それでも、原発
シンガポールでは、フリーペーパーによる報道が、庶民の結構大きな情報源になっている。私は毎朝の通勤で、駅で配られるそのフリーペーパーを列車の中で読むことを毎日の習慣にしている。
普通の新聞の半分のサイズで、ページ数が20~30ページ。フリーペーパーだけに、広告が紙面の半分を占めている上、半分は私は読めない中国語のため、20~30分ぐらいの通勤時間で全部読み切れてしまう。
私の家の近くの駅で手に入れられるのが、「my paper 我報」(報の字は中国の簡略化された字だと思うが、すこし違う)で、半分英語、半分中国語のフリーペーパーだ。会社の近くで配られているのが、もう少しボリュームが大きくなりカラーの写真も多い「Today」。
これは全てが英語のフリーペーパーである。これは会社の昼休みなどに読む。最近は日本の地震、津波、そして福島第一原発の件で記事が埋められることが多いのは当然として、先日の記事で意外な内容が、何ページにわたる大きなスペースをはたいて掲載されていた。この種のフリーペーパーは、多分、自前で記事をそろえるほどの予算がないのだろう。イギリスやアメリカの新聞に載った記事を転載していることが多いのだが、その記事はイギリスの新聞からの転載だった。
内容は、「放射線汚染。それほど恐れる必要はないかも?」ということだった。
連日原発の事故について報道しつくした後の寄り戻しだろうか。内容は、人類が今まで経験した大量に放射線を浴びた事件または事故の結果の放射線被害の統計的データの説明するものだ。まずは広島、長崎の原爆投下後の生存者のデータ。100mSv以下の放射線を浴びた人には、有意差のある健康被害は見られなかった。200mSvを超えると、少しずつ差が表れるようになり、1000mSvで明らかに患者があらわれ、2000mSvでまったく放射線を浴びなかった人の倍程度の確率で癌患者が発生したらしい。
もう1つのデータはチェルノブイリのデータ。これは、爆発直後に原子炉の清掃のために駆り出された兵士600名のうちの134名が、急激な放射線を浴びたことによる急性放射線症になり、そのうち28名が死亡した。
ここまでのデータは福島第一の例に当てはめると、今原子力発電所内で作業している人が気にするべきレベルの話だ。普通の人が気にするべきは、体内被曝で、これに関してはチェルノブイリで爆発があった時たまたま風向きの都合で、Fallout、つまり放射性物質が空から降ってくる被害にあった地域の統計が紹介されている。当時のソビエト政府の隠ぺい体質のためか、彼らにすぐに非難命令が出ず、かなりの数の人が3000mSvから4000mSvの間の放射線を浴びたらしい。
健康被害の中心は甲状腺癌で。統計によると100万人の放射線を浴びた人のなかで、甲状腺癌が7000人ぐらい発病したらしい。これだけの被害にあいながら、たったの0.7%の人だけが甲状腺癌になったということを記事は注目している。さらに、甲状腺癌の致死率はそれほど高くなく、ほとんどの人が癌から生還しているとのこと。
今、福島第一原子力発電所内で作業している人の被放射線量の制限は初めは100mSvだったらしいが、後で250mSvに引き上げられた。この辺り広島、長崎のデータに基ずくと、有意のある健康の被害が将来現れるか現れないかのぎりぎりの線ということになる。
ところで、こういうデータを羅列した記事を読んでいて思ったのが、将来、データ元として「フクシマ」と書かれたデータを後世の人が引用するようなことにならないことを切に願うことだった。日本からのデータ提供は、広島、長崎で十分だ。
シンガポールでは現在は、原子力発電は一切行われていない。しかし、可能性を捨て去ってはいない。福島第一原発危機の前に、原子力発電の可能性についての記事があったのを覚えている。
シンガポールは東京23区程度の小さな島国で、東京にとっての福島や、大阪にとっての敦賀、名古屋のとっての浜岡が無いわけで、なかなか原子力発電を建てるのは難しいと思うが、やってみる気があるのは確かだ。彼らは地上に原発を建てるのは危険すぎるので、地下に建てることを研究している。地下なら、何かの事故が起こった時、そのまま埋めてしまうことができるという考えだろう。実際、冷戦時代に世界中で地上核実験が行われたが、今は核実験をやるとすれば地下で行われる。福島第一の事故のように何かの事故が起こっても、冷却棒を挿入することだけでも成功すれば、その後の減衰熱の処理ぐらいは地下に埋め込んでしまえば、なんとかなると考えているのかもしれない。そのあたり、もちろん私は原子力の専門家でないのでわからない。
今回「放射線汚染。それほど恐れる必要はないかも?」の記事を読んでわかったことは、福島第一の危機の結果、原子力発電の推進力がかなり落ち込んだのは事実だが、シンガポール政府は原発を完全にあきらめたわけでないということだ。
PAP(People’s Action Party) による一党独裁が事実上続いているシンガポールで、報道規制があるとかないとかいう話があるが、おそらく規制はあるだろう。シンガポールの優秀な官僚が、将来本気で原発導入を考える必要が出てきた時に、なるべく国民の恐怖感を取り除いておくことも必要だろうと、こういう記事を今回載せることを許したのかもしれない。もしかしたら、ある程度の圧力をかけて、記事を掲載させたのかもしれない。
この国の人は、シンガポールをここまで豊かにしてくれたリー・クアンユーとその息子の現在の総理の、リー・シェンロンを完全に信頼している。彼らがやると言えば、大きな反対意見も出ずに、原子力発電建設に向かうのではないかと思う。もちろん、それは今すぐと言うわけではない。今回の記事の目的は、世界情勢の変化で、石油を今よりはるかに手に入れにくくなった時に備えて、今から国民のコンセンサスを温めておこうといういような目的だろう。
ところで、私の原発に関する立ち位置だが、私は原発を全面廃止にはするべきではないと思っている。日本で毎年5000人以上の人が交通事故で死んでいるのに、決して車は廃止にならないし、世界では毎年飛行機事故でかなりの人が死んでいる。しかし、依然として世界中の空を飛行機が飛び回っている。子供のころ自転車に乗れるようになるときに苦労した。何度も転んでひどい目にあった後、なんとか転ばずに自転車に乗れるようになった後は、こんな便利なものはないと感動したものだ。
人類はまだ原発の安全な使い方を習得している最中だ。今回は転んだが、この経験を生かして安全体制を厳しく再チェックして、日本で現在稼働中の原発で「危ない」と判定された原子炉は速やかに廃炉。改善で対応できるものは必要な改善を施すなどして、使い続ければよいと思う。
今回わかったのは、改善すべきは技術より、原発を推進する政治組織やそれをチェックする組織、さらに運営する電力会社であるということだ。
多分、このコラムを読んでいるようなエンジニアのみなさんには、同じ考えかたをする人もそれほど少なくないのではと思うが、どうだろうか? エンジニアは、ある程度のリスクを計算しながら、技術を追求していくものだと思うからだ。