生涯現役のITエンジニアを目指して、日々成長していくためのコラムを紹介します

組み込みエンジニアが脱サラして独立起業した話

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@ITエンジニアライフの読者のみなさま、こんにちは。平田豊です。

そして、大変ご無沙汰しております。エンジニアライフで前回最後に記事を投稿したのが2018年9月でしたから、実に一年半ぶりとなります。なんとか生きております。

今回は長い間が空いていますので近況報告をさせていただきたいと思います。

更新再開のきっかけ

正直に白状すると、しばらくエンジニアライフの存在を忘れていました。しかし、先日読者の方から「最近更新ないですね」というご意見をいただきまして、存在を思い出しました。

エンジニアライフを始めたきっかけ

エンジニアライフに記事の投稿を始めたのが2018年4月で半年も経たないうちに更新が途絶えてしまっていました。

そもそも、なぜエンジニアライフに投稿しようとしたのかというと、20年勤務した会社を2018年3月に退職して無職になり、暇だったからです。この時、筆者の年齢は42歳でした。本当は40歳で退職する予定でしたが、少し予定が変わって2年後ろにずれました。

人間、暇になるとただぼんやりしているわけではなく、せっかく時間があるのだから何かやろうと考える生き物なのです。

エンジニアライフをメディアとして選んだのは、過去のソフトバンクとのつながりからです。エンジニアライフといえば@IT。@ITといえばITmedia。ITmediaといえばソフトバンクグループです。

筆者はかつてソフトバンクから出版されていた「Cマガジン」という雑誌に読者投稿したり、コラムを寄稿していたりしました。Cマガジンは大変思い入れのある雑誌で、いつか特集記事を担当すること、連載を持つことを夢見て頑張っていましたが、残念ながら夢が叶うことはなく、雑誌が休刊となってしまいました。それでも大変素晴らしい経験をさせてもらったことに感謝しています。

ITmediaでも何本か記事を書かせてもらったこともありました。そうしたことがあったため、@ITで何か書かせてもらえないかと思って、筆者から編集部に打診したのがきっかけです。

ハローワーク通い

2018年4月から12月までは肩書きとしては無職で、職探しをしていました。サラリーマン時代はきっちりと毎月雇用保険を払っていましたので、ハローワーク(職安)に通って求職者給付を受けながら、求職活動を行っていました。

求職者給付というのは別名で失業保険とも呼ばれますが、ようするにはサラリーマン時代に払った雇用保険がいくらか戻ってくるということです。そもそも保険というのは、そういうしくみのビジネスモデルですから。

ただし、無職になったらかならずお金がもらえるかというと、そうではなく、条件があります。端的に言うと、「サラリーマンとして再就職する意志があって求職活動を行っている」ということが必要条件となります。

求職者給付を受けるためには、毎月、最低2回以上の求職活動を行う必要があり、定期的にハローワークに行って報告をする必要があります。そうしなければ、ズルをして不正にお金を受け取る人がいるからです。つまり、求職者給付というのは働こうとする意志がある人を保証するしくみなのです。そのため、サラリーマンは毎月お給料から雇用保険が天引きされているというわけです。

求職活動という充電期間

ハローワークに通いながら求職活動するのですが、フルタイムでやっているわけではなく、かなりの時間が余ります。余った時間を使って仕事をしてもよく、筆者は書籍の執筆を行っていました。

ここで注意事項として、仕事をするにあたって条件があります。週20時間以内であること、副業的なものであることなどで、詳細はハローワークで確認するのがおすすめです。仕事の内容によっては、ハローワークが「この人は就職する気がない」と判断して、給付を停止させることがあります。

サラリーマン時代はなかなか本業が忙しくて、執筆活動ができていなかったのですが、求職活動中に思いっきり執筆稼働に注力できました。技術書を一冊、電子書籍を三冊も出版することができました。

平日にフラフラしているのは無職だから当たり前なのですが、最初はこれが慣れずに精神的に不安定でしたが、逆に考えれば、人生の充電期間であるのです。

今振り返れば、人生最高の充電期間だったと思います。

就職するか?独立するか?

