見えない将来に希望と絶望を描きつつ、今を生きる人間(自分)が何に悩み、何を思うのか書き綴っていきます。

一人前とは何か、そこに立ちはだかる壁とは何か

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 「結局、経験の重みを原点にすると、老人だけが世界について語る資格を持つ。ぼくらは地球のふちに腰かけて順番を待つしかない。それでは村落社会の発想を出ないんだ」。

 冒頭のせりふは、詩人・寺山修司氏が35歳のときに発した言葉だそうだ(*1)。今から半世紀近くも昔の言葉は、今2012年を生きる私にとって非常に考えさせられるものだった。

 社会人4年目で現在25歳の私は、業界の中から見ればまだまだ若手の部類に入るのだろう。だが、その置かれた立場のあいまいさに私は戸惑いを感じている。転職マーケットでいうなれば、少なくとも第二新卒ではなくなったわけだが、一方で中途というほど自らの実践経験に胸を張れるかというと、それもまた疑問である。

 まだまだ半人前の未熟者、いったい私はいつになったら一人前になれるのだろうか。そもそもこの業界において一人前であるということは、いったい何をもって一人前なのかも分からない。一人前になろうというのならば、まずはそのゴールを考えてみないといけないな、と25歳の私は思った。そうして今回のコラムを書くに至る。

■「信頼」と「安心」のブランド、それが一人前の証

 一人前かどうかを表すものとして、さまざまな事柄が挙げられるだろう。お金を稼げること、一人で仕事が回せること、誰にも負けない優れた能力を持つこと。どれも間違いだとは言い切れない。だが、それらは一人前になった結果の上に成立するものであって、真に一人前であるかどうかを表すものではないと私は思う。

 では、一人前とはいったいどういう状態を指すのか。それは自分以外の人から「この人なら安心できる」と認められることだ。「信頼」と言い換えてもいいだろう。仕事の仲間内で信頼関係を築けているからこそ、任される作業が増えていく。クライアントから「安心できる」と思われているからこそ、仕事を受注できる(=お金を稼げる)。逆に一人前でなければ、つまり「この人では安心できない」と思われたのなら、その人に任された仕事や作業は、その信頼の度合いに比例するように減っていってしまうだろう。

 また能力についても同じだ。特殊な能力や優れた能力を持っていたとして、最初のうちは周囲からの興味や期待が生まれるかもしれない。だが、最後にはその能力を生かしてきっちり成果を出し、信頼を得られない限り、「あの人のやっていることは趣味」と思われるに過ぎないのだ。

 ※特に資格の勉強に励む人にとって、「資格を取得することは、あくまでその分野に通じる知識を証明するだけであって、ゴールではない」ということは決して忘れてはならないことだろう。

■所変われば品変わる、一人前は障害物にも変わる

 加えてもう1つ注意したいことがある。それは環境や状況が変われば、再度一人前に向けて走り出さねばならないということだ。例えば、現場が新しく変わったら、そこで扱われるシステムや業務、私たちの仕事に期待される成果や目的は、これまでのそれと似ていることはあっても同じということはない。ゼロとまではいわないが、ゼロに近い状況から再スタートして、新たにまた一人前になる気概を持たないといけないのだ。

 日進月歩という言葉では足りないほど、情報テクノロジ分野は成長している。社会もまた同様に成長している。そしてわれわれ人間も成長している。そんな中で、これまで通用していた力が、これからの社会でもそのまま通用すると考えるのは楽観的過ぎるだろう。どんなに経験を積み重ねていっても、その時その場所で一人前として認められる存在でなければ、たちまち周囲の人にとっての障害物に成り代わってしまうのだ。

■一人前になる前に立ちはだかる「経験」という壁

 さて、ここまでを振り返ると、自分自身が一人前であるかどうかは、決して自分ひとりでは分からないし、決めることなどできないということが分かった。つまり誰かに認められなければ、一人前ではないともいえる。

 では今度は一人前だと認める立場の視点から考えてみたい。一人前と認める鍵は、やはり「信頼」や「安心」であることは変わらない。その人物の言動や行動を少しずつ目の当たりにして、「この人なら……」と思うようになったとき、一人前という評価に変わる。

 だが、困ったことにどんなに信頼を得るだけの潜在能力を秘めていたとしても、それらを発揮する前に「経験」という壁が、目の前に立ちはだかっていることに私は気付いてしまった。

■最後は「経験」でしか決められなかった

 例えば、あなたがとあるプロジェクトのリーダーを務めることになったとしよう。そして、次にプロジェクトメンバーを募らなければならない。もちろん、人的リソースの予算も限られているから、候補となるメンバーの中から限られた数名を選ばなければならない。そのとき、あなたはいったいどうやってメンバーを選抜するのだろうか。

