シンガポールでアジアのエンジニアと一緒にソフトウエア開発をして日々感じること、アジャイル開発、.NET、SaaS、 Cloud computing について書きます。

シンガポールの成功を真似て

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 1965年の独立以来いろいろあったようだが、シンガポールの国家運営は今のところ、大成功だと言えるだろう。旧宗主国イギリスや日本をとっくの昔に追い越し、いまや世界有数の金持ち国である。それは、もしかしたら驚異的なことなのかもしれない。

 同じ時期に独立した国は数多くある、東南アジアでは、ミャンマーはいまだに軍事政権が国を牛耳っている。カンボジアは今は平和な国だが、昔には何があったのか……? アフリカ諸国は惨憺(さんたん)たるものだ。その中で成功した方だと言われるケニアはつい先日、総選挙の後の揉めごとの結果起こった部族間の争いで、大変な数の犠牲者が出たらしい。その隣のウガンダでは過去に何があったのか、世界情勢について少しでも興味がある人なら知っているだろう。

 日本もある意味、1951年に締結したサンフランシスコ講和条約で『独立』した新興独立国で、成功した国だという考え方もある。しかし、日本は戦前ですでに工業先進国だった。戦前には世界を相手に戦った組織力があり、自力で零戦や戦艦大和などを作れた工業国だった。科学の分野でもそうだ。日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏の受賞理由は、1935年ごろに発表された中間子理論だった。

 さて、シンガポールの成功理由をわたしが考えるに、初代首相のリー・クアンユー、そして彼の息子で現在の首相、リー・シェンロンが優秀で、その優秀なリーダーらが、ほかの民主主義国家にあるように対抗政党との駆け引きなどに能力を使うことなく、国の発展のためだけに能力を使える状況が続いていることが理由だと思う。

 そんなことを考えると、今の日本の停滞状況を打破する方法の1つに、日本の各地にシンガポールのような都市国家を作る試みは悪い策ではないと思う。その時それぞれの「都市国家」にはできる限りの自治権を与えることが重要だ。たぶん、防衛以外はすべての権限を与えるぐらいのことが必要だろう。明治維新で中央集権化した日本だが、そろそろ徳川時代の藩のように、地方にある程度の自治が認められる時代に戻る時期なのかもしれない。防衛権限まで与えると、将来、徳川時代の末期の薩摩長州が起こした「内乱」のような事態が起こってしまう恐れがあるので、自衛隊だけは中央に帰属するものとする。

 現在、道州制の議論がある。しかし、一気に、日本全体をいくつかの道州に分けてしまうのは、あまりに大胆すぎて、相当大きな事象、例えば戦争や、アルゼンチンやギリシャ、アイスランドなどで起こった国の破産レベルの「危機」が起こらない限り、無理な気がする。しかし、日本の中に1つずつ都市国家を作っていくやり方は、国全体に渡って大きな変更を一度にするわけではないだけに、やる気になればできるのではないだろうか。また、歴史的経緯は異なるが、香港は中国の一部だが、中国本土とは違う制度の中で繁栄している。大きな国の中に異なる政治制度の都市国家が存在する良い例は、ここにある。最初は1都市だけにそれを認め、もしうまくいけば対象の都市を広げていき、最終的には道州制と同じように日本全体を複数の国家に分けてしまうことができれば成功だ。

 さて、最初の都市国家だが、東京にそれを認めてしまうのは、東京自体が大きすぎる上に、日本の首都が日本から独立して自治を確立してしまうのはあまりに異常なので、却下する。大阪や名古屋、横浜などもも大きすぎるので、除外する。しかし、100万人規模のある程度大きな都市でないと問題だろうから、一番良いと思うのが、福岡、広島、仙台、そして札幌あたりだろうか。京都や神戸なども大きな都市だが、近くに、より大きな都市、つまり大阪があるので、その影響を受けやすいと考え、ここでは挙げなかった。

 仮りにそれらの都市に自治を与えたとして、さらにわたしが大統領もしくは首相として、大きな権限を与えられたとして、何をするか考えてみた。わたしなら、「国」にあるすべての市場が理想的な資本市場になるよう尽力する。市場の理想化は市場の自然な動きに任せるだけで達成できるほど、単純なものではない。理想化できない最大の要因は、マーケット参加者間の情報アクセスの不平等にあるわけで、その不平等撲滅を最大の課題としたい。そのため、市場への政府介入を行う。誤解をしないでもらいたいのは、その介入は、市場への参加者同士が、常に公平であることを達成するためだけが目的であって、政治資金を出してくれるとか、ある特定民間企業の権益を守るためだとか、ある特定の年齢層の有権者の権利を守るためなどであってはならない。

