とわたしは思うのです。

 次回の投稿からは、別のお題で細々と何か書いていきたいと思います。よろしかったらまた読んでやってください。

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