シンガポールでアジアのエンジニアと一緒にソフトウエア開発をして日々感じること、アジャイル開発、.NET、SaaS、 Cloud computing について書きます。

日本に帰国して思ったこと。

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 先週書いた話題は、ちょっとセンセーショナルなタイトルにしすぎた。今回はネタが尽きていることもあるので、ITとは直接関係ないことを書く。

 小生、いままでの人生の4分の1弱ぐらいの間、海外で生活していた。社会人になってからだと、半分ぐらいが海外生活になる。長く海外に滞在した後に日本に帰国すると、どうしてもいつも軽いカルチャーショックを感じる。浦島太郎、それともジョン万次郎効果と呼ぶべきものだろうか?

 思い起こすに、帰国そのものに一番感動したのは、最初のロンドン駐在で、一時休養のために帰国した1990年だ。25歳のときに赴任して以来3年間一度も帰国しなかったが、28歳のときに駐在員に与えられた会社の制度を利用して帰国した。

 成田空港への着陸寸前に飛行機の窓から見えた千葉の田園風景に、なぜか感動したものである。隣に座っていた外国人に思わず、”That  Japanese rice field!”と話したことを覚えている。”Japan as number one”の時代で、文字どおり日本は繁栄を謳歌していた。空港から都心に向かうリムジンバスの窓から見える車はすべてピカピカで、「経済大国日本」を実感した。当時のロンドンを走る車のほとんどは薄汚れた汚い車ばかりで、その違いを認識して感動したものである。

 しかし、それもいまから考えると当たり前のことか、と思う。日本には、ものすごく費用のかかる車検の制度がある。それにかかる費用も、車の年数が高くなればなるほど高くなるシステムだ。車のオーナーは、年数を経るにつれて高くなる維持費を払い続けるよりは、新車を買うほうがいいと判断するようになる。道路を走る車の平均年数が低くなるのもうなずける。この制度、車のオーナーや生活者のためというよりは、日本経済を支える自動車産業のためだろう。

 話は変わるが、わたしは大阪出身で、学生時代は大阪の郊外の枚方から神戸まで通学していた。郊外の駅に乗るとき、当時の大阪人には「行列を作って電車に乗る」という考えがなかったようで、電車を乗車する人と降車する人が『ゴチャゴチャ』になって電車に乗るようなことをしていた。東京に出てきて、東京の人はしっかりと整列乗車をするし、降りる人が全員降りるまで、絶対乗車しない習慣を見て、関東の人の公衆マナーの良さに少し感動したことを覚えている。

 少し時代をさかのぼって、ロンドンに駐在していたころ。ロンドンのいわゆる『チューブ』、つまり地下鉄に乗るためのエスカレーター。これがかなり長いのだが、だいたい左側に人が並び、右側は急いでいる人のために空けておく習慣があった。若くていつも急いでいたわたしは、空いている右側を使って、エスカレーターを一気に駆け上がることを習慣としていた。当時、最初にその風景を見たとき、「実にすばらしい習慣だ」と感動したことを覚えている。

 いつのころからか、日本にも同じ習慣が根づいたようだ。それはそれですばらしいことだが、つい最近日本に帰国したとき、「これは少しやりすぎでないか」と思ったことがある。東京のある駅で、電車を降りてエスカレーターに乗るとき、エスカレーターに乗る前の行列がぜんぜん前に進まない。よく見ると、人はエスカレーターの左側の前に1列に並んで、誰も右側に乗ろうとしない。

 エスカレーターの前には1列の長蛇の列、そしてエスカレーターの右側は、誰も立つ人がいない状況。コンピュータに例えれば、せっかくの64ビットの CPUがあるのにもかかわらず、32ビットのアプリケーションしかない状況と同じである。せっかくあるエスカレーターの能力を、半分しか使っていないことになる。資源の無駄使いである。

 たぶん、並んでいる人も、「何かおかしい」とは思っているのだろう。しかし、誰も空いている右側にいこうとしない。世界広しと言えど、たぶんこんな風景は日本だけかもしれない。いまのロンドンがどうなっているのかは知らないが、シンガポールのエスカレーターにも同じルールがある。しかし、エスカレーターで左側だけに人が立つ風景は、そんなに込み合っていないときだけである。込んでくると、やはりエスカレーターの両側に人が立つようになる。

 考えるに、エスカレーターの右側が空いており、左側に乗るためには少し行列ができている状況に出くわした時、シンガポール人はこんな風に考えるのだろう。

 「左側に立つのはルールだけど、そのために並ぶのは、あまりにばからしい。回りを見ても別に急いでいる人もいないみたいだし、右側に立ってもいいだろう」

 かくして、右側が空いていたエスカレーターにも、右側に人が立ち始め、自然に両側がしっかり使われるようになる。

 ほかの国の人と比べると、東京の人は「他人と違うこと」をしたがらないように見える。結局、エスカレーターの左側だけに1列に並ぶといった、異様な光景ができてしまう。日本の行く末に不安を感じるのは、わたしだけではないと思う。

 これからの世界は、多様な考え方を持つ人が自分で物事を考えて、皆てんでばらばらに行動して、それでいて全体として成長していくような世界だと思う。皆が同じような考え方をして、少しでも人と違う行動をとる人が後ろ指をさされるような社会には、未来がないような気がする。

 さて、この場面に出会ったわたしの行動は、右側に1人立つことであった。大きな荷物を持っていたので、右側を駆け上がることもできず、ちょっと勇気が必要だった。だが、1列に並んでいる大勢の人を左目に見ながら、前に進んで堂々とエスカレーターの右側にと立たせてもらった。誰も、右側を駆け上がろうとする人がいなかったので、誰にも迷惑はかけていないことを、ここに書かせていただく。

 先に書いた大阪では整列乗車がなかったという話だが、1982~3年のことである。日本にまだ元気があった時代だ。いまの大阪の状況は知らないが、たぶん整列乗車するようになっているだろう。ところで、上海に2年ぐらい前に行ったとき、昔の大阪と同じで、降車する人と乗車する人が『ごっちゃ』になる地下鉄の乗車風景があった。たぶん、いまもそんなに変わっていないのはないかと思うが、どうであろうか。中国は現在、高度経済成長まっしぐらである。

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