日本に帰国して思ったこと。その2
シンガポールにやってきて、まず必要だと思ったものが「携帯電話」だ。
日本で携帯を買うなら、大型電気店の店頭に大量に並んでいる携帯を適当に選び、その場で契約すればいいわけだが、こちらではシンガポールのいたるところにあるキャリアの店頭で、契約と同時に携帯を購入することが普通らしい。2年間の契約をつけることによって、無料で携帯を手に入れるようなオファーもあるわけで、それならそれでもいいかとも思った。しかし、2年間シンガポールにいることが確定したわけでもないときに、2年間の契約を結んでしまうことに少し躊躇して、結局日本にはない方法で、携帯を手に入れることにした。
キャリアが提供するのはSIMカードのみなので、そのSIMカードをキャリアとはまったく独立した店(中古店でもいいのだが)で購入した携帯電話に装着して、携帯電話を使えるようにする方法だ。この方法で携帯を契約することを、『NO CONTRACT』と言うらしい。携帯を購入する際にキャリアとの契約、つまりコントラクトがないからだ。
携帯のハード上に、個人のIdentity情報は格納されていない。IdentityはSIMカードと呼ばれる小さなメモリーカードに格納されている。こういう形の携帯は、実は世界では常識らしい。最近になって、iPhoneのSIM Freeうんぬんの話題が上るようになって、SIMカードの存在が日本でも知れわたるようになってきたようだが、世界ではこれが当たり前のようだ。この方法だと、SIMカードを別の携帯に移し変えることによって、簡単に携帯ハードの乗り換えが可能だし、逆に同じ携帯電話を使いながらキャリアを乗り換えることも簡単にできる。
そんなことはよしとして、2006年ごろシンガポールでわたしが購入したのは、ソニー・エリクソンの当時一番安かった携帯電話だ。基本的には電話とSMS(携帯のメール)の機能しかないものにした。100シンガポールドル。日本円で6500円程度。これが高いのか安いのかよく分からない。とにかくそれを新品で、ある小さな携帯ショップで購入した。
さて、購入後、1年ぐらいたって、携帯の電源が入らなくなった。購入したショップに持っていったところ、「カスタマーセンターが隣の駅にあるので、そこに行くように」と言われた。日本の家電ショップの感覚で、「ショップが壊れた製品を引き取ってくれてメーカーに修理を依頼してくれるシステム」を期待していたわたしは少々戸惑った。
「国によってシステムが違うから仕方がない」と思い、近くだったこともあって、カスタマーセンターに行くことにした。そこには、ものすごい数の人がいた。結局、3~4時間待たされた挙句に問題の携帯を見せると、携帯を2週修理に出すことになった。
無料で修理をしてはくれたのだが、アフターサービスのレベルは、やはり日本の右に出るものはないことを再認識した。携帯ショップの店員、カスタマーセンターの担当者の対応。自分のところで作った製品が壊れて、それを顧客が3~4時間も並んだにもかかわらず、カスタマーセンター担当者の態度はぞんざいだった。
いつも思うことだが、日本社会の顧客第一主義は、たぶん世界一のレベルにあると思う。
先日、日本に帰国したとき、宿泊したホテルのコーヒー店で朝食をとっていた。朝からの仕事の準備で読まなくてはいけない書類があって集中したかったのだが、店内がうるさくてそれどころではなかった。
客同士が騒いでいるわけではない。店員が何をやるにしても、『ありがとうございました』を連呼するのがうるさいのだ。コーヒーを静かに飲みたいなら、もっとこじんまりとした客が少ないコーヒー店に入ればよいのかもしれないが、ホテルの1階にあって便利なのだから、仕方がない。コーヒーの注文を受けたとき、いちいち復唱。それも大声での復唱。できあがったコーヒーを客に出す時は、『ありがとうございます』。料金を受け取ったときは、その金額を復唱。おつりを渡すときも、その金額を復唱。店員はアルバイトのようで、たぶんマニュアル教育を徹底的に受けているのだろう。慣れないわたしにとっては、うるさくてしかたがなかった。顧客第一主義は結構だが、ここまでいくと少しやりすぎじゃないかと思う。
日本では、接客業の採用で「接客業の経験あるなし」が、大きな判断材料になると聞いた。こういう風に日本の接客従事者に必要な特殊な能力、というか接客の仕方を見ると「さもありなん」とうなずける。
海外の接客業の採用で、どれだけ接客業の経験が重視されるのかはよく知らないが、海外で顧客として接客業の人と接していて、別に特別な対応をされている感じがない。たぶん、トレーニングの必要性はないような気がする。「明るい性格か否か」「物怖じしないか否か」など、本人の基本的性格がもっとも重要視されるのではないだろうか。
数十年前にワシントンに出張に行って、ワシントンの観光バスに乗ったことがある。驚いたことに、運転手がマイクに向かって観光ガイドもしてくれるのだ。そのガイドの内容だが、実に内容が深い。さらに話し方が、陽気で明るい。アメリカ人は、どんどん突っ込んだ質問をしてくるわけだが、それについて適格に解答してくれる。
ガイドにも限界がある。当然分からないところもあるわけだが、そいうところは明るくごまかしてくれる。しっかりとワシントンについての知識を身に付けていて、さらに明るい性格の人がガイドをやっているのがよく分かる。日本のハトバスガイドが披露するプロフェショナルなガイドぶりも立派なものだが、聞いているとどうも「丸暗記した内容を話しているに過ぎない」としか思えない。それが分かってるせいか、誰も突っ込んだ質問もしない。
シンガポールやロンドンでは、ダブルデッカーの屋根を取っ払った観光バスが、町中を走っている。こういうバスは、だいたい観光ガイドはテープを回して聞かせてくれるだけだ。当然、料金は安い。日本のハトバスも、丸暗記した内容を話すだけなら、テープを回すだけでいいのではと思ったりする。ただし、そのあたり、ハトバスはかわいいガイドのお姉さんが説明してくれるということ自体が東京の観光名所の1つだったりするわけで、それはそれでいいのだろう。これはわたしの思い込みかもしれないが、アジアに初めてやってきた欧米人にとって、必死に観光ガイドしてくれるアジア人女性の姿は、なかなか感動的なものじゃないかと思う。