新米武装派フリーランスプログラマ男子(0x1d歳)

孤独のエンジニアめしばな 第2めし「寿司」(後編)

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Iさん「私は1人、夜の渋谷センター街へと繰り出しました……」

Tさん「まさに……“最後の晩餐”のつもりだったんですね……」

Jさん「壮絶な話になってきたな……まさに“覚悟のめし”やな……」

Iさん「はい。私は財布だけを持ち、あてもなく夜の街をさまよいました。その時の光景は、いまでもしっかり覚えています……」

……

 俺は、死人のように渋谷の街を歩いていた。

 デザインしか考えておらず、実装など微塵も考えていないWebデザイナーの作ったHTMLモックを元に、実用に耐えるレベルではないフレームワークとJSFライブラリが吐き出すいい加減なinput formをDOMレベルで切り貼りして画面を作る作業に、心底嫌けがさしていた。

 もちろん、プロジェクトが抱えていたのは、技術的な問題だけではなかった。進捗の遅れを顧客に説明する理由として『品質を担保している』ことにしようとと考えたのか、目標値だったはずの「カバレッジ率90%以上」がいつの間にか必須条件になっていたり、誰が必要とするのか分からないようなドキュメント作りが強制されはじめたり、お世辞にもまともなマネジメントが行われているとは言えなかった。

 加えて、体調も最悪に近かった。これは後で調べてわかったことだが、実は俺はそのとき、肺炎一歩手前の症状だったらしい。どうりで咳も止まらず、熱も引かないはずだ。

 そんな中で俺は、ついにキーボードを前に、まったく手が動かなくなってしまったのだ。「ソースコードを書かなければ」という、脅迫観念に近い気持ちはあるのだが、頭の中にモヤがかかってしまったように、それ以上先へとまったく進めない。いや、考えられないといった方が正しかったのかもしれない。

 俺はもう、限界だった。ここ数カ月、ずっと戦い続けてきた。自らに課せられた義務を果たしてきた。そのつもりだった。しかし、それは本当だろうか? 分からなかった。そもそも何をどこまでやればよいのか、まともに定まっていないのだ。ただひたすら、前へ前へ、戦い続けるしかなかった。そしてそんな日々に、俺はこれ以上、耐えられなくなった。ただ、それだけだった。

 そんな満身創痍の状態で、俺はめし屋を探していた。「これが最後のめしになるかもしれない」そんな言葉が、脳の片隅にこびりついて離れなかった。

 渋谷という街はすべてが装飾過剰だ。まぶしいネオンの看板が立ち並び、飲み屋の呼び込みがひっきりなしに通行人に声をかける。うっとうしいことこの上なかった。俺はもともと酒が飲める方じゃない。加えてこの体調だ。今はうどんすら食べようという気にならない。なぜ俺は今、こんな街に居るんだろう……? もはや、すべてがどうでもよいことのように思えた。

 俺はふらつきながらも、この街で最後になるかもしれない『めし』のテーマを決めていた。それはズバリ、『エビ』だった。

 理由は単純だ。今でも大好きな、アニメヒロインの大好物が『エビ』だった、それだけのことだ。それ以上でも、イカでもなかった。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれない。だがそのときの俺は、海から遠く離れたこの街で、最後に食べるのならせめて、彼女の好物を食べてやりたい、そう思っていた。

 最初に目に入ったのは回転寿司屋だった。寿司屋なら、エビに不足することはない。ファンとしてアリなのかは疑問が残るが、個人的な好物であるイカを摂取することもできる。

 うん、寿司。いいじゃないか。

 だが、その回転寿司屋は、雰囲気がどうも俺の好みではなかった。外国人たちが楽しげに謎の創作寿司を頬張っており、気だるげな板前がいい加減に仕事をしていた。最期のめしにするには、その光景はあまりに残酷すぎる。

 俺はその店をスルーし、細い横道へと入っていった。ピンク色のネオンが輝く、見るからに怪しげな店が立ち並ぶ中で、あずき色ののれんが1軒、ぽつんと浮いていた。俺は吸い込まれるように、その店へと近づいていった。

その店は、一言で言うなら、駅前の立ち食いそば屋のような店構えだった。席はカウンターのみ。お世辞にもすわり心地がよさそうとはいえない、丸い椅子。カウンターの中では白い帽子をかぶった職人がせわしなく動き、切り取った何かを素早く握ると、客の目の前に2つ、きれいに置いた。

「寿司屋……?」

俺はもう一度のれんを確認した。『◯鮨』と大きな筆文字で書いてある。どうやら店名の通り、寿司屋のようだ。

 よく見ると、店の外には独特の文字で書かれた、季節のネタの品書きが踊っている。値段もリーズナブルだ。どうして俺はこんな店に今まで気がつかなかったのだろう。たしかに目立つ店ではないが、なんともいいオーラが出てるじゃないか。よし。ここだ。ここしかない。

 俺は決意を固め、引き戸をくぐった。「いらっしゃいませー!!」なんとも威勢のいい掛け声だ。俺は案内されるまま、手近な椅子へと腰掛けた。

 「飲み物はいかがいたしますか?」

 まっさきに浴びせられた唐突な質問に、俺はキョトンとしてしまった。脳が弱っているせいか、言葉の意味がよく分からない。飲み物? いったいどういうことだろう。水? お茶? それともお茶の種類が選べるということか? ほうじ茶とか?

