株式会社ジーワンシステムの代表取締役。 新しいものを生み出して世の中をあっといわせたい。イノベーションってやつ起こせたらいいな。

貧乏のススメ

»

 分不相応にも社長などをやっていると、金持ちに思われることがよくある。見た目も「金持ちの生まれ」ぽく、つまりはボンボンっぽいイメージをよく皆さんに与えるらしい。困ったモノだ(イヤ、大して困ってないけど)。若い頃はいつもそういわれてて、「早くオッサンになりたい」と思っていたなんていうと、「立派なオッサンになれて良かったね」と返される。それもちょっと納得いかなかったり(笑)。

 金持ちの生まれだったわけではなく、父親は1人で電気工事をやっていた個人事業主(職人さんが何人かくることもあり、そんなときは社長とは呼ばせてたな)でした。しかし、家は5軒長屋で便所もくみ取り式で、風呂もなく、子供の勉強部屋もなければ、事務所もなかったので、父親も食卓で見積りや請求書を作っていたし(もちろん手書き)、わたしも同じ食卓で宿題を(ほとんどしたことないけどね)していた。

 個人事業主を長くまっとうにがんばっている人は、がっつり儲けて法人化して大きくなっていく、いける時代でしたが、わたしの父親は、ご多聞に漏れず見事に三拍子(呑む・打つ・買う)揃っていたので、その子供としては大変惨めでした。

 リアルに給食費が払えなくなるし(当時は振り込みとかではなく、みんなの見ている前で先生が集めていたのでつらかった)、1週間に1回も風呂屋に行けないこともあった。不渡りを一発食らうと心中・夜逃げの話に、一応、長男ということでつきあわされたりする。

 おかげで、小学校3年生ぐらいで不渡り(漢字を知らないからフアタリと思ってたけど)とか、手形割引とかの意味を分かってるっていう気持ち悪い小学生だった。もちろん、本人は普通のつもりですが……、例えば、売掛や買掛の意味が分からないと手形の不渡りは理解できないわけで、生活の中で「業務の流れ」を空気のように理解していた。「貧乏の英才教育」を受けてきたわけです。

 売掛や買掛をどう処理するか、つまり、締め処理なんてモノは九九より自然に分かっていたので(九九を覚えなかったのは電卓があったからで)、働き出す歳にもなって、締め処理が理解できない人がいるなんてわたしには信じられないことでした(こういうのが暴言と言われるのですけど……)。つい最近まで本気でそう思っていたので、「分からない」という社員には「ケンカ売ってるのか?」って感覚になって、泣かしてしまうことは1回や2回ではなかった。

 常識の基準が全然違っていたので、わたしは「なぜ、そんなことが分からないのか?」と思うし、周りも「なぜそんな無茶苦茶をいうのか?」ってなります。わたし自身、新人教育を受けたことがないので、余計にどこから説明しなければいけないのか、みんなは何がどう分からないのか、よく分からない。困ったものです。

 ともかく、貧乏で不安定な暮らしをしていたので、子供の頃は、「公務員になりたい」「サラリーマンになりたい」って思ってたのですが、100%サラリーマンは向いてないし、なるべくして今があるのだろう。社長が大変なのは分かっていたのですが、「三つ子の魂百まで」ってヤツなのでしょうかね。まったくイヤなモノを引き継いでしまったもんだな。

 しかし、「どこから説明すればよいのか分からない」というのは、何とかしないとまずい。ゆとり世代はわたしには宇宙人に等しいので、ないものねだりですが間を取り持ってくれる良い指導者が欲しいです。

 現状をいえば儲かってないし、それはわたしに責任があるので、わたしの年収が社内で最低って年も結構ある。20代前半の社員より年収が低いということは、今もって相当な貧乏です。

◇    ◇    ◇    ◇

 それはさておき、何で今頃、貧乏話かというと、http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10373658575.html、なんか「母子加算」とかが話題になっててちょっと思い至ったから。それにしても、3台で携帯代2万5000円は使いすぎです。わたしは家族(事務所においてたり)で4台契約していて、仕事で結構使っているのに9000~1万5000円ぐらいですからね。

