工業高校生の夏休み
工業高校時代の夏休みは、情報棟(じょうほうとう)に涼みに来ていました……おっと。もとい、プログラムを組みに夏休みもやって来てましたよ。コンピュータ技術研究部(通称:コン技研)の部活で。
■エアコンはパソコン様のもの
あのエアコンは、そもそも、パソコン様を熱暴走から解放するためのものであって、人間を涼しくするためのものではなかったのでありました。それにしても、涼しかったよなあ、情報棟。8インチのフロッピーは、扇ぐのにもってこいで、パタパタと、それこそフロッピーをフロップしていました(あかんやろ)。
うちのパソコンくんも、27度を越えるとファンがうなりをあげて「冷ましてくれえ」と言うので、仕方なく冷ましてあげています。エアコンのドレンが内側に漏れるのを直す工事で、軽く1万7000円ぐらいは飛んでいきそうなので、困った奴だなあ。なにせ平成8年からこのエアコンだからね。当時の政府、もっと言えば「空港周辺整備機構」と折半して取り付けたエアコン。いまはそんな資力もないので、騙しだまし使っています。あと、エアコンは、リモコンを新しくしたぐらいかな。ボタンが湿気て押せなくなったので、7000円×2台分、飛んでいきました。面倒な奴だ。
冷房を取るか、関西電力を節約するか……大阪は32度台になっていますので、命とお金どちらを取るかと言えば、やはり命でしょう。お金ならゆっくり支払えばいい。年寄りみたいな、やせ我慢は命取りでして、まずは、命あってこそ。僕は今日(2010年7月27日)、熱射病みたいな症状で5時間ベッドで昏倒し、午後4時から9時まで、いつの間にかベッドの上でした。情報棟は、基本飲み食い禁止ですが、ボトル入りのポカリスエットを携帯すべきでしょうね。僕は2リットルの塩水で息を吹き返しましたが……。眠るときは、しっかりアイスノンして寝ます。これで完璧です。
■近所の駄菓子屋、まだあるのかな
おっと、話が脱線しました。情報棟ですね。情報棟を離れた後は、坪久田(つぼくた)商店に行って、冷たい飲料やアイスクリーム、できたてのカップ麺などを買い食いしたことを覚えています。今でも学校の近所にあるのだろうか……。当時、千葉駅近くのゲーセンが下級生のオアシスなのに比べて、坪久田商店は、主に上級生のオアシスだったような気がします。小さな畳の部屋が開放されていて、運動部帰りの上級生がくつろいでいる場面をよく目にしました。たとえば、最近では「ペヤング」は近畿でも見かけられますが、当時は、関東ローカルの焼きそばだったりしました。
暑い時は難儀なので、千葉駅から生実(おゆみ)方面行きの小湊バスに乗ったりしました。なにせ座れる。エアコンが効いている。学校前で停まる。なので一時期、蘇我駅から延々外房線の線路際を歩くんじゃなく、千葉駅から小湊バスに乗っていたことを思い出しました。しかし、ここでも問題が。途中で催した場合。電車ならもれなくトイレがあるのですが、バスにはそれがないので、道でファミレスを見つけたら、即座にブザーを押して止めて、ファミレスで用を足したことがありました。出物腫れ物所嫌わず。
その後、自転車通学圏内の内房線の浜野とか、県営住宅が当たったので総武線の西千葉とかから通学していました。西千葉のときは、隣がモンゴル人で、いっつもサーターアンダギーみたいな油菓子を持ってくるので、お返しが大変でした。食べるのも大変でした。なので、こっそりゴミにすることもありました。その後、家のゴタゴタがあって出ていった先が外房線の誉田で、少しだけ住んでいましたが、そこから兵庫ですね。あー、ややこし、ややこし。
思い出すのは、夏のコンピュータと、ともだち。いまごろは、どいつもこいつも出世してやがんだろうなあ、と想像をめぐらせながら……。
(昔ばかりが良いとは限らないけど、やっぱり昔も良かった)