 答えに窮している俺の様子を察してか、50代とおぼしき板前さんは言葉を続けた。

 「アガリの他にも、ビール、日本酒なども各種そろえてますよ」

 そうか! 酒を飲むかどうかを聞かれていたのか! そうかそうか、ここはそういう店なんだな。しかし今の俺は酒を飲めるような状態じゃない。俺はマスクを外しつつ、答えた。

 「……それじゃ、アガリお願いします」

 「はい、アガリ一丁!!」

 相変わらず威勢がいい。俺もなぜだか背筋を伸ばさなければいけないような、そんな気持ちになってくる。

 ほどなくしてアツしぼと湯のみが運ばれてきた。早速一口いただく。……うん、うまい。体の底から温まる。にしても、寿司屋のお茶はなんでこんなにうまいんだろうな。不思議だ。

 しかし、今の俺にはそんな疑問に答える余裕などない。手元の品書きには、どうやら本日のおすすめが書かれているようだ。生サバ、スズキ、イワシ、スルメイカ、車エビ、鱈白子……うん、どれもうまそうだ。

 自称・寿司通に言わせると、注文の仕方にはいわゆる「セオリー」があるらしい。だが俺は、好きなものを好きな順番で頼んでこそ、うまい寿司を心の底から楽しめると思っている。人間誰しも好きなネタや苦手なネタがあるだろう。だが、寿司屋でくらい、好きなネタだけを好きなだけ、存分に楽しみたいじゃないか。俺は「ゲタ」と呼ばれる寿司板が置かれると同時に、目星をつけていた品を注文した。

 「スルメイカ、スズキ、あと生サバをお願いします」

 「あいよー! イカとスズキ、生サバね!!」

 年配の板さんは手馴れた手つきでガラス張りの冷蔵室からイカの切り身を取り出すと、薄く切り、それに細かく切れ目を入れ始めた。うんうん。こういう細かい仕事が、うれしいんだよな。

 俺は寿司屋にくる度につい、昔テレビでやっていた少年マンガ原作の、寿司職人ドラマのことを思い出してしまう。親の後を継ぐために主人公の少年が東京の名店に弟子入りするのだが、その兄弟子が子供心にも、カタギとは思えないような顔をしていて、包丁の背で殴る蹴る、バイクでマグロを轢いたり、なにかとすごいことをしていたのだ。

 その兄弟子や、同業の悪徳業者にいろいろな嫌がらせを受けながらも、主人公は逆境をバネに、努力を重ね、ライバルたちと友情を育み、寿司勝負を勝ち抜き日本一になる……たしかそんな話だったような気がする。

 ドラマはいかにもドラマといった話だったが、この年配の板前さんにも、何かそういうつらい修行時代の話があったりするのだろうか……

 「スルメイカお待ち! 兄ちゃん、これは塩が振ってあるから、そのまま食べてね!」

  • スルメイカ (300円)
    • 塩とレモンの振られたイカの身が2つ、そして甘辛いツメの塗られたゲソがついて計3つ

 塩、塩か…… いきなり意表をつかれたぞ しかもイカの身だけではなく、ゲソもついてくるとは…… だが、これはうれしいサプライズだ 早速本体の方からいただくとしよう

 うん! 塩がイカの身の甘みを引き出し、レモン汁がそれに爽やかさを加えている…… これはうまい! いきなりの変化球にはとまどったが ど真ん中の、ストライクだ!! 

 続いて…… そうだな、やはりこのゲソは気になる…… 塩とレモンの本体と違い、煮詰めのタレが塗られている セオリーからは外れているのかもしれんが、やはりここはいかざるをえないだろう イカだけに イカんでしょ イカんでしょ

 うん 思ったとおりの味だ ゲソの独特の食感と甘辛いタレが 夜店で食べる焼きイカを思い出させる これも正解だった 

 「ハイ、続いてスズキと生サバね!」

  • スズキ (400円)
    • 純白の白身が美しい 皮の下がキラキラと虹色に輝いている
  • 生サバ (300円)
    • シメサバと違い、酢で締められていない、生のサバ。脂がたっぷり乗っている

 おおっと 援軍が最高のタイミングで来たな お茶で口の中を一度リセットして……よし、まずは白身の方からだ

 うんうん これだよこれ まさに白身 うまい白身ってうまさだ あっさりでもこってりでもない この独特の脂加減を味わうには やっぱ寿司って最適解だよな ワサビの辛味がツーンと抜けていくのもたまらない

 とことん行儀悪く次は生サバといこう 生サバ 生サバってのがまずちょっと違うよな シメサバはたまにとんでもなく酸っぱいのがあるからな 加減が難しいんだ その点生サバはどうだ?

