家で4時間の労働で、会社の8時間労働に勝てるか
▪️歴史的に会社を考えてみる
人類の歴史から考えると、これだけ多くの人が会社に通って働いている期間というのもあまり長くない。電球が発明され夜も昼と同じように働けるようになったのも、この150年くらいの話だ。
最近ではIT化も進み、扱う情報量も圧倒的に増えた。今を生きる人たちはこれを普通と思うかもしれないが、歴史的に考えると、現代人は異様な程ハードワークだと思う。家で必要な物を必要なだけ生産する。それが本来の労働のスタイルではないだろうか。
▪️家で4時間というスタイル
労働のスタイルを私の中で逆算したら、この家で4時間という発想が出てきた。確かに、現代の大量消費社会を成立させるには足りない。だが、現代の生活レベルを落とさないだけなら十分な時間だと思う。
まず、オフィスで事務仕事をしていたり、営業をやっている人たち。営業が動くといろいろな事務仕事が発生する。これは会社の売り上げを伸ばすための活動だ。もし、売り上げを無理に伸ばさなくてもよい社会構造になれば、この活動にかける労力を大幅に省くことができる。
物の生産にしても同じだ。売り上げを伸ばしたいから大量生産する。必要な分だけ作るのであれば、もっと労力を省ける。わざわざ二十四時間工場を運営したり、生産時間を無理に短縮する必要もなくなる。
▪️ちゃんと鍛えれば更に効率が上がる
職人さんの話なんか聞くと、何年間か修行して云々という話をよく聞く。熟練を要する仕事であれば、訓練期間は必須なのだと思う。だが、IT業界でそういう修行期間なんて話を聞くことはほとんどない。インターネットで調べてれば勝手にできるようになると思い込んでいる。
そういう認識から、現代はまだまだITの黎明期じゃないかと思う。剣術や柔術だと、〜流みたいな流派がある。ああいうのがITではまだない。単に腕力が強いだけの人が、体系的に柔術を習った人に勝つのは難しい。Webで検索してコードが書けるようになった人は、この単に腕力が強いだけの人に似ている。
業務でITに携わる人でも、まだこういう人が大半だと思う。体系だった理論を持った人がいたとしても、自分ができるだけで人に伝播できる形にまで固まっていない。企業で語られる理論に至っては、失笑レベルのデタラメな理屈が横行して、逆に効率を落としているものも多い。
事務処理にせよ、建築、IT業務にしても、優れたスキルを持つ人が、訓練方法から理論、使い方まで一貫した形にしたもの。武術でいう〜流のような大系が確立され、世の中に認知されれば、今のIT業界で見るようなデタラメな仕事は激減すると思う。
▪️価値観というキーワード
ここまで敢えて触れなかったが、家で4時間の労働で、会社の8時間労働に勝つとはどういうことか。それは、家で4時間の労働の価値が会社の8時間労働の価値に勝るということだ。
家で4時間の労働で、会社の8時間労働より価値あるものにするために、「これをやれば実現出来る!」というビジネス的に通用する答は無い。ただし、自分たちの価値観を一つ一つ見直すというアプローチなら、もしかしたら実現できるかもしれない。
長い労働時間が素晴らしい。そういう価値観では労働時間が短縮されない。現場に入ったらすぐに即戦力として働いて欲しい。そういう理想を追い求めても現実的に無理があり過ぎる。このような問題に対しては、価値観から見直さないと適切な方法は取れないであろう。
既存の価値観で考えている以上、これ以上の変化は無い。効率的な仕事もできない、時間も短くならない、納得感も得られない。そういう状態が続くだろう。メリットを受ける人よりデメリットを受ける人が多くなってきたので、そろそろ価値観の転換期がくるんじゃなかろうか。
コメント
BBQ
単発の突っ込みになりますが、熟練とか訓練期間というのは、経験年数と呼ばれているんじゃないでしょうか。単純に経験年数がその人の能力を現すわけではありませんが、参考にはなります。
それから、~流とか体系的な知識・技術習得を目指すなら、大学の理学部情報学科や工学部情報工学科で教えているんで、理数系の進路を目指すのが王道でしょうね。そこから国内外の大学院で学んだり。
そのためには高校の段階で、微積分・数列・ガウス平面などの数学を学び、力学や電磁気学などの物理学を学んでおく必要がありますし、その手前、中学校の段階で数学と理科くらいは8割くらいは理解しておかないと大学の理工系は無理でしょうね。
それらを体系的に習得し、IT業界で活躍しているエンジニアは少ないんじゃないでしょうか。
BBQ
>Webで検索してコードが書けるようになった人
よく「WEBで検索してプログラミング」とか「コピペでプログラミング」とか揶揄する人がいますが、それ以外の人っているんでしょうか。
どんな言語でも文法がありますから、その言語に不慣れな場合や、もしくはある程度習熟していてもその言語から離れていた場合、記述方法がわからなくて、書籍のサンプルコードやWEBのサンプルコードを参考に、シンタックスエラーを発見したり、あるいは毎回よく使う処理はそのままコピーしてコードを書くなんてのは誰もやっていることだと思います。
また、この手の知識(関数や書式・文法)は丸暗記する必要はなく、大まかに理解して詳細はリファレンスを見ながらコードを書いていくと言うのはスタンダードなことかと思います。
自己紹介欄にヘルプデスクと書いていますが、プログラマをやったことがないから、サンプルを見てコードを書いているプログラマが低レベルのコピペコーダーと思ってしまったとかそういう落ちですか?
