アラサーの元ITエンジニア(現 事務職)が異業種から「その先」を考えます。

ITエンジニア時代を振り返る(2)~カオスへの突入~

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 2009年も6月に入りました。わたしにとっては20代最後の年もすでに後半戦です。本州各地では、梅雨の季節に入りました。本来ならば、さわやかな天気が続くはずの北海道。しかし、わたしの暮らす街は9月半ばごろまで続く海霧の季節に入りました。梅雨とはまた違うのですが、なかなかうんざりする季節でもあります。

 今回は、そんな海霧のように、前が徐々に見えなくなっていったITエンジニア2年目のお話です。

■対症療法~カオスの本編へ~

 2年目の春は、異動先の部署でスタートしました。入社してから3人目の上司から与えられた仕事は、導入の滞っていた自治体に福祉業務システムを導入することでした。システム自体は、すでに他社のパッケージを購入済、しかもすでに自社の総合行政システムとの連携も動作実績がある……という触れ込みでした。しかし、それはふたを開けてみると実用に耐えないとんでもないものでした。

 少なくとも、引き継いだ時点で3点の大きな問題がありました。

  1. 手当などの受給資格判定のロジックが、法規で指定された計算方法に準拠していない
  2. 本来連携できるはずの自社の総合行政システムから、計算に必要な税額データを取得できない自治体が存在する
  3. 受給者証や認定証の印刷位置がずれて、実用にならない

 言うまでもなく、このような問題を抱えていたことから、導入途中で頓挫していたのでした。

  1. の問題は、外注にて作成した別プログラムにデータを渡し、再びパッケージに取り込むことで解決
  2. の問題は、パッケージ開発元から修正モジュールを提供済
  3. の問題は、印刷位置のずれる特定メーカーのプリンタでの出力を止める

という対症療法が用意されていました。

 それから3カ月先まで、北海道内を300km以上移動する旅を続けました。ペーパードライバーのわたしは、ひたすらJRと高速バスを組み合わせて行脚を続けます。行脚する先々で、上記の対症療法に対して「責任逃れ」との激しい突き上げに遭います。

 ある地方の自治体では、電算室に監禁されて、激しい突き上げに遭いました。携帯電話にて上司やパッケージ開発元に連絡して電話に出てもらい、2時間ほど説得した結果「次回にパッケージ開発元の担当者と営業部長を連れてくる」との約束で解放されました。解放された後、偶然にもJRに接続するバスが30分後にあり、逃げ帰るように札幌に帰りました。バスの道中で泣いたのは大変お恥ずかしい話ですが、今でも忘れられません。

■衝撃的なクレーム

 もう1つ、同時期に札幌近郊にあるY町の福祉施設のシステムも担当していました。システムのちょっとした不具合を契機に、無償にて標準では導入されない機能を無償で導入するよう要求されたり、サプライ品を無償で納入するよう要求され、営業担当者はこの要求を飲んでいたのです。会社にとって命題であった営業目標の達成のため、営業担当者はクレームをひた隠しにしていたのでした。

 その施設の担当者は出向してきたY町職員でした。年齢は、ちょうど今のわたしの年齢と同じです。言葉の節々に、本来は非常に優秀な役場職員であったことを伺わせるものがありました。

 しかし、ひとたびシステムの内容に触れると、一変して厳しい要求を突きつけられました。在社中にFAXにて要求事項が送られてくるのは、日常茶飯事。わたし自身も、販売ヘルパーのアルバイト経験がありましたので、多少は厳しい言葉や要求にも慣れていました。

 しかし、ある振替休日の明けた日、受け取ったFAXを前に身の凍る思いをしました。

 そこには、わたしのコンプレックスをあざ笑う言葉が書き連ねられていました。

 あまりのショックで、その日は仕事が手につかず、翌日・翌々日と生まれて初めて欠勤しました。

 さすがにこのようなFAXが届いた事態は重く、わたしの手を離れてこの問題は解決が図られることになります。わたしが退職した後に、人づてに他社のパッケージに変更されたこと、そして当時の担当者が出向を解かれ、課長職となったことを知りました。

■事態は混沌と

 その後も、次々とやってくる仕事に追われます。時間外手当は出ましたが、残業食やタクシー移動で足が出ていく状況。ノートPCの持ち出し規定が厳しくなり、「持ち帰り残業」もできなくなりました。対顧客のストレスは減ったものの、混沌とした状況下で社内の協力会社のスタッフから突き上げに遭うことも次第に増えてきました。

 休憩中に雑談混じりで不満点を聞いてみたり、親しい協力会社のスタッフの方と食べ飲みしたりと、当時のわたしとしては精いっぱい「なんとかしよう」と試みました。いま思えば、いわゆる「上から目線」(個人的には嫌いな言葉です)であったかもしれません。そして、契約途中で去る方も現れ始めまし た。

 そんなある日、仕事中に突然しゃっくりが止まらなくなります。トイレの中で倒れましたが、誰も気づきません。早退の手続きを取って、病院へ。原因不明の胃腸炎にて半日入院となりました。2日間ほど何も食べられず、大変な思いをしました。

 そして、次第に出社できないことが起こるようになりました。これを契機に、心療内科へ定期的に通院を始め、服薬するようになります。

 これが、約3年半の通院生活のスタートでした。薬をもらうようになって、原因不明の体調不良はなくなりましたが、今度は精神的に沈むことが多くなり、変調をきたすことになります。

 そんなある日、再び異動が決まりました。次は、住基ネットの保守作業担当でした。上司も替わり、はじめて同期の社員のいる部署へ移ります。このときは、まさか同僚から子供のような「社内いじめ」を受けるとは思いもしませんでした……。

 詳しい話は、次回にしましょう。

 次回は、ITエンジニア3年目についてお話ししていきます。人生初の大きな「経験」についても当時の手記を交えながらお届けしたいと考えています。(次回もネガティブな内容です。ポジティブな話はもう少し先になります……)

Comment(1)

コメント

インドリ

それは大変でしたね・・・過去の私とダブります。
こういうのって文章では伝わり難いですが、当人にとっては大事件なんですよね。
もしかしたら、ブラック企業未体験の方々から厳しいコメントが来るかもしれませんが頑張ってください。
次のコラム楽しみにしています。

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