 貧乏だった人を大まかにタイプ分けすると、金に異常に執着する人と、「なくて元々」と執着しなくなる人が出る。貧乏であることに対して、社会のせいにする人と、(自力で)抜け出したいと思う人がでる。

 これは2×2のマトリクスになり、例外の1通りを加え5通りになるのですが、

  • A.執着して、社会のせいにする
  • B.執着せず、社会のせいにする
  • C.執着して、抜け出そうとする
  • D.執着せず、抜け出そうとする
  • E.執着せず、社会のせいにも、抜け出そうともしない

 わたしは、Dタイプのようです。

 ちなみに、Aタイプは下手をすると犯罪に走ったりする危ないタイプ。Bタイプは、おそらく一生貧乏で市民運動とかに走ったりします。Cタイプは努力の方向性が間違っていなければ大成するでしょうし、努力の方向性が間違っていたりして失敗すると、Aタイプに変異することもある。

 Dタイプは古い職人タイプかな? なかなか大成はしないでしょうが、Cタイプほどではないけれど大化けする可能性もわずかにあるかと思う。

 Eタイプは何でしょう? Bタイプの亜種で一生貧乏だけれど、貧乏を楽しめるかも知れません。ゲージュツ家とかに多そうですね。

 貧乏だった人というのは、最初からハンデがあるので普通よりはがんばらないと成功者にはなれない。「普通よりはがんばらないと」ということが不満だという人も多く、平等であるべきなんていう人がいますが、そんな人に限って世界市民とかいってしまったり(笑)。日本人に生まれただけでも十分に金持ちって分かってないのかな。

 問題に思うのは、長引く不況のせいで努力しても失敗する人を多くの人が見ているからでしょうか、不況でも、まだまだ恵まれている日本にいるのにA.B.のタイプが増えていることです。

 さらに、親が「社会のせい」にしてしまっていては、子供にも「社会のせいにする」というのが伝染する。社会が悪いというバイアスの掛かったTVのコメントも非常に多く、それも悪い方に影響するでしょうし、バラマキ、友愛政策も、おそらく、子供に伝染していきA.B.タイプを増やす結果になるでしょう。

 A、Bタイプは、社会に対して要求はしても返してくれないから、こういうタイプが増える国は衰退するしかない。国民の三大義務は教育・勤労・納税で、働くからこそ権利があるのですけれど、義務を忘れて権利を主張する人が増えるのは、本当に困ったモノだ。

 わたしの場合は、三拍子(呑む、打つ、買う)に原因があるのは分かっていたので、社会のせいにする気はなかった。親によくぞ三拍子そろえてくれたと感謝しなければいけないのか?そんな分けないか。

 ちなみに、社会(や政策)が悪くないといってるのではなく、社会が悪くても、自分は努力で変えれるということがいいたいのであって、変な突っ込みは勘弁してね。

◇    ◇    ◇    ◇

 わたしのこだわりを50%ぐらいに抑えれば普通に儲かるということは分かっている。それでも、この不況下にまだ意地を張ってしまう。貧乏に対する耐性が強すぎるのか、麻痺しているのかギリギリまで耐えても、我を通そうとする。

 努力しているけどダメだという人のほとんどは、客観的には努力が足りないか、努力の方向性が間違っています。運じゃなく、必然的にダメです。それで、方向性が間違っている点ではわたしも同じなわけで、わたしも必然的にダメなんでしょう。違うのは分かってやっているかどうかです。

 わたしは分かってやっているし、我を通すには他人を傷つけることにもなるので、苦悩は本当に大きい。しかし、ただ儲けるのであれば会社をやる必要はなかったわけで、会社をやった以上、その存在意義のためにも、意地を通したいという意識が出てしまう。

 自分の中にある非常に大きな矛盾はなくならない。

 もう少し、意地やこだわりを抑えて、大人になろうかなと思ったりもするのですが、年々子供になっていくのは……、やはり、苦労した分、意地の部分が大きくなって、ひくに引けないからでしょう。自分で分析して馬鹿なことをするのですから、まったく、救いがたいな……。

