筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

機能美を追求したビジネススーツ

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 僕のワークスタイルというか、ビジネスのファッションスタイルというものは、実に質実剛健です。どこにも無駄がない。というか、どこかにもう少し無駄があってもいいんじゃないかと思うぐらいに、実用一点張りなのです。というか、このダークグレイは、いわば18歳から22年間の伝統になりつつあります。着こなしたスーツは歳の数だけあります。

 また、画面右手の顔写真をご覧下さい。今回は、お金もないのに、大枚はたいて、散髪屋と写真屋に行って、ヘアスタイルは、課長 島耕作をイメージしてみました。眼鏡のある&ないバージョン2パターンを撮影されたものを、CD-Rに焼いてもらい、さらに Fireworks でデジタル処理したものです。眼鏡があると、見た目気持ち悪いので、コンタクトか何かにしようかな。

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ダークグレイ Since 1988

 ご覧下さい、このバリエーションのなさ。「どうして、同じ服を着ているの?」というふうに言われますが、いいえ、きちんと着替えています。ただ、色が同じなだけで……。「じゃあ、なぜいつも同じ色なの?」と言われれば、答えは簡単です。僕が社会人になった頃、ソビエト連邦ゴルバチョフ書記長が、ゴルビー(死語)、このダークグレイの背広を、いつも着ていたからです。ああ、ああいう大人になりたいな、と思った次第です。

 たまには他の色の背広もあつらえろよ、お洒落しようよ、とおっしゃる向きもあろうかと思いますが、肌になじむというか、他の色では、色白の顔が浮いてしまうのです。だから、このように、まるで制服であるかのように、頑としてダークグレイなのです。また、代々、武家の家柄ですので、これはもはや背広ではなく、裃(かみしも)と同じような感覚でいるのです。ここまで来ると、これはもはや人民服と言っても過言ではなさそうです。

 まるで、頑なに銀色な東急電鉄だったり、頑なにマルーンブラウンな阪急電鉄のような、いわばもう、コーポレートカラー(?)だったりするのです。つまり、自分CI(コーポレート・アイデンティティ)をやっているのと同じようなものです。

 ちなみに、靴下は、木綿の真っ白な靴下と相場が決まっています。できれば、庶民スーパーで、3足980円だったりすると、合理的でうれしかったりします。つまり、靴下感覚はなく、むしろ、足袋(たび)代わりの感覚だったりするので、白以外に考えられないのです。

 同じ色にしておくと、カラーコーディネートの手間が省けます。スラックスが消耗、消費されても上着が使い回しできます。スラックスだけ買い足せばいいあとはネクタイだけ気分次第に替えればいい。ネクタイピンや時計などの小物でファッションスタイルを整えればいいだけの話です。

 ちなみに、それ以前、学生時代は、TシャツにベルボトムのGパンといった、デニムカラー(つまりホンジャマカの石塚さん状態)だったのですが、社会人になってからは、近くのコンビニに行くのにもダークグレイなのです。

 靴は一貫して、黒色の合成皮革です。合成皮革は雨をはじき、傷にも強い。ましてや、浸水もしない。最近では、プライムショッピングのすこぶるウォーカーや、アイグリップウォーカーだったりします。うたい文句通り、歩けば歩くほどにアタマが良くなればいいのですが、老化現象が起きつつありますので、五十歩百歩だと思います。

 それに加えて、グリップ性能や、ワックスがけをしなくていいという合理化、つまりメンテナンスフリーの靴だから、これを選んで買っています。なので、一見、毎年毎年、靴もまったく同じように見えますが、実は少しずつ違う、ということです。

 時計は20年間、一貫して、カシオの銀色、1980円でしたが、最近、年齢に応じたファッションにしようと、セイコー逆輸入品、銀色のクロノグラフ、9800円をはめるようになりました。ちょっといかつい、ガッツあふれるデザインになりました。ストップウォッチ秒針は、主に待ち時間のカウントなどに使います。自分は何分待ったか。それを数えるためにです。もう1個買おうかな……。ネクタイピンも銀色だったのですが、東京旅行の際に置き忘れてきたみたいです……。

 これは、早く起きて職場に着き、慶事仏事両方に対応し、客先に対して、失礼のないデザインで、かつ、使い回しが利いて、インフラ系SEの仕事のような場合、電話一本ですぐ寝間着からフォーマルに着替えられるメリットがあります。メリット抜きには語れません。僕の場合、メリットがすべて。思わず、シャンプーまでメリット(笑)。ファッションスタイルのなさを追求すると、シンプルな機能美にたどりつくわけなのです。

◇ ◇ ◇

追伸:前コラム「修羅の如く」の一部に誤りがありました。

誤:田所籐次郎 正:田所騰次郎(とうじろう)純家(すみいえ) 沸騰の「騰」と書きます。

 高知市役所に除籍の原本を請求していましたが、無理なようです。ひいひい爺さんから更に、ひいひいひい爺さんより前にさかのぼれるかが勝負でしたが……。高知県土佐郡潮江村(現:高知市)上町六十三番屋敷三十号、という武家屋敷が住所らしいです。除籍の原本の保存年限は、高知市の場合、基本的に、当主の死後60年間ということで、昭和33年に全部廃棄。つまり、燃えるゴミ。なので、除籍の原本は残っていないそうです(実に、もったいないことを!!)。

 また、高知市立図書館著の「土佐藩御役人帳 第2巻」という書籍が、京都市立図書館にあるので、見に行ってみようと考えています(兵庫・大阪のオンラインデータベースにはなかったので)。いよいよこれは幕末ドラマですねえ。龍馬伝ブームですから、もし坂本龍馬と、一瞬でも面識があったら、これはいよいよ、面白いでしょうね。

(伝統とメリットが僕を支えています……)

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