君の正論はシモネタに似ている
■正しさに煌めきは失せて
朝礼で語る君は力強い。孤高なる虎のように凛々しいが、僕はついていけない。言葉は鋭く真実を射抜く。揺るぎなく立つ姿は、嵐が来ても倒れない。そんな力強さに、憧れに似た違和感は止まらない。
君の立つ行列の先に何があるのだろう。伏線の無い小説のように、露骨すぎてしまう。足取りに迷いが無いことが逆に怖い。君の話す正論に間違いは無い。しかし踏み込めば、何もない部屋のような虚無が漂う。
もう、君の先が見えてしまうようで、僕はついて行けない・・・・。
■僕にでも分かることがここにある
僕は歌詞(うた)を書いていた。もちろんメジャーに出た作品なんてない。それどころか、曲がついて誰かが歌ったということもない。僕の書いた歌詞を誰も知らない。そんな僕にも分かることがあるんだ。
シモネタは人の心を動かさない
人は誰でも、誰かの心に残りたいと思ってしまう。そういう寂しがりやな生き物だ。どんなに強がってみても、笑顔を作ってみても、泣き叫んでもこれだけは事実だと思う。
シモネタで人の心は動かせない
■衝動に突かれ、そして人は過ちを繰り返す。
少年はあふれるばかりの笑顔で叫ぶ。「ちん○!うん○!まん○!」(○部分に同じ一文字が入る)世界の真ん中に立つが如く叫ぶ。一瞬のインパクトに酔いしれて、繰り返す響きに情動は次第に沈む。そして人々は、ため息を一つ、少年に背中を向ける。
衝動は人の心を動かし続けない。そして人はそれに気づかない。もしかして、知っているのかもしれない。それでも、両手いっぱいに広げた感性が、次の言葉を掴めない時、人は何かを忘れたように叫ぶ。「ちん○!うん○!まん○!」(○部分に同じ一文字が入る)と。それが若者の黒歴史を綴る・・・。
■振り上げた拳で大空の鳥は打てない
真実。それを知った人は鳥に例えられる。大地から自由になった喜びの形を鳥に例える。大地にしがみついた人々は正論を叫ぶ。俗に言う、地に足を付けた人々だ。時にビジネス、時にマネージメント、時に精神論。その正論は時に岩をも砕く勢いで突き進む。
真実は時に翼のように、人々を観念のしがらみから解き放つ。言葉は自由。それは君が思うよりも、飛ぶが如く自由だ。君の正論は岩をも砕く力強さのようだ。しかし僕は空から君をみる。君の正論は空を突くが僕に届かない。
正論だけで人は動かない。シモネタだけでは人は微笑まない。そう、君の正論はシモネタに似ている。
コメント
真っ赤なレモン
歌詞で例えるなら。
愛だの恋だのは大いに人の心を動かしているが、下ネタのようにも思える。
私の心には、届かないが。
Anubisさん
>「ちん○!うん○!まん○!」(○部分に同じ一文字が入る)
これほど直球勝負の原稿にはビビりました。Anubisさんのシモネタは万人の心を動かしてしまいましたよ(笑)
何かうまくいかないとき、日本人は「くそ」と行ったり、アメリカ人は「f○○k」と言ったりします。やはりシモと心は、何か密接につながっているかも。
正論では人の心は動かなくても性論では動いてしまうかも・・・
眠い
この記事だけが飛び抜けていのかと思ったけど、他の記事を見て感動した。
正に時代の最先端を行くエンジニアです!
Anubis
>>真っ赤なレモン さん
昔からそうだが、明らかに男女がこう・・・なんというか、
アレコレやっているのを間接的に表現してるのってありますよね。
アリといえばアリだが、確かに訴えるようなものは感じない。
>>みながわけんじ さん
個人的にはみんなサラっと流すだろうなと思ったが、どうでしたか。
その時点で私のもくろみは外れた!?
これはみながわさんに一本取られました。
>>眠い
人の欠点しか見れない人の多い中、暖かいお言葉を頂けて光栄です!
たまに、コラムの内容もろくに読まずに「つまんえぇ」とだけ
コメント付けるような人もいます。
つまらないと思うなら、せめて「お!?」っと言わせるような
コメントでも考えて欲しいものです。