シンガポールでアジアのエンジニアと一緒にソフトウエア開発をして日々感じること、アジャイル開発、.NET、SaaS、 Cloud computing について書きます。

海外に行きたがらない若者たちに

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 最近の日本のニュースを見ていて気付いたのだが、最近は海外赴任を命じられると断る若者が多いらしい。日本のマスコミは嘘をつくことが多いので、あまり信じたくない話だ。わたしは海外に行きたくて最初の会社を選び、社会人人生の半分を海外で勤務して過ごした。今回は、そんなわたしが考える『海外赴任』について少し書くことにする。

 日本人は、海外というものに少し構え過ぎているのではないだろうか?これは、外国と国境を接することがない島国の特徴かもしれない。確かに、海外に行くためには、飛行機に乗らないといけない。しかし、漂流することでしか海外に行けなかったジョン万次郎や、何十日も船に揺られた幕末の長州ファイブ、明治時代の海外留学組の苦労、そして戦後の円の持ち出しを制限されていた時代の海外渡航者と比較すると、現代はかなり海外が『近く』なったものである。

 もしかしたら、多くの日本人は古い海外渡航のイメージを、いまだに持ち続けているのかもしれない。持っているイメージが変化に追いついていないために損をしていることは世の中にたくさんあると思うが、海外渡航に対するイメージもその1つだと思う。

 まず、渡航。飛行機の旅はヨーロッパや北米なら10時間程度、中国、韓国なら1~2時間、東南アジアなら7~8時間。たったそれだけだ。しかも、かかる費用もディスカウントチケットが普及したため、非常に安い。

 東京から新幹線で九州に行くことや、東北に行くこととあまり変わらない。『飛行機は落ちるので怖い』という人はもうあまりいないとは思う。統計的に見て、飛行機に乗って死ぬ確率は、自動車に乗っていて死ぬ確率よりはるかに低いことは事実である。「確率の問題ではない。飛行機に乗って、それが空を飛んでいるのが怖い」という感情的な「怖さ」がある人もいるだろう。とはいえ、最近の大型飛行機では、揺れなどほとんどなく、窓の外を見ない限りは空を飛んでいることに気付かないぐらいだ。

 渡航した後、日本の生活では当たり前と思っていたものがなくなり、不自由を強いられるという人がいるかもしれない。しかし、最近の海外には「日本」がたくさんある。現にいま、わたしは海外に住みながら、日本のWebサイトのためにコラムを書いている。外国に住む日本人にとって、インターネットが日本との距離をどれだけ小さくしたか分からないぐらいだ。わたしが最初にロンドンに赴任した1987年ごろ、当然インターネットはなかった。2回目に赴任した1995年ごろは、赴任中にモデムを購入して電話回線でインターネットへの接続を始めた。当時、接続にはかなりお金がかかった。動画なんて到底、無理。

 いま、わたしはシンガポールにいるが、インターネット接続は無制限で使える。そして、シンガポール全土をサポートしている、Wireless@SGのおかげで、無料で接続することも可能だ。ただし、まだWireless@SGでの接続は、速度的に遅いことが多くて、動画は見れない。月に3000円程度の接続料をプロバイダに支払うことで、ブロードバンドへの接続ができる。これで、日本の情報は海外にいても変わらない程度にコンテンツを入手できる。

 日本のテレビが見たければ、日本のドラマやバラエティを無料で見られるWeb サイトが数多くある。実は小生、シンガポールに住んで、日本にいたころより多くの日本のドラマを見ている。最近わたしが欠かさず、リアルタイム、つまり日本で放映された日とそれほど時差を空けずに見ている日本のドラマは、『竜馬伝』、『外事警察』『仁』『不毛地帯』『救命病連24時』、ほか多数ある。

 ところで、日本のインターネット上のテレビのサイトはGyaOなどがあるが、これはいただけない。なぜか。海外で視聴できないからだ。あえてここでは書かないが、わたしが利用している動画サイトは米国のもので、全世界の人が無料で全世界の番組を見ることができる。