 私の場合、プロジェクトリーダーという立場ではなかったが、実際に数名の人物と面談をして、人選するという機会があった。そのときの私は、その人たちの「経験」(経歴)を見て選んでしまったのだった。

 もちろんどんなに素晴らしい経歴であっても、新しい現場にマッチする保証はない。逆に、未経験でも後に素晴らしいパフォーマンスを発揮する人物もいるかもしれない。それでも、リスクを考慮したときに納得できる選択肢の鍵は「経験」しかなかったのだ。突き詰めると、未経験ないし経験の浅い人物を起用して、もしその人物が力を振るわなかった場合、「なぜその人物を起用したのか」と考えてしまい、そしてそれを客観的に説明できる術を私は持ち合わせていなかったのだ。

 メンバーに選ばれたということが、即ち一人前ということではないということは明らかだ。でも、メンバーに選ばれない限り、一人前として認められる機会がないということもまた明らかだった。

■ただ順番を待つしかないのか、今はまだ模索中

 一人前とはどういうことなのかについては、大分鮮明になった気がする。けれども、一人前になるに当たっての「経験」という壁を打ち破るには至らなかった。むしろ、それだけ「経験」という壁の大きさを知ってしまったかもしれない。

 このままでは「村落社会の発想を出ない」ということは分かっている。それでも私は、経験以外の術を知らない。やはり「順番を待つしかない」のだろうか。今はまだ模索している途中である。

<参考>
*1 真山知幸『君の歳にあの偉人は何を語ったか』(星海社新書,2012)

<あとがき>
 このコラムはノンジャンルです。今私が考えていることは、必ずしも正しいとは限りません。間違っているとも限りません。結局、それが正しいのか間違っているのかは、後々になってみて分かることでして、少なくとも今はこうではないかという考察を表明したに過ぎません(論理として破綻していたら嘘になりますが)。

 そうなると、コラムを通して論じることができるのは、最終的には“私はこう思う”ということに尽きるのかな、という考えに至りました。たとえそれが周りの意見と一緒でも違っていても、「私は……」という主語が何よりも大事だと今は思っています(少しでも共感していただけたならそれは何よりもありがたいことです)。

 それにしても今回のコラムは具体的根拠が少し乏しかった気がします。まだまだ未熟者だということですね。30年後の自分に笑われないよう、頑張れるうちはもう少し頑張りたいと思います。

Comment(2)

コメント

I Kobayashi

一人前とは、1人の前とあるように、この世に生まれたからには、その短い一生のうちに必ず遭わなければならない人、即ち、師に遭わなければならないと言うことであって、それが、又、大変な事であるとされています。
その"師"とは、学校の先生というような簡単容易なものでなく、習い事の師匠でもなく、金の草鞋を何足も履きつぶして逢えるかどうかというくらい難しい出逢いなのです。
逢えるには、決まった条件や資格、財産・地位・名誉・知識・・・・・、何にも要りません。
そう、貴方の持って生まれた幸いな縁だけなのです。
昭和、平成の日本に生まれ出て来て尊い縁を掴むか、否かは、あなた次第なのです。
いま、その尊いご縁に逢われた人は、日本にしか居なくて、約10万人になろうとしています。
その人たちは、特別な人では無く、そこいらに居る普通の人で、周りの人と何にも違いはありません。
ただ、巨きな安心に包まれていて、人としてこの世に生まれて来た最高にして最大の目的の解決をしています。
ある一人の人の前に居て、それを実感するだけで、ようやっと“一人前"になれたと心の底から慶べる自分の存在が解るのです。
遠い昔から、昭和の50年頃までに、日本でそのご縁に逢われた人は、僅かです。
世界中でもそんなに多くはおられません。
一つだけ、参考文献をご紹介いたしましょう。
それは、明治天皇が遺された、御臨末御書に記されていますのでお調べ下さい。
私も、幸せなことにご縁を頂いております。
最後に、本当に日本で、日本人として産んでくれた両親に感謝するとともに、このご縁に逢えた自分にも、良かったねと誇らしく思います。
一人前になって、本当に良かった。

名無し

一人前とは教える立場である先生や先輩または親がいなくても自分で考えて行動できる精神状態であることだと考えます。
つまりは自分が今の状態から成長・レベルアップするために何が必要か、弱点や欠点は何か、今完遂すべき事のために何をどうすればよいかを全て自分で考え行動できる人です。
そういう精神状態の人は普通の人たちとは違います。
何をするにしても明確な目的と目標を持ち課題意識を持っています。
だから回りからも毎年レベルアップしているのが分かるし、更には他人を指導する事も出来るようになっているはずです。
逆に使えない人は1年前、5年前と比べて何も変わりません。当然です。自分に課題意識がないから目標もない。ただ目の前の自分に出来る他人から与えられた事だけやっている。そんな感じ。
一人前かどうかは年齢や経験年数など固定化された通過点で判断出来るものではないということです。

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