ずっと20年間サラリーマンとして頑張ってきたので、次もサラリーマンでと考えていました。しかし、筆者の在住する北陸地方では平均年収が400で、サラリーマンとして再就職すると前職よりも年収が大幅ダウンするという問題がありました。

平均年収でも生きてはいけるのですが、ここで一度独立起業しておいたほうが、よい人生経験になるのではないかと思うようになりました。

独立してうまく行かなかった時はサラリーマンに戻ればよいのです。人生が詰むことはありません。

求職活動中ずっと悩んでいましたが、最後の最後で独立という道を選ぶことにしました。その人生の選択に悔いはありません。

独立してから一年

2019年1月に個人事業主として独立起業してから、気が付くと一年が過ぎました。筆者はもう44歳になりました。独立して最初の頃は無収入でしたが、その後は安定した売上を達成できており、なんとか生活できています。

結論としては、独立という道を選んで正解でした。仕事もそうですが、なにより家族との時間が増えたのが一番よかったことかもしれません。

事業としては組み込みソフトウェア開発と出版事業の二本立てで行っています。プログラマ&テクニカルライターという意味では、サラリーマン時代と変わっていないですね。

開発事業はSESなのですが、個人事業主として契約しています。北陸地方では、東京のように高単価案件を扱うフリーランス向けのエージェントサービスはないので、個人契約するしかないのです。単価交渉は飲み会の場だったことは、ここだけの秘密です。

出版事業は著者としての執筆だけではなく、編集者としての仕事も始めました。やはり、独立してからは仕事の幅が広がっていて、ありがたいことです。

おわりに

会社を辞めても人生は続いていきます。独立してどこまでやっていけるか分かりませんが、まだまだ頑張れそうな気がしています。なにより、独立してから仕事やプライベートが楽しくて仕方がないです。この楽しさを継続していけたら人生最高ですよね。

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Comment(2)

コメント

空は基本的に高所恐怖症なんで、、海を泳ぐモンティパイソン

平田先生でしたか、失礼しました。貴下の本楽しく読ませていただきました。たしかLINUXのなんとかかんとか(すみません最近電脳回路のコンデンサが液漏れして記憶回路がショート気味でして、、、)神戸市立図書館で拝聴いたしました。しかし今のLinuxで検証環境を作りましたが64ビットマシンのCentOS6では再現できませんでした。また平田先生の著書を見つけて頑張りたいと思います。小職も今から30年前Cマガジンを毎月購読しておりました。ぼうようとかいう先生の記事でC言語の勉強をしていました。当時、まだMSDOSが全盛でまがりなりにもMSWindows2.0などはとても無理で、MSDOS3.0+MSCVer4.0とMifesエディタという構成で、16ビットCコンパイラでコンパイルしてEXECをCodeView Debuggerでデバッグするというのを続けていました。会社は制御機器を扱う製造会社でしたが、まだZ80やIntel8085など80系が全盛でインテルISISⅡはなかったですがMSDOSで80系エミュレータやCP/M80開発機器(どこか忘れました。)でM80でインテル80系アセンブラで開発をしていたようです。(私は製造部門でした。)そうこうしているうちにH8/500が導入され開発言語のC一色になりました。そこで一発奮起して開発部門への配置換えを願い出たのですが社内試験がありまして落ちてしまいました。その後配置転換の末リストラに会い会えなく退社しました。それからは通信系セールスから情報通信分野の世界にはいり今はネットワークエンジニアになりました。あの時一念発起していなかったら工員で終わったと思います。結局は設計技術者にはなれなかったけれど今は好きなネットワークで飯が食えるので幸せです。

平田豊

>海を泳ぐモンティパイソン

深夜なのにコメントありがとうございました。
好きな仕事で生活しているんで、まさに天職ですね。すばらしいです。
私も常にそうありたいと思います。

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