◇    ◇    ◇    ◇

 それはともかく、今の日本の貧乏なんてたかが知れているし、金持ちが必ずしも幸せとは限らない。貧乏なら貧乏なりに、いろんなことを考えることができて良いこともたくさんある。

 銀シャリが食べれなかった人は、銀シャリを食べただけで無上の幸せを感じることができますが、生まれてからずっと銀シャリにおかずを付けて食べている人は、おかずがなくなったときにとてつもない不幸を感じます。人が幸せを感じるのは、絶対値ではなく伸びているときですから、貧乏に生まれたら、幸せを感じる伸びシロが大きい分だけ得なのです。

 そんなわけで「貧乏のススメ」でした。

Comment(15)

コメント

インドリ

同感です。私は貧乏だからこそ生きているだけで幸せだと感じます。
自分の人生や境遇に悔いを持った事はありません。
命の価値を理解し、人生を謳歌するには貧乏が一番です。
ただ毎日ベストを尽くすのみです。

人間なんて

「自分は努力しているから努力しない(できない)人間は生きる価値がない」とはっきりと言っていただき、スッキリしました。
「自己責任」論者なのにその点を曖昧にごまかす人が多くてもやもやしていました。
基本的に人間も野に棲む獣と同じ「弱肉強食」だというご意見に賛同いたします。
この勢いでフリードマンが提唱して新政権が検討している「負の所得税」にも反対をしてください。
応援しています。

しゅじゅ

戦場帰りの祖父は、お酒が入ると必ず”生きているだけで幸せだ”といいます。(笑

ちょっとした贅沢(晩酌と寿司)に無常の幸せを感じるようです。
戦争の惨禍で潰れてしまいましたが、豪商の息子だったのに・・・。

結局、仰られているように、満足の基準をどこに設定するかによって感じ方がぜんぜん変わってくるのでしょうね。

ちなみにEは聖人タイプだと思います。
論語によると孔子はそういうスタンスだったようです。
(修身の努力は奨励しても、金銭的執着は認めていなかったと思います)

私はたぶんCかDです。自分ではお金に執着しているのかしていないのか分からないのですが、現状(サラリーマン)を脱却して願わくば先祖の栄華を再び!と思っています。(笑
私の能力に比べて高すぎる目標ですが、・・・私の意地でもあるのです。

インドリさん、こんにちは。

貧乏がベストかどうかは分からないけれど、マイナスに考えなければ悪いことではないですね。

人間なんてさん、こんにちは。

生きる価値がないとは言わないけれど……。

えてして、A.B.タイプは自分が高邁な精神であるかのように錯覚していることがあるからね。社会に寄生しているということを分からないといけないと思う。

たとえば、離婚して女性一人で生活保護を受けて子供を育てるにしても、A.B.タイプにならないようにC.D.タイプに育てるならその母親は社会に貢献したことになる。しかし、くだんの携帯代2万5000円の家庭の子供はおそらくA.B.タイプに育つだろうなと思って書いたわけです。

ベーシックインカムですか。
そういうことを主張する人とは平等の基準が違うので永久にかみ合わないですね。社会が支えるのは、生きていけるけれど、まだまだ貧しく、自力で這い上がりたい。と思うぐらいのレベルの社会保障にとどめるべきですね。

しゅじゅさん、こんにちは。

私も、普通に暮らしている時点で幸せなので、普通の人から見ると余力ではないのに、自分にとっては余力の部分があり、無茶をしてしまう。

聖人も確かにE.タイプですけれど、ニートもE.タイプですから。
ゲージュツ家はニートと区別が付かない人もいるけれど、聖人と一緒にしたらマズイかな。

聖人もアウトプットがなければニートと同じとも言えるか。

私はニートは私の理解の範疇を超えていて、「ウンコ製造人間」ぐらいの呼び方にしたらどうかと思っているぐらい嫌っている。
でも、プログラミング能力が高いニートらしき人もいて、社会復帰するなら弊社に来て欲しいと思ってたりもする。
(多分、私が強烈すぎてつぶしてしまうでしょうけれどね)