 「テレビなどどうでもよい、欲しいのは日本の食品だ、日本語の書籍だ!」という人のために。この辺のものは、国によって手に入りやすさが異なるが、ここシンガポールは数ある外国の中ではおそらく世界一日本のものが手に入る国だと思う。前からある日本のものとしては、高島屋などのデパート、紀伊国屋などの日本書籍屋。100円ショップのダイソー。日本の食品は、普通の現地のスーパーマーケットにある日本食コーナーで買えることが多い。これらの商品や食品は値が張ることが多いが、駐在員として赴任する場合は赴任に伴って給与も連動して高くなることが多いので、問題ないだろう。

 最近シンガポールに進出してきた「日本」のものとして挙げられるのは、クロネコヤマトの宅急便、ユニクロなどだろうか。人口が減少局面に入って収入も減り始めた日本国内ではもう成長できない、と悟った日系企業が続々と海外に進出している。シンガポールは、最も日本に『近い』外国、法制面でも世界一起業しやすい国だ。日本企業が海外に進出する際、最初の国として選ばれることが多いのかもしれない。現在、わたしはシンガポールにいるわけで、いまの他国事情は良く分からないが、1990年代のロンドン、カリフォルニアには日本食品屋や日本書籍屋はしっかりあった。

 「そんなことはどうでもよい。海外に行ってしまうと、日本の友達や恋人と別れなくてはいけない」という人もいるだろう。だが、人と別れる必要があるのは、外国に行くのも日本国内の転勤で遠くに行くのも同じだということを忘れてはいないだろうか? さらに、最近はSkypeなどのインターネット電話のおかげで、無料でテレビ電話ができる。たかが10時間程度の時間、10万円程度の費用を払えば、お互いが飛行機で行き来できるのだ。こういうものがあれば、2~3年恋人と離れて暮らしても我慢できるのではないだろうか。わたしの時代は、海外への赴任をきっかけに結婚する人が多かったし、わたしなどは海外からの帰任をきっかけに結婚した人だったりする。いまの時代、そういうきっかけもなくなりつつあるのかもしれない。

 後、これは若者とはいえない人になるが、家族や学齢期の子供を持つ人の海外赴任。この場合は確かに、赴任は大きな1歩になるだろう。しかし、英語圏への長期赴任なら、それを大きなチャンスとして捉えてほしい。ネイティブレベルの英語、そして文化の理解ができる日本人は、これからの時代に最も必要とされる人材だと思う。そいういう子供を育てられるチャンスなのだ。こんなチャンスはめったにない。

 たまたま、日本語学校がある地域への赴任だったとしても、フルタイムの日本語学校に行かせるような判断はしないでもらいたい。日本人なのだから、日本語の学習は必要だ。これは、日本語の補習校と家庭教育で済ませることにして、英米の教育を受けられるまたとない機会を逃さないでほしい。なお、ネイティブレベルの英語を話し、英米の文化が分かる人材は、将来英米で働く時に有利というよりは、世界で働くときに有利だ。好む好まずにかかわらず、世界は英米を中心に動いている。いくら中国が強大になろうと、これは変わらないと思う。

 しかし、運悪く非英語圏への赴任となった場合。現地に英語のインターナショナルスクールがあればよいが、ない場合は単身赴任などという、悲しいことになってしまうかもしれない。

Comment(7)

コメント

naomsa

はじめまして、naomsa といいます。

自分は、両親の仕事の関係で米国で育った日本人です。

仰る通りです!って、これ以上の言葉が見つからなくてスイマセン。

細かく話をしますと、米国での社会人経験もありますが、今は日本の起業で仕事をしています。子供の頃は現地の学校および日本語学校と両方通って、大変でしたが、今は、両親に感謝しています。その苦労があって、今仕事になっていますので。

海外は決して怖いところではありませんよね。ちょっと枠の外 (英語で言いますと、Outside of the box) を考えると、色々と可能性が。

良いコラムでしたので、つい。大したコメントでなくて、すいませんでした。

Fufuhu

こんにちは、Fufuhuと申します。
来春から社会人の大学院生です。
たしかにまわりを見回すと海外で働きたいって人は見当たりませんね。

私自身は日本で最低限のスキルを身につけた後、ベトナムやインドで働けたらな~と思っています。私の場合は日本では今後、技術者として一生働くことはできないと感じてるので東南アジアの方に行きたいと考えています。旅行で海外にいこうとは思いませんが仕事では海外に行きたいなと思っています。(できれば10年以上の長期赴任で)

