石川啄木をエンジニア的に解釈してみた
新年ということで、ちょっとモノ憂げな感じで、やや手抜きな感じで、有名な歌人、石川啄木の歌にエンジニアの人生をなぞらえてみることにした。
はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る
指先を動かすことさえ疲れた残業の夜、そんな感じです。もちろん手を見ても何も解決しませんが……。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
同期がマネージャーをやっていたり、有名な会社に転職していたり……。そんな中、ディスプレイに映る自分の顔……。
家を出て五町ばかりは、 用のある人のごとくに 歩いてみたれど――
分かります。煮詰まっているとき、ちょっと出かけて、いい解が浮かぶのを待つ!
何となく、 今年はよい事あるごとし。 元日の朝、晴れて風無し。
ま、毎年そんな感じですよね。
五歳になる子に、 何故ともなく、ソニヤといふ露西亜名(な)をつけて、 呼びてはよろこぶ。
あー、子どもに「プロトコル」とか名前付けちゃう人いたような……。
何となく明日はよき事あるごとく 思ふ心を 叱りて眠る。
ま、良いことなくてもいいから、悪いこと(バグ発覚とか)が起きなけりゃエエです。
ふるさとの訛なつかし 停車場(ば)の人ごみの中に そを聴きにゆく
上野駅にある碑の歌ですね。地方出身のエンジニアはそんな感じなのでしょうか。
何となく、自分を嘘のかたまりの如く思ひて、 目をばつぶれる。
何度も確認してレビューした設計から、また1つミス、また1つミスが見つかったときですね。
この四五年、空を仰ぐといふことが一度もなかりき。かうもなるものか?
コーディングばっかしてるとほんとにそうなっちゃいますね。
以上、石川啄木氏への敬意とともに、これからのエンジニア人生への餞にと。2014、新しき年にちょっとした希望を込めて。