ビガー

ビガーです。こんばんは。

私の父は、銀行マン(生島さんが嫌っている人種でしょうか)で、何不自由なく生活してきました。私も厳しい(貧乏)環境で揉まれていれば、どうなっていたのか。多分今と大差ないでしょうね。

そういう環境であったので、私は本記事の対象外もしくはウンコ製造人間に該当します。
ただ、社会に貢献したいと思う。そういう気持ちをいつ持つようになったのか。。フリーになってからですね。多分世の中の仕組みとかが本質的にわかるようになれば、自ずとそういう気持ちになるのか。

私は両親をとても尊敬していますが、ある意味で境遇に恵まれないサラリーマン思考を脱却するにはどういう考え方が必要なのか。コラムにしちゃうかもしれません。そのときは通知させてもらいます。

ひでみ

こんばんは、ひでみです。
うちには何回もいらしてくださっているのに、こちらにうかがうのは初めてです。

うちの父親も事業主で、子供の頃というと貧乏だった記憶ばかりが残っています(常に業績が悪かったってわけでもないと思うんですが)。
生活水準は業績の波に乗りまくりで不安定、「てがたがおちない」とか「ぜいむしょがくる」とか「ぎんこうがかさない」とかいう言葉を聞いて育ち、意味はわからなかったんですがそれがとてもおそろしいものだとは理解していました。
『サザエさん』を観ている時に「ボーナス」の意味がわからなくて母親に聞いたら、「今、その払いのことで悩んでるんだから聞かないで!」と怒られ、以来、我が家では「ボーナス」が禁句になった、なんてこともありました(カツオくんはあんなにはしゃいでたのに!)。

そんな私を、生島さんマトリクスにあてはめると、「E:執着せず、社会のせいにも、抜け出そうともしない」かと思われます。
正確にいうと「お金はあるんならあった方がいいけど、貧乏でも特に困ることはないと思っている。だから社会を責める理由はないし、抜け出す動機もない」といったところでしょうか。
自分の好きな仕事で稼いで食べていけてる今の状況を幸せだと思っています(貧乏でもないし)。
ホームレスまでいくとさすがに厳しいと思いますけど、旅行や外食をする余裕がない程度の貧乏なら、不満なく生活できると思います。貧乏に耐性がついているというか、お金がないということにあまり恐怖心を感じません。
そんなんだから「システムエンジニアにならないと給料はあがらない」と言われても、悩むことなくプログラマに留まることができました。
好きなものにしか関心を示さない「おたく」といったところでしょうか。

ビガーさん、こんばんは。

別に銀行マンが嫌いというわけではないですよ。
金持ちが嫌いとかもないです。
銀行マンだから嫌いとか、官僚だから悪いとか、そういう考え方はおかしいと思っています。
嫌いな銀行マンがいないわけではないですが。

ただ、既得権に固執する連中はエネミーですね。

金持ちの家に生まれると、5パターンではなくもっと多くのパターンがあるのですけれど、貧乏に生まれるとその先のパターンに行く前に、貧乏から抜け出せるかどうかというハードルがあって、5パターンぐらいに分けられてしまいます。

> ある意味で境遇に恵まれないサラリーマン思考を脱却するには

恵まれているサラリーマンと、恵まれていないサラリーマンがいて、恵まれているサラリーマンは既得権を持っていることすら分かってなかったり。
恵まれてないサラリーマンは僻み根性がすべてだったり……。

そういう人たちの思考を変えるにはどうしたら良いのですかね……。

ひでみさん、こんばんは。

ボーナスがある家にはあこがれました。

「てがたがおちない」は猛烈に怖い言葉ですね。
そういう時点の両親は、正常な精神状態ではないので、幼い子供にとっては身をもって恐怖を植え付けられます。
そういう経験を前向きに変える人は少数派なのかも知れませんが、親は前に向ける努力をすべきだと思います。

