いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

イソップ童話「金の斧」を曲解して学ぶエンジニアとしての心構え

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■お前の落としたのは金の斧か?それとも銀の斧か?

 あるきこりが川辺で木を切っていたが、手を滑らせて川に斧を落としてしまった。きこりはきっとこう言っただろう。

「Oh,No---!」

 それは置いておいて、きこりが困り果てていると、川に住む女神が現れて川に潜り、金の斧を拾ってきて、きこりが落としたのはこの金の斧かと尋ねた。きこりが違うと答えると、女神は次に銀の斧を拾ってきたが、きこりはそれも違うと答えた。最後に失くした斧を拾ってくると、きこりはそれが自分の斧だと答えた。 女神はきこりの正直さに感心して、三本の斧すべてをきこりに与えた。

 それを知った別のきこりは、わざと斧を川に落とした。女神が金の斧を拾って同じように尋ねると、そのきこりはそれが自分の斧だと答えた。女神は呆れて何も渡さずに去り、恥知らずなきこりは自分の斧をも失った・・・。

■女神が共感したもの

 女神が評価したのは正直さだけではなかった。きこりであれば、金や銀でできた斧で仕事ができないのは重々承知だろう。そもそも、金や銀は金属としての強度は高くないし重い。実用的で無いと、瞬時に見抜いたきこりの聡明さに関心したのだろう。

 女神は共感を得たかったのだろう。川底で金の斧と銀の斧を見つけて、「誰だ!こんな役に立たない斧を作ったのは!」という話をしたかったのかもしれない。

 物語では語られていない部分で、女神ときこりは色々と話をしたのかもしれない。そして意気投合して、きこりと女神は通じ合えたのだろう。金の斧と銀の斧を貰えた本当の理由。それは共感だったのではないだろうか。

■プロ視点での価値

 金の斧、銀の斧。道具として考えてみれば突っ込みどころ満載だ。PCで例えるなら、天板に金や銀が使われているモバイルPCみたいなものかもしれない。何故に携帯性を重視するのに、強度も無く重いだけの貴金属を使用するんだと。Yahooオークションに出そうとは思うかもしれないが、自分で使おうとは思えない。

 もし、女神が持ってきたのが金の斧、銀の斧ではなく、時空を越えてもってきた最新式の超高性能なチェーンソーだったらどうなっただろう。きこりの心は揺らいだと思う。例えるなら、川からスティーブ・ジョブスが現れ、最新Mac製品のプレゼンをされるようなものだ。

 女神はきっとこう言いたかったのだろう。道具として使いものにならない金の斧や銀の斧より、実際に使われているお前の斧の方が価値があるんだと。

■そして女神は戒めたかったのだろう

 この話を聞いた別のきこり。同じように川に斧を投げ入れたが・・・。ここで私たちは学ばなくてはならない。他人の成功をそのまま実行しても、自分が成功するとは限らない。それは条件が違うからだ。

 別のきこりは、きこりとしての技で稼ぐのではなく、金の斧を売って稼ごうとした。そう、彼に欠けていたのはプロとしての自覚だ。それが前提になる大きな条件の違いだ。故に金の斧に目がくらみ、安易な嘘が口から出たのだ。

 「稼ごう」そう安易に考えた時、人は何かを誤魔化す。危機的状況に陥った時、保身を考えると人は何かを誤魔化す。それが不正直ということではないだろうか。人として強くなければ、正直でい続けることは難しい。

 神は正直な者を助け、不正直な者には罰を与える。というのがこの寓話の教訓だそうだ。ネタっぽく語ってみたが、まんざら間違いではないと思う。誤魔化したくなる状況で正直でい続けること。その姿勢がエンジニアには求められるのではないだろうか。

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