 これは濃厚だ! まさに脂って感じの脂だ 白身魚の品のある脂と比べると、これはまさしく口の中を直撃する脂の旨さだ うぉォン これは止まらんぞ

 「すみません、あと甘エビとカツオ、それと白子に車エビをください」

……

Jさん「くうー!! たまらんわー!! わいも今すぐ寿司、食いとうなったわ!!」

Tさん「ええ!! リーズナブルな回転寿司も日常使いにはいいですが、ここぞという時にチャージをためて行く特別な寿司屋が1つあると、リリースしたときの炸裂具合は、正直たまりませんよ!」

Jさん「分かる、分かるでー!!」

竹金「(チャージ……? 炸裂……?)」

Iさん「私は結局そのお店でお腹いっぱいになるまで寿司を堪能してしまったのですが、支払いは技術書二冊分くらいに収まりました。後から知ったのですが、どうやらそこそこの値段で良いお寿司を出してくれる、知る人ぞ知る優良店だったようです」

Jさん「ええな!! こんどその店、紹介してーな!!」

Iさん「はい。そしてすっかり食べ過ぎてしまった私は、板前さんにお勘定をお願いしました。その時に言われた言葉は、今でも忘れられません」

……

 「ごちそうさまでした! お勘定お願いします」

 「はいよ! にしてもあんちゃん、いい顔になったな!!」

 「えっ……?」

……

Jさん「『いい顔』か……ええ話やなぁ………」

Iさん「今思えばですが、もしかしたらその板前さんには、私がいろいろなものを抱えて潰れかけていたことが、長年の経験から、うっすらと分かっていたのかもしれません」

Tさん「いろいろなお客さんを見てきた職人さんには、そういった方がいらっしゃると聞きますからね……きっとその板前さんも、自分の寿司で笑顔になってくれたあなたのことが、すごくうれしかったんだと思いますよ」

Iさん「はい、そうだといいなと思います。そして支払いを済ませ、店を出たのですが、さらに不思議なことが起こりました。腹いっぱいになるまで寿司を食べたのに、なぜか私の体調が、非常に良くなっていたのです。そして『もうこれ以上は絶対に無理だ』と思っていた仕事についても、『どうにかまだやれるんじゃないか』『なんとかなるんじゃないか』と、前向きに考えられるようになっていました。精神的にも肉体的にも、プラスの効果が得られたのです」

Tさん「たしかに不思議な話ですが……うまいものを食べると、人間は各種脳内物質が分泌されると言われています。なのでうまいものを食べたことによって、回復効果が得られたというのは、あながち不思議でないのかもしれません」

Jさん「ああ。人間つうものは、みんな、うまいものを食えば笑顔になるからな。笑顔は人を幸せにするというし、うまいものを食って幸せになるのは、自然の摂理なのかもしれん」

Iさん「そうなんです。私が職場に戻りながらの道のりで考えたのは、そこなんです。あの板前さんは、自分の寿司の技術を使い、確かに、私を幸せにしてくれました。そこで思ったんです。『私の技術は、誰かを幸せにできているんだろうか?』と……」

Jさん「たしかに、この業界の技術の進化速度は凄まじいわ。だが、その技術で『本当に誰かを幸せにできているのか?』と問われると、たしかに答えに窮するわな……」

Tさん「個人としては優秀なエンジニアでも、自己満足のために技術を使っているような人は、少なからずいますからね……」

Iさん「はい。私はそこで思ったんです。技術を学ぶことも、知識を得ることも、素晴らしいことです。でも私は、それまでただ『技術を学びたい』というだけだったのだと。ですが、この一件がきっかけで、私は自分の技術を『誰かを幸せにするために使いたい』『誰かを自分の技術で少しでも幸せにできるような、そんなエンジニアになりたい』そう思うようになったんです。それを気づかせてくれたのが、あの寿司職人さんと、私のエンジニアめし『寿司』なんです」

Tさん「そうだったんですか……素晴らしい話です……」

Jさん「ああ……最初はお高く止まったグルメ気取りの若造かと思ってたが…… 本当に、すまんかった!! この通りや!!」

Iさん「Jさん、頭をあげてください。私も高級な寿司は正直いって、あまり好きじゃありませんから(ニコリ)」

竹金「素晴らしいお話をありがとうございました。Iさんのお話も、心に訴えかけてくる素晴らしいエピソードだったと思います。次で最後となってしまうのは、まことに名残惜しいのですが、Jさん。最後にあなたの『エンジニアめし』についてのお話を、よろしくお願いいたします」

Jさん「そやな……あんな話の後では、ちと話しづらいんやが……わてのエンジニアめしは……『ラーメン』や」

Iさん・Tさん「「『ラーメン』……!?」」

つづく

参考文献: 孤独のグルメ

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