> 貧乏でも特に困ることはないと思っている。

という意味では私もE.タイプなのかも知れません。
私の貧乏のラインが低いから、無茶をしてしまうのですが、そろそろ考えを変えないとマズイのですけれど……。

たぶん、貧乏のラインは個々にあって、毎年、海外旅行に行けないと貧乏だと感じる人もいるでしょうし、三食食べれたら十分に幸せというラインもあるでしょう。

つまり、ものすごい低いラインで「貧乏を抜け出した」って思っているのかも知れません(私のことですが)。抜け出したかどうかは他人が評価するモノではないので、人によって答えが違うのでしょうね。

私が嫌いなニートは私より遙かに低いラインに貧乏のラインをおいて、全く社会に貢献することなく人生を終える人で……。

派遣切りにあって、ホームレスになるのと、コンビニで働くのと比べて、ホームレスになるという人は全く理解できません。
コミュニケーション能力がないとか言いますが、コンビニの店員に片言の日本語しかできない外国人がたくさんいますからね。

日本語のコミュニケーション能力が、母国語でない外国人よりも劣るって…、私には全く理解できません。

インドリ

私なんて
米が食べられるだけで幸せです。
本が読めると幸せです。
炬燵に入ると幸せです。
睡眠できると幸せです。
お風呂に入れると幸せです。
猫と遊ぶのが幸せです。
歩けるのが幸せです。
息が出来るだけで幸せです。
仕事が出来るだけで幸せです。
何かを思考している間は非常に幸せです。
ハックしている時が最高の幸せです。
すなわち、【現在生存しているだけで全ての物事に幸せを感じるレベル】です。
しかも、妬みや嫉妬などの負の感情は感じません。
ただ、この世に論理的整合性がない状態だというのは理解しています。
これはおそらく極貧の極みです。
20代でこの境地に達しました。
これ以上幸せを感じられる人は居ないと思います。
幸せって何からでも感じられます。
そういう事を忘れている現代人が多いですよね。
要はお金の量ではなく、幸せに対する感受性の問題ですよね。
でも人間って強欲ですから、死に直面するまで生の喜びを理解できなかったりします。
その点お金持ちには死の恐怖を実感できる機会が少ないようです。
自分が持っている幸せがわからないなんて、かわいそうです。

士郎

おはようございます。

生島さんの年収が20代前半の社員より低い年が多いという話は正直驚きました。
ひでみさんも書いてましたが、この業界はPG→SE→PMにならないと年収の維持
や上昇が難しい業界という変わった世界ですが、私はあまり年収に興味がないので
PG(SE)レベルで十分と思っています。私の場合、仕事のやりがいは完全にPGやSe
なので別にかまわないのですが(笑)。

こういう考えですが、最近は40代、50代で仕事を失う不安にかなり襲われます。
大手SIerや元請けの小さい会社または、PMであれば、定年まで現役でかかわる
事ができるかもしれませんが、中小の大部分は下請けと思っていますので
どんなに優れた業務知識や経験があっても年齢ではじかれてしまう可能性が
高い・・・。
こういうことが実際にあるのを見ると、いくら貧乏でもいいと思ってもこの業界
を去らないといけないのではないかと思い始めています。

インドリさん、おはようございます。

インドリさんは、既に抜け出したんですね。
後は、何を成し遂げるか、社会に何を返すかですね。
社会に返したことに幸せを感じるようになれば、きっともっと幸せになれると思います。

私は、まだ、何も返していませんが。

士郎さん、おはようございます。

えーと。
給料は帳簿上かなり貰っています。

ただ、業績が悪いと、決算の時に返上とかイロイロ操作するわけです。
そうすると、扶養家族になれる金額になってしまったりします。
社長の給料なんてのは、会社が大きくなるまではあってないようなモノなのです。

何歳になっても仕事ができる業界にしたい。COBOLerを戦力にしたいと思ってはいますけれど、私の力ではなかなかできないですね。

士郎

こんにちわ。

>生島さん
年収の件はそういった事情があったのですね。

>何歳になっても仕事ができる業界にしたい。COBOLerを戦力にしたいと
>思ってはいますけれど、私の力ではなかなかできないですね。

こういう経営者が大勢いればよいのですが、日本ではどう考えても
私が生きている間は無理な話ですね・・・。

コメントを投稿する