キャリアアップの正体
お疲れさまです。ちょりぽんです。
5回目の投稿です。今回はキャリアアップについて掘り下げます。
■まず己を知る
過去の記事で述べましたが、わたしには『1人で何でもできたらカッコイイ』という思いが根底にあり、これを目指すことがモチベーションを支える柱の1つになっています。何でもやりたい一方で、特定のポジションのみを追求してきたスペシャリストと比較しても、遜色ない実力を有したいという信念も同時に持っています。
エンジニアにとって、広い視野で自分のランクを認識することは重要です(特定派遣なら特に)。その分析の一環として、わたしはプロジェクトでのポジションに関わらず各メンバーの能力と自分のそれとをよく比較します。相手にできて自分にできないことは何か、その差を埋めるために何が必要か、などを無意識のうちに考える癖があります。
業界全体での自分のランクを知りたいところですが、まずは身近な集団の中で己を知ることが最初のステップです。
■競争のボーダーレス化
誰しも『この人はすごい!』と思えるエンジニアに出会っていると思います。わたしはその相手が一回り年上であろうが歴戦のキャリアであろうが関係なく、前述の比較対象に含めています。なぜなら、今や万人に対し、有用なコンテンツが多数公開されており、明日から実践できるノウハウが無料で学べる基盤があるからです。勉強した分だけ知識が増えるという素晴らしい環境の中で、経歴年数や力量の差は簡単にひっくり返る可能性があると考えています(もちろん実践してこそ“実”となるわけですが)。
仮に、仕事とプライベートとを明確に切り分け、自宅ではIT関連の情報を一切調べないとしましょう。ですが、今やエンジニア個人の競争にボーダーはありません。あなたがテレビを見てくつろいでいる間に、ライバルは新たな知識を身につけています。自宅に居ながら、簡単にそれができるのです。
■好きでやってる奴が強い
前述の通り競争はボーダーレスです。よほどの天才でなければ、余暇を割いての学習は必須といえるわけですが、ここで重要なのはプライベートを割くことに対する動機付けです。
前回の投稿で“学ぶためのスキル”について述べましたが、これは本項と密接に関連します。ここでキャリアアップをロールプレイングゲームに例えてみましょう。
スライム1匹を倒して経験値2が得られる勇者Aさんと、1しか得られない勇者Bさんがいたとします。単純にAさんは2倍の経験値が得られるのですから、Bさんより早くレベルアップ(キャリアアップ)します。ですが2人とも永遠とスライムばかりを倒し続けるわけではありません。早々にレベルアップを果たしたAさんは、より強いモンスター(高度な要求スキルのポジション)にチャレンジできます。そして多くの経験値を獲得できる体質ですから、強いモンスターから多くの経験値を得てレベルアップを果たし、さらに強いモンスターへと挑戦し続けます。
つまりAさんとBさんの実力は、相乗的に差が付いていくのです。この経験値2と1との違いは個人の適性も大切ですが、経験からどれだけのことを吸収できるかの“学ぶスキル”と、『この仕事を好きでやっているか』の違いが大きいと思います。
命令に従って嫌々やってる人より、好きでやってる人が伸びるんです。従って教育担当が第一に教えることは『この仕事の楽しさ』であるべき。そして、この仕事が好きな者同士の差を決めるのが“学ぶためのスキル”であると考えています。
■“転換”ではなく“拡大”
PG経験を経てSE、さらにPLやPMに推移するキャリアパスが一般的に思いますが、これからの若手にはこれを鵜呑みにして欲しくありません。わたしの思うキャリアアップとは、ポジションの“拡大”です。つまりSEはプログラミングも遂行でき、PLもソースのリファクタリングができ、いざとなったら自分で修正もできる。設計に不備を見つけたなら適切な形に再設計もできる。作業工程の順序は優越ではないのですから、何かを得る度に何かを捨てるのは、キャリアアップではないと考えます。担当業務を“拡大”してきた者が高い報酬を得ることは自然な流れであり、誰もが納得できることではないでしょうか。
プロジェクトにおいて、フェイズが変わる度に人員が整理されることはコストに繋がります。新しい参画者への説明や、それに必要な資料の作成など、人が入れ換わる際は無視できないボトルネックが発生します。ユーザーゴールを理解していて、これまでの背景もひっくるめて理解している者が一貫して開発を行うことがベストです。従って余程尖っていない限り、スポット的ポジションは基本的に必要ないと思っています。
■責任の考え方
スポット的な参画では、最終的に自分の仕事がどのような成果を生んだのかを正確に判断できません。撤退時に満足していても、エンドユーザーの利益に繋がらなければただの自己満足です。上流から下流まで一環して関わることで、前工程での不備が自己にフィードバックされ、そこで得たノウハウが“洗練”へと繋がるのです。
つまり『プロジェクトの全体を見ずして、自分の仕事を洗練することは困難』だということです。いわれた通りに作業を遂行してもベストとはいえませんし、いろいろ意見を出して仕様を改善したとしても、最終的にエンドユーザーの利益に繋がったかを知らなければ自分の仕事が妥当だったかを判定できません。このような状態では次の案件に活かせるノウハウも減り、エンドユーザーの満足から遠ざかります。
自分の成果がエンドユーザーに喜ばれないとしたら、それは悲しいことです。ただでさえ、人の喜ぶ顔が見えにくい商売です。どんな状況(ポジション)で参画しようとも、ユーザーゴールに直結するシステム作りに貢献することがわたしの思う”責任”であり、始めから最後まで参画することで、この責任を最大限に全うできるのです。
■できないことをヤル!