こんな変ちくりんな学生もいるんです。

雨野

はじめまして。
私はアメリカに駐在してERPプロジェクトのマネージャをしています。

以前、同じようなニュースを見ましたが、確か、日本の若者は日本が居心地が良くて海外へ出たがらないというようなことが書いてありました。
でもコラムに書かれている通り、海外にいてもそんなに困ることはないんですけどね。

もっと海外が遠くて不便な時代は、それでも海外に出たがったのに、インターネットが普及して便利になった今は内向きになっているというのは、寂しいですね。

keta

待遇が大幅に悪化しているのも関係あるのではないでしょうか。昔は海外赴任手当てがたくさんついたので、給料をそのまま貯金できるような待遇が当たり前だったと聞きます。今、そんな会社はほとんどないのではないでしょうか。

例えば、「現地は物価が安いから海外赴任手当ては0、家賃は給料天引き、帰国の交通費を会社が負担してくれるのは年1回のみ。それ以外は自腹で出す」だったらよほど海外好きでなければ行きたくないのではないかと思います。事実上、「年収が300万円アップ」なら躊躇する若者も減るのではないかと思います。

やまもと

多くのコメントありがとうございます。この話、関心が高いようで、私のコラムのなかえコメントの数の記録を破ったようです。

naoma さん
両親に感謝しましょう。私自身、海外で外国人と一緒に仕事をしていて、英語が分からない、彼らの考えていることが分からない、ということで苦労したことがやまとあります。これからも、そういう苦労をしていかなければいけないかと思うと、悲しいです。それなら、なぜ海外で仕事をする道を選ぶのかという人もいるかもしれませんが、それは苦労はするが、それに以上にうれしいこと、たのしいことがあるから、選ぶのです。naomaさんのような方は、海外での生活のマイナスの部分が、ほとんどゼロになるわけです。最高です。

Fufuhuさん
東南アジアでソフトウエアをやろうと考えるということは、日本人なら多分ブリッジエンジニアでしょうか?それよりは欧米で、ソフトウエア開発者の道を選ぶことを薦めます。高い給与で、好きなプログラムだけをやる仕事を選べます。もちろん、プログラムが好きという前提の話ですが。

雨野さん
若者には海外に出ろとはっぱをかけておきながら、矛盾するのですが、じつは小生自身は、日本に帰りたいなと思い始めています。コタツでみかんも良いし、紅白歌合戦を見た後、行く年来る年を見ながら、近くの寺でなる除夜の鐘を聞きながら、そばをたべるのもおつなものです。年はとりたくないものです。 

ketaさん
私が、最初にロンドンに赴任したとき1987年ですが、25歳でなんと、手取り2000ポンドの給与でした。35万円ぐらいでしょうか、そのころの日本での手取りが10万円以下でしたから、高い給与に驚きました。待遇が、大幅に悪化しているのか...... そういう問題がありのですね。大人が自分たちのころはこんなだったと、言っても今の若者の色々と厳しい事情があるのですね。

Fufuhu

やまもとさん

そうですね。基本的にブリッジエンジニア志望です。
その一方で欧米でハッカーとしてバリバリとプログラムを組むのにも憧れます。(いちおう情報科学が専門なので)研究で使う小道具をささっと1~2日で自作したりはあるんですが…JavaとPerlを主に使っている人間からするとCやC++をゴリゴリ使いこなせる人は羨ましいです。

まだ学生なので、入社して自身の適性を見極めてからにしたいなと考えています。
英語に関しては日常会話~自身の研究に関してまで一通り聞いて話せるので大丈夫です。(研究室の留学生が多すぎて英語を話していることの方が多いので…)

しかしながら、特にソフトウェア業界で若者が海外に行きたがらないのはもっと根本的な原因があると思います。

それは平均的な質の低さです。

特に学生を見るとわかるのですが、ほとんどの学生は自分のパソコンのスペックを知りません(ちなみに某国立大学情報系学部のはなしです)。メインメモリとHDDの違いも分からない,OSはウィンドウズ以外知らないなんて学生がごろごろいます。
学生自身も自身の能力の低さを分かっていて「自分がいっても海外じゃ通用しないわ」と判断しているのだとおもいます。

ショボン

これが書かれたのは2年前のことですが・・・、

反日国には例え短期の出張でもいきたくありませんね・・。
命あっての物種です。

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