シンガポールでアジアのエンジニアと一緒にソフトウエア開発をして日々感じること、アジャイル開発、.NET、SaaS、 Cloud computing について書きます。

「夢のある復興」を考える

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 小生は大阪の生まれだが、大学は神戸だった。自宅から通学できない距離でもなかったので、基本的に自宅通学生だったが、やはり通学がつらくなり、4年間の全期間ではなくて、一部の期間だが、大学の近くの学生アパートを借りて、そこから学校に通っていた。卒業したのが、1985年。神戸を襲った阪神大震災の10年前だ。卒業後、横浜の会社に就職し、横浜に移った後は、一度も神戸に戻ったことがない。

 1995年の阪神大震災の日は、横浜にいて、夜中に揺れを感じて目を覚ましたのを覚えている。実際に何があったのかを知ったのは、会社に出社してテレビを前にして大騒ぎしている会社の人たちを見てだった。日立の汎用機の製造開発を行う工場勤務だったので、多くの日立の汎用機が使われていた神戸の地震は、会社にとっても一大事だった。

 卒業して26年、阪神大震災から16年たって、実はつい先日大学を訪れた。シンガポールの大学院進学のために。成績証明書を受け取るためだ。ついでに、昔私が下宿していた地域を訪ねてみた。覚えのある神社や電車の駅、商店街を頼りに、私が昔住んでいた辺りを探すが、結局、見つからなかった。26年の歳月というより、そこは震災で焼けた地域で、昔の街並みが完全になくなっていたからだ。

 26年前に住んでいたところは、木造の2階建てで、私の部屋は4畳半、風呂なし、トイレは共有。一階の奥の方に、大家のおばーちゃんが住んでいて、おば―ちゃんの部屋に毎月家賃を渡しに行くのが、いやだったのを覚えている。「大家のおばーちゃんは震災で無事だったのかな」と思いをはせた。そこは、学生が多く住む下宿屋だったので、95年当時住んでいた学生が頑張って、おばーちゃんを危機から救ってくれているだろうと、思ったりしながら、懐かしい場所がなくなってしまった寂しさを噛みしめて神戸を後にした。

 どうも私が昔住んでいたあたりは、今は鉄筋コンクリートのマンションが周りを囲む大きな広場になっているようだった。多分周りのマンションはすべて、阪神大震災級の震度7が来てもびくともしない耐震構造なんだろう。ご存じのように、15年後の今、神戸は完全に復興し、今では世界有数の大都市に見事に復活している。

 今回、東日本大震災の被害にあわれた方は、これからどうするのか、多分今は何も考えられないでしょう。得に福島第一原発がこれからどうなっていくのか分からない現状で、なおさらだ。歴史的に津波が多く襲った三陸沖の町村では高い防潮堤を立てて万全のかまえだと思っていたところが、今回の津波はそれを軽々と越えて、町や村は破壊していった。そんな現状をみると、自然を前にもう人間はなす術がないのかと、思い、村、町を捨てるしかないと思っている被災者も多いと思う。

 そこで、素人の提案だが、津波危険地帯では、木造の平屋の家に住むのではなく、都会のように鉄筋の強固な建物に住むように頭を切り替えることはできないだろうか。今回津波で破壊つくされた町や村でも鉄筋の建物は、残っているものが多い。車や船などがガンガン流れてくる津波の強力なエネルギーにあっても、破壊されないのが鉄筋コンクリートの強みだ。そんなことを考えると、世界一の建築技術を持つ日本の建築会社。耐震構造の高層建築物を作る技術をさらに発展させて、耐津波構造の建物を作るのはそんなに難しくないだろう。今回、歴史上初めて、膨大な量の鮮明な津波の映像が撮影されたので、それを参考に設計することが出来る。建物の配置、などを流体力学によりコンピュータシミュレーションを応用して最も、安全性の高い配置を追求するなどということもできるだろう。

 ところで、今回の津波は10メートル以上の高さだったらしい。1階が3メートルと計算すると、水は5階まで届くことになる。もし万が一、今回と同程度の津波が再び来たとすると、6階以上に逃げないといけない計算になる。

 しかし考えてほしい、少なくも、強力な建物があるおかげで、5階以下に住む人が安心して逃げる場所、つまり上階が確保できるのである。5階以下に住む人は津波により、家財道具がすべて流されてしまうだろう。それは悲惨なことだが、少なくとも命は助かるし、家自体は壊れていない。水が引いた後、粛々と家財道具を再び購入して、修理して再び同じ場所に住み続けることができるのだ。

