国旗
先日わたしのアパートのドアの前に、シンガポールの国旗が丸めて置いてあった。この時期になると、いつものことなので、特に気もとめず、それを家の中に入れた。
毎年、シンガポールのNational day(8月9日)に近づくと、国中のHDB=「公団住宅」の窓の下はシンガポール国旗でいっぱいになる。冒頭に記したように、各戸に国旗が配られるのが、そのからくりというわけだ。
毎年のことなのだが、日本人のわたしは、その旗を他の家と同じように、窓の下に飾るべきか否か、いつも悩む。思い切って日の丸を飾ってやろうかと、思うこともある。もしそんなことをやったあかつきには、継続して住み続けることができるのか否か不安で、結局、なんの得にもならない馬鹿なことはしない。歴史的な経緯もあり、日の丸はちょっと無理としても、ミャンマーやフィリピン、そしてユニオンジャックや星条旗なら、問題ないのではないかとも思う。が、そういう手合いの外国人もいないようだ。国旗というものに異常に神経質になっている日本、しかも大阪生まれのわたしならではの悩みなのかもしれない。
結局わたしは毎年、自宅に配られるシンガポール国旗は飾らないことにしている。それで特に、隣近所、そしてHDBの管理人に何かいわれもしない。国旗掲ようは強制というわけでもないようだ。
今年、わたしの住むHDBの窓の下を埋めるのは、シンガポール国旗だけではない。8月12日から始まるYOUTH OLYMPIC2010の旗も混じっている。
日本も、日の丸を揚げることが義務だった時代があるのだろう。
わたしはその時代のことをまったく知らず、どんな時代だったのか、歴史の教科書を読んで想像するしかない。ハリウッド映画の 『Letters from Iwo Jima』の日本でのシーンに、国旗を揚げていない家を見つけた憲兵が、その家の人をこっぴどくしかり、ほえてきた犬を殺すように、部下に指示をするシーンがある。その部下はその指示に従わず、結果、硫黄島に送られてしまう。
当時の日本は本当にそういう時代だったのだろうか? それともあれは、アメリカ人の思いこみで、そこまでの強制はなかったのだろうか? とにかく、現在の日本では、戦前の行き過ぎた国粋主義の反動で、日の丸を上げることに勇気がいる。しかし、どこの国の人も、自分の生まれた国に対して、ある種の「愛国心」があるわけで、その発揚のあり方の1つとして、国旗を揚げるのは、ごく自然なことだと、わたしは思う。
外国に長く住むわたしは、この愛国心というやつが頭をもたげることが多い。外国人と話していて、奈良の大仏が「世界最大の木造建造物」だというところで、誇りみたいなものを感じている自分に気付く。外国人と話しているから、こういう気持ちになるんだと思う。
ところで、めったにないことだが、外国人、特にアジア人と話していて、第二次世界大戦中の日本が話題になることがある。中国系シンガポール人はどうも根っこの部分で、日本兵がここ、シンガポールで行ったとされる、中国系シンガポール人への「虐殺」英語-日本語のことを根に持っているように思える。普段はそんな感情はまったく表に出さないが、なにかの拍子でそういう話になることがある。
ただ、それもその当時の日本を恨んでいるだけで、今の日本を悪く思っているわけでない。それはたしかだから気が楽だ。
しかし、ミャンマー、つまりビルマ人にはまったくそういう感覚がないようだ。日本に関してはどうも「なんか知らないが日本は、その昔ミャンマーに来てイギリス人と戦ったね」みたいな感覚で、どこか他人ごとである。かといって、イギリス人を追い出してくれたありがたい日本という感覚もないようだ。それも仕方がないことかとも思うが、ちょっと残念である。ジャンタによる軍政に嫌気がさして、シンガポールに来ている彼らだ。それほどの強い愛国心がないからかもしれない。
National Dayの話に戻るが、先日、シンガポール人、インド人、そしてミャンマー人とシンガポールのNational Dayの話をしていたとき、それぞれの国の「独立記念日」が話題になった。
そこではたと気付いたのが、日本にはそういう日がないということだ。あるインド人が「日本は外国に征服されたことがないんだよ」と、簡潔にその理由を説明してくれた。その瞬間、日本人に生まれてよかったと、素直に感じることができた。
幕末に黒船がやって来た後の数年間、坂本竜馬をはじめとする志士たちのおかげで、西欧列強のえじきとならず、独立を守り続けることができた日本である。地理的に、列強からもっとも離れた位置に日本列島があったというラッキーな面もあるかもしれない。それでもやはり、幕末の志士の活躍の貢献は大きいと思う。