新たなポジションが経験できるチャンスを『やったことないから……』と言って敬遠する人を見かけることがあります。この『やったことないから』という思考は生涯ループしますし、『では、いつやるのか?』という問いにも答えられないでしょう。会社に迷惑を掛けたくないから『自信が付いたらやる』という考えもあるでしょうが、そのジャッジはいつ誰が、どのように判定できるのでしょうか。失敗しても誰かが死ぬわけではない(人命に影響するシステムを除く)ので、今すぐ挑戦すべきです。
新入社員の頃は全てが初めての経験なのですから、この『やったことないから』という思考はなかった筈です。仕事に小慣れてくるうちに忘れてしまうんですね。技術はどんどん進歩していくので、エンジニアは生涯この時のチャレンジ精神を失ってはならないと思います。
今まで触ったことのない開発言語に挑戦する際も同じことがいえます。最低でもオブジェクト指向を理解していれば、新たな言語への挑戦は大した苦労ではありません。むしろ出来て当然で、気にするべきところは高い生産性が出せるかでしょう。予習を充分に行える環境もあるわけですし。
■理想論に非ず
ポジションによる区分けは誰かが勝手に決めたことで、基準単価を決める指針でしかないと思っています。
キャリアアップを担当業務の“拡大”としたとき、個人のキャパシティがもたないという考え方もあるでしょう。ですが、個人のキャパシティは無理にでも広げなければ広がらないものです。
常に限界以上の仕事をし続けることで、己のキャパシティは拡大するのです。わたしは仕事で余裕が出てくると、たとえようのない不安に襲われます。20代に胃潰瘍になったこともありましたが、今では『ちょっと大変かも』くらいの作業負荷がなければ落ち着いて晩酌もできないような体質になってしまいました(もちろん残業はしない)。
部活動でこういう経験はないでしょうか。もうヘトヘトなのに『あと50mダッシュ10本!』とか。最初は絶対無理だと思っているのですが、やり始めると案外なんとかなるんですよね。やがて基礎体力が高まりこなせるようになりますが、仕事においても同じことがいえます。やり始めるからこそゴールが生じ、やろうとしない者に成長はないのです。
これまでできなかったことができるようになる感動を、引退するまで味わい続けることができる。これこそIT業界が持つ最大の魅力です。
わたし自身まだ成長の途中ですが、本記事に記した内容は凡夫中の凡夫であるわたしですら実践できていることです。ですので決して絵に描いた理想ではありません。この記事で訴えたいことは、あらゆる意味で境界線を設けるなというボーダーレス精神です。仕事と生き方は切り離せないものですから、どうせなら自分の仕事がプロジェクト全体に及ぶものでなければつまらないでしょう。
■まとめ
売れっ子エンジニアになるには“広く深く”を目指しましょう。それがエンドユーザーの利益になりますし、自分の生活水準を向上させることにも繋がります。ここで重要なのは“広く浅く”にならないよう注意することです(何もできないのと同じ)。まずは1本、誇れる飯の種を築いた後で守備範囲を広げることが地に足のついたキャリアパスだと思います。さらに、冒頭で述べたようにチームメンバーと自分とを比較して、足りないものを補う努力も欠かせません。
個人のキャパシティは他人が決めることではありません。この仕事が好きであれば、なんでもやってやる!という気概を持てばハッピーになれます。
発注側にとって、わたしの職務経歴書はインパクトが強いようです。『何でもやってる=何もできないのではないか』という先入観を、良い意味で裏切ったときの感覚はテキストでは表せません。システム開発に一環して携わってくれるプロフェッショナルはエンドユーザーからの信頼も厚くなるので、プロジェクトが終了するまでは手放せない存在になります(当然、高い単価が望めます)。これは安くて重宝されるエンジニアとは一線を画すものであり、得られる報酬は真の能力給に限りなく近いものです。業務改革のために、最後まで本気で付き合いたいとユーザーが望んでくれるわけです。
これからの若手は“なんでもやってやる!”という情熱で仕事に励んで欲しいと思います。やったことのないポジションや新たな開発言語など、さまざまなものを”やろうとする”ことが肝要で、実際にやることでキャパが広がる。情報は溢れているのだから自分から学ばない手はない。
