地方で暮らすということ
■はじめに
約1年間もごぶさたしてしまいました。修行中のひつじです。こんにちは。先日、コラムニストカード(コラムニストがもらえる名刺みたいなカード)をいただいたのを機に、再び筆を執りました。あらためて、よろしくお願いいたします。
■「地方で暮らす」とは?
一応、「大都会」である札幌を離れて、現在の街で暮らして足かけ5年。仕事自体は、いわゆる大手企業の支店・営業所に当たるため、さして首都圏や札幌と変化があるわけではありません。場所柄、大企業の北海道事業所が多く、いわゆる「支店経済」に近い一面も大きいです。
私自身、中堅企業や中小企業勤務のときに比べると、正直仕事のレベルの高さを感じることは多々あります。そのため、地元の中小企業に勤める人よりは、実感として地方の厳しさを感じることは少ないように思えます。
※札幌も、首都圏から見ると十分「地方」ではありますが。
それでも、街を歩いてみると十二分に地方の現実を感じることとなります。すっかり慣れてしまいましたが、いわゆる「シャッター通り商店街」。生活感の無い以上に、かつて中学~高校と過ごし、多少なりとも栄えていた時代を知っていると、さびしさ以上のつらさをひしひしと感じます。
近くに、小さいながらオフィス街があっても、昼食時に外へ昼食に出かける光景はあまり見かけません。皆さん、お弁当なのでしょうか……。むしろ、郊外の牛丼店やファミレスにサラリーマンの姿をよく見かけます。地元の方は、昔ながらの定食店へ外回り中に立ち寄るようです。
一歩郊外に転じてみると、勤務先のショッピングセンターを中心とした郊外型のお店のオンパレードです。ヤマダ電機とケーズデンキが近くで火花を散らしているのも、牛丼チェーン店に家族連れ用の席があるのも、土日に「どこから来たの?」と思うくらいの車で渋滞するのも、すっかり見慣れてしまいました。郊外型のお店の店頭に無秩序に並ぶ高校生の自転車も、轟音を立てる「ヤン車」も今となっては風物詩です……。
そんな郊外型のお店も、いわゆる「転勤族」にとっては命綱です。たとえ、品ぞろえが少なくても、ショッピングセンターのスタバに駅ビルやファッションビルと違う空気を感じても、見慣れたお店の名前を見るだけで安心感を感じる…そんな気持ちです。悲しいことに、休日に勤務先の親しい同僚や上司と顔を合わせるのも、よくあることです。
■地方の「IT」
一般的に「SE」「システムエンジニア」という職種の人たちを見かけるのは、地元の第三セクターの「電子計算機センター」と呼ばれる施設や企業です。主に市や商工会議所、ガス会社やバス会社、信金や信組などの古くから大量の電算処理を必要としてきたユーザーを顧客としています。私の暮らす街にも、社員数150人規模の同種の会社があるほか、信金OBの派遣や保険サービスを行う会社に信金のシステム部門が切り離された形で存在しています。
他には、工場や大企業の事業所内に「システム課」や「システム担当」という形で、いわゆる「社内SE」が存在しますが、これらはごく少数です。多くの企業は、管理部門の従業員がシステム担当を兼ねたり、あるいはそれ自体が存在しない、もっとも多いのはWord、Excel、会計ソフトといったパッケージソフトを使うのみの企業でしょうか。
仕事を探しに、真っ先にハローワークへ「ITの仕事がしたいのだけど……」と相談へ訪れると、一様に厳しい反応です。「仕事自体存在しない」のが当たり前、前述の企業に欠員があればすぐに応募を勧められるくらい、求人自体が存在しません。もっとも、事務機販売の営業職で、PCのセットアップや複合機の設定、トラブルシューティング、簡単な修理等のCE業務を兼ねた仕事を勧められたことはあります。ちなみに、現職に就いたためにこの話はお断りしてしまいましたが……。
もう1つ、一般論的に「IT」への強い拒絶感を感じることもあります。マスメディアのステレオタイプの話が直接的なイメージとなっているらしく、「ホリエモン」や「奥菜恵の元旦那」のイメージで語られる場面は多いです……。私自身、「ちゃんと仕事していなかったんじゃないの?」なんて、最初のころはよく言われました。最近は、なぜか「GREEの社長」の話題が出ます。労せずして大金を手にしたというイメージがあるようです。「また、ホリエモンみたいなのが出たか」といった感覚です。このような反応は、決して年長者だけではないのが不思議なところです。
いわゆる「IT業界」の多くがシステム・インテグレーションで構成されているものという認識が大きいとは思いますが、そのような仕事自体が多くの人たちにはイメージしづらいのは事実かもしれません。悲しいことに、地元に帰ってくる人の話を聞くたびに「ITの仕事していて、長時間労働で身体を壊した……」という文脈の話を聞くことも少なくありません。
■「内向き志向」とはまったく別の世界
そもそも、「内向き志向」という言葉自体が地方には似つかわしくないかもしれません。
もともと、地方に狭さや閉塞感を感じている人は、進学や就職で地方を離れてしまいます。特に、ノーベル賞受賞者を輩出したわが母校(出身高校)では、卒業生の9割以上が進学で地元を離れていました。首都圏へも卒業生の3割が向かいます。私の世代でも、海外へ数人が旅立ちました。Facebookで思わぬ再会をした元クラスメイトはオーストラリア在住、他にも地方紙の紙面を海外在住の卒業生の名前が紙面を飾ることは、少なくありません。
職場の従業員の話でも、(場所柄、そういった年代の人たちは「お子さま」でもあります)本質的なところは10年ほど前の私の年代とも大きな変化を感じることはありません。むしろ、「内向き志向」という言葉で、海外に必要以上にフォーカスが移ってしまい、地方に眼を向ける人が少なくなることを個人的には危惧しています。
地方の良さとして、挙げておきたいことの1つとして、絶妙な距離感があります。一般的に「県庁所在地クラス」と呼ばれる、人口10万人台~30万人台の地方都市。多少の「車社会」を覚悟すれば、行きたいところへすぐに行けてしまう。Face To Faceのお付き合いが残っていて、何かあっても、すぐに駆けつけてくれる。人付き合いでも、仕事でも、せわしなさもなく、狭苦しさもあまり感じず……といった距離感があります。
もっとも、地縁の強い地域もありますので、一概にそうとは言い切れない一面もありますが、一度この絶妙な距離感に慣れてしまうと、首都圏へ出かけた際などに、言葉にできないような辛さを感じることがあります。
■あとがきにかえて
実は、このコラムは鹿島和郎(かしまかずお)さんの「海外に住みたい!?」に触発されて執筆しました。
もし、いまの住環境や労働環境がなじめない……と考えている際に、ぜひ地方にも眼を向けてもらえればという個人的な思いがあります。
正直なところ、地方が疲弊した状態にあることは認めるところであります。私の暮らす北海道でも、過去10年間で数万人の人が北海道を離れています。それでも、私はこの北海道という土地が大好きです。地方の現実に多少辛くなることもありますが、それでも気持ちは変わりません。
きっと、東北にも、北陸にも、中国にも、四国にも、九州にも、同じようにその土地を愛する数多くの人がいます。そして、あなたの水に合う土地があるかもしれません。目指すキャリアに一直線に向かう生き方や、海外を目指す生き方とまた別の生き方があるかもしれません。
地方へUターンやIターンする背中を押すことができるほど、私に力はありません。でも、ずっと好きになれる場所や生き方が、決して海外だけに存在しないことに気付いてもらえれば……と、ささやかながら思います。