Anubis
> BBQ さん
> 熟練とか訓練期間というのは、経験年数と呼ばれているんじゃないでしょうか。
確かに。実際にそう呼ばれているケースも多いです。
業務を通じての経験年数と言っても、質にばらつきが多い。
しかも、効率を重視しすぎて学ぶ余裕など無い。
学問も違うように思う。理論の一部しかカバーできていない。
実践という部分が大きく欠けている。
だからといって、「現状はずさんだ!」と言いたい訳ではない。
まだまだ発展の余地があるように思う。言い換えれば、可能性を感じる。
訓練という分野をもっと突き詰めることで、
社会が進化する要素は見いだせるのではないだろうか。
> よく「WEBで検索してプログラミング」とか「コピペでプログラミング」とか揶揄する人がいますが、それ以外の人っているんでしょうか。
ごもっともです。だが、何を考えてコピペするかは千差万別です。
理想は、人とコミュニケーション取りながら
プログラミングを覚えるのがベストだと思います。
勉強会等にいろいろ参加してみてそう思うようになりました。
Webだけでプログラミングを覚えた人は、人に教える時に弱い。
頂いたコメントですが、非常に良い問題提起でした。
コメント欄で終わらすには勿体ないので、いつかコラムの題材にしようかと思います。
BBQ
次のコラムのネタにして頂けるのは光栄です。
一点言わせてください。
>Webだけでプログラミングを覚えた人は、人に教える時に弱い。
このコラムは、特定の人をさして「こういう人は本来のスキルとは言えない」とか「こういう人は最終的に本来の○○を発揮できない」というような断定が目立ちますし、昔から筆者の論理展開の癖のようなものです。
ですが、世の中、多種多様であり、独学で学ぼうが、学校で学ぼうが、WEBで学ぼうが、勉強会で学ぼうが、スキルは千差万別であり、特定の方法で学んだ人が劣っているなどと言い切るコラムに何の意味があるのかと思います。
また、社会人の場合、時間とアウトプットの品質が問われますから、1からフルスクラッチで書こうが、WEBやサンプル、過去の作品からコードを使いまわししようが、最終的なアウトプットの品質がよければそれで良いのです。
学習方法や生産方法の是非は意味はなく、結局、成果物の品質は人それぞれだということだと私は考えます。
また人間は成長しますので、ある時点で劣ったコードを書いていた人が10年後には高品質なコードをフルスクラッチで書くようになっているかもしれません。
人には個性がありますし、最適な学習方法も違います。ですから、筆者がよく書く「○○の人は本当の意味で□□ではない」と言うようなレッテルを貼るのはやめておくべきだと思います。
最終的に高品質のアウトプットを短期間で出せれば良いのですよ。
Anubis
> 昔から筆者の論理展開の癖のようなものです。
おっしゃる通りです。
ただ、コラムを書いていてこの世の真実を突き止めよう。という訳でもない。
断片的な事実なのは百も承知だ。誰かの考える糧になれば良い。それだけだ。
そもそも、ある程度断言しないと主張として成立しない。
私に対して肯定的であれ、否定的であれ、これだけの意見が出たのだ。
コラムとしては成功だと思っている。