 わたしはITエンジニアだ。なので、その都市(国)をシンガポールを超えるIT先進国にすることをまず考える。そのために、役所が発注する開発案件市場の理想化を考える。大きくて実績のあるベンダ、できたばかりの小さなベンダ、そしてフリーランスのエンジニアが公平に開発マーケットに参加できる仕組みを以下のように考えてみた。

 読者の中には、ヤフーオークションを利用したことがある人も多いだろう。発想はそれに近い。ヤフオクでは、売り買いが成立した後、出品者は落札者の、そして落札者は出品者の評価を行い、その評価がヤフオクの利用者全員に公開されている仕組みになっている。それと同じような仕組みを、「国」の開発案件を受注する業者、個人につけるのだ。

 まず、「国」が発注する開発案件を、重要度に基づいて等級を分ける。ここで難易度は考慮しない。あくまでも重要度。つまり、システムができた後の効率アップの程度、失敗したときのダメージの大きさなどの指標で等級分けをする。一番等級の低い案件は、まったくのオープンなオークションで発注先を決める。個人の天才プログラマが、普通なら数十人の規模での開発でしかできないと考えられることを、1人でできると考え、いままでのやり方での見積もり金額の何分の一の額で見積もり、落札させることを可能にする。

 次のレベルの案件の場合は、実績がゼロの人、組織には入札できないようにする。さらにその上のレベルの案件では、1つ下のレベルの案件を成功させた組織もしくは人のみが入札可能とする。あるレベルの開発に失敗した場合、次からはそれより下のレベルの案件にしか入札できないなどにして、失敗した時の責任を取る仕組みも作る。こういう風に、誰でもどんな組織にでも、明確なルールに基づいて開発案件の応札を可能にすると同時に、開発失敗のリスクも最小限にする。

 失敗か成功かの判定は、システムを実際に使う人の評価を重要視する。システムを実際に使う人にとって、システムは使い安さが命だ。99.99%の信頼性だが、稼働後の機能改善に莫大な費用を吹っかけたり、改善そのものを拒否するようなベンダが作ったシステムと、99.9%の信頼性だが不具合が発覚したときにすぐに対策してくれ、さらにシステム稼動後も手軽に機能改善してくれるベンダが作ったシステムとで、どちらが使いやすいかと言えば、それは後者だと思う。しかし、99.9%の信頼性の開発に必要な工数と99.99%の開発に必要な工数の差はかなり大きい。

 ITエンジニアの開発実績は完璧な誰にでも参照できるデータベースを用意し、すべての開発エンジニアの過去の実績が分かるようにする。そのデータベースでは、開発したシステムの使用実績も将来にわたって、データとしてインプットできるようにし、例えばあるエンジニアが保守性がひどく低い開発を行ったとして、そのことが開発の数年後に行われたエンハンスの時に発覚したら、それがしっかりとその開発者の罰点として記録されるようにする。

 日本の大学入試は、推薦入試などや大学まで一貫教育の私立大学などを除いて、一発勝負が普通だ。それはそれですばらしいシステムだと思う。これにより、中学、高校までどんなに遊んでいて、成績が悪い学生でも、浪人後の1年間必死に勉強することにより、逆転勝利できてしまう。18歳ぐらいまでは、その成長は不安定なものだと思う。内申書が悪いということで、そういう学生から進学のチャンスを剥奪するのは大きな損失だと思うからだ。

 しかし、大人になったITエンジニアに、甘えは許すべきではない。失敗したら、それが一生経歴にしてついて回るシステムは悪くないと思う。わたしの経験ではある年数以上の経験のITエンジニアは、その能力が異常に伸びるようなことはないと思う。だめなITエンジニアは一生だめだろう。

 しかし、こういうシステムが本当にうまく機能し始めたとして、優秀なエンジニアにも、1つや2つの罰点がつく状態に自然になると思う。重要なのは、その罰点がついた理由がはっきりと分かることだと思う。まったく、あたらしい技術を採用した結果、うまく開発ができなかったが、その失敗を一度経験しているので、次に同じ技術を使うときは、誰にも負けない開発ができる、などである。重要なことは、そういうことが、発注者側にオープンに情報として与えられていることだ。

 そうやってできた「国」によるIT案件発注システムだが、それを民間の案件にも広げていくことが次に重要になる。そのために、上記のデータベースの民間への開放、システム開発の成功度の判定のノウハウなどをどんどん民間に、広げていく努力をする。 

 そんな風に、シンガポールの成功例を見ながら、日本国のこれからのあり方を考えてみるのも悪くないなと思った。

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