 今回のような地震は、一節によると1500年に一度の規模だという。それなら、いたずらに膨大なお金をかけて、スーパー防波堤を建てるより、こちらの方が理にかなっていると思う。スーパー防波堤を建てるお金があるなら。それより、そのお金で政府が公団のマンションを建てていけばよいのではないか。復興の費用の捻出に一年限定の消費税増税だとか、電力使用量を上げるとか、色々な方法が議論され始めているが、そういう方法で確保した、復興費用を公団住宅建築に充てるのは悪い考えでないと思う。どうしても、庭の広い一軒家がいいと言う人は、再び家を建てて住んでも良いだろう、しかし、次回もし巨大な津波がやってきた時は、すぐ隣にある10階建てのマンションの上階に逃げれば少なくとも命は助かる。

 副作用として、あまる土地が出てくるが、今まで家が密集していた地帯に大きな緑地公園を作ったり、道を広くしたりすることが可能になる。

 今回の被害で、人口がかなり減ってしまった地域もあると思う。そういう地域でこれから、町、村としての活気を取り戻すのは大変なことだと思う。そこは、こういう鉄筋の近代的なマンションを多く建てることにより、都会の人の移住を引き込むことができるかもしれない。鉄筋のマンションは家としての便利さは、木造の家より格段に良い。確かに、駆け回ることのできる個人の庭はないかもしれない。しかし、そこは余った土地に出来る大きな公園を駆け回れば良い。

 都会人で、地方住まいにあこがれる人は多い。しかし、なかなか勇気を持ってアクションに取れないのも事実だ。二の足を踏む要因の1つに、田舎の木造の家は何かと不便だ、ということあると思う。そういう人が、住宅としての機能は都会のものと変わらないマンションがある「地方」が現れれば、それも悪くないと、多くの人が都会から移住してくるのではないだろうか。

 私はソフトウェア開発の仕事をしているが、仕事をするうえで、都会で開発者が大勢集まって仕事をする必要など、まったく必要ないと日ごろ考えている。都会の若いプロフェッショナルが、地方で生活しながら仕事ができる――それは夢がある生活ではないだろうか。日本本土なら、東北新幹線を使って、日帰りの出張も可能だろう。東京で月1で要件定義などのミーティングをして、普段は風光明美な海を眺めながら、開発。もしそうなったら、私は、多分つまらないシンガポールを捨てて、日本に帰国すると思う。

◇ ◇ ◇

 政治家の皆さん、今回の地震は未曽有の災害です。復興は今までの常識を覆すような、大胆な方法であたらないと、うまくいかないと思います。いろいろと考えていると思いますが、こういう手もあるということで、1つの参考にしていただければと思い、書いてみました。被災者はこれから長期間にわたってこれからどうなるのか分からない不安な時期を過ごすだろうと思います。できるだけ早い時期に復興の方針を決めるのも、政治の重要な使命だと思っています。

Comment(2)

コメント

ハムレット

はじめまして。

興味深いご意見ですね。

ただ何をどこまで想定するのかと云うのは難しいように思えます。
例えば宮城県の女川町では鉄筋コンクリートの建物が、土台から根こそぎ倒されていたケースもあるようです。

以前、旅行中に、欄干も無く、橋げたを紐で固く結んだだけの橋を見たことがあります。理由を調べると洪水が多いため、欄干は無くして水の抵抗を減らし、端から流されてもすぐに作り直せるようにと、開き直った考え方で作られたとか。

今回の津波でも、航海中の自衛隊の艦艇が何とか津波を乗り切って無事だったとか、箪笥や軽自動車で津波に流された人が、何とか漂流仕切って助かったとか。そんな発想も必要になるのかもしれないと、ふと思ったりします。

景観が悪くなるが、海に向けて縦に建物を建てるとか、普通の建物より少し基礎を強くするとかすればかなりの角度で壊れない建物になると思う。不謹慎かもしれないが、建築会社にとってチャンスだと思う。三陸でうまくいけば、世界の他の津波頻発地域に、その技術を売っていくことが出来る。防潮堤で自然に真っ向から立ち向かうには無理があるのが今回分かったので、この案は自然のパワーをかわすと言うイメージ。耐震構造の基本は、柔構造だが、考えは同じだと思う。

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