人手不足などと囁かれているのは、要するに“本物不足”です。ユーザーと視界を共有し、プロジェクト全体を評価・牽引でき、案件に依存しない多用なスキルを駆使して物が作れ、かつミスの少ない“本物”を発注側は求めています。ただでさえ発注側はハズレのエンジニアを引くリスクを負っていますから、堂々と『俺でどうだ!』と参画しようじゃありませんか。
繰り返しになりますが、全工程を経験することで各工程での仕事が洗練されます。そして、そのようなキャリアを積んだ人の市場価値は非常に高い。何より特定派遣エンジニアの立場でありながら、プロジェクトの中心人物として舵取りをする醍醐味は、それまでの仕事観を変えてしまうほど爽快なものです。現在スポット的な参画で活躍されてるエンジニアも、ぜひ“マルチ”を目指して欲しいものです。
最新の投稿
コメント
ビガー
ビガーです。こんばんは。
いやはや、失礼ながら考え方やアプローチが怖いくらい自分と同じなので、
ちょっとビックリしました。
>プロジェクトが終了するまでは手放せない存在になります(当然、高い単価が望めます)。
ここの考え方だけ少々違いがあるかと。
手放せない状態には敢えてしないようにしています。そのためには、要件から実装までをトレース可能なドキュメントやシステムアーキテクチャ実装ポリシーを現場の一番見込みのある人に委譲できるよう活動しています。プロジェクトが安全領域に達したら、即撤退してきました。
金額は、残った方が良いのは当たり前なのですが、スキル獲得優先ですね。
ビガーさん、こんばんは。
>現場の一番見込みのある人に委譲できるよう活動しています。プロジェクトが安全領域に達したら、即撤退してきました。
極論を言えば、明日大怪我をして入院する可能性もあるわけですから、仕事の属人性は日頃から解消しておくべきですね(能力の違いは埋められませんけど・・・)。ですので概ね相違の無いところですが、私とは些細な違いがあります。
私は自社を成長させるというミッションも同時に抱えています。初めての取引となる大企業との引き合いに成功した際、私が先発隊として現場に参画することで自社の評価を上げ、若い後輩をどんどん送り込めるような関係構築をすることが私のミッションです。
ですので私一人の利害では判断できず、またするべきでもなく、状況を判断して私のタスクを後輩に分けてきました。この辺は『あんたがやったほうが早いじゃん』と突っ込まれないよう、テクニカルスキルとは別のスキルを駆使してコントロールしていますが。
つまりビガーさんの主張に加え、後輩にとって成長できる要素が残っているのかも撤退時の判断になります。(念の為申し上げますが、これは優越を説いているのではなく、あくまで立場の違いを示すものです)
ビガーさんも最初からフリーではなかったでしょうから、ご理解いただけるかと思います。如何でしょうか。
ちなみに私が居なくても困らない状況になってなお、継続したいと言ってくれるユーザーさんもいます。しかし、ここは冷静に考え、自社の利益を優先した行動をしています。
余談ですが、保守以外の全工程を担当するので私の参画スパンは年単位になります。ですので毎度毎度、名残惜しい思いで撤退しており、現場によっては泣きそうになる事もあります(笑)
ビガー
ビガーです。おはようございます。
>初めての取引となる大企業との引き合いに成功した際、私が先発隊として現場に
>参画することで自社の評価を上げ、若い後輩をどんどん送り込めるような
>関係構築をすることが私のミッションです。
なるほど、それは難しそうですね。私の場合は、フリーになる前は自社開発しか経験していないので、後発隊を送り込むという動きは、まったくの未経験です。
タスクを誰に振るかを戦略的に考える要素が増えるということでしょうか。経験してみたいなぁ。
>ちなみに私が居なくても困らない状況になってなお、継続したいと言って
>くれるユーザーさんもいます。しかし、ここは冷静に考え、自社の利益を
>優先した行動をしています。
そういう瞬間は素直に嬉しいですよね。フリーの場合は、会社間のいろんなシガラミみたいなものがないので、退場後もちょくちょくオファーを頂くことがあるのですが、嬉しい反面、有意義な成果物や教育ができなかったと反省しています。
サイクルの話は、いろいろな事情があるということで。