見えない将来に希望と絶望を描きつつ、今を生きる人間(自分)が何に悩み、何を思うのか書き綴っていきます。

言葉の変化についていけるのか

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 「クラウドって何なんですか」と尋ねられたときに「それは……つまり……」と、誰かに流暢(りゅうちょう)に話をしている自分の姿が想像できません。皆さんならどんなふうに答えますか。

 “クラウド”というワードに限らず、当人が意味もよく分からない単語を使ったり、耳にしたりすることがよくあります。”バズワード”という言葉があるくらいですから、そのような状況は私に限らず結構多いのではないかなとも思っています。今回はそんな「言葉」について書いていきます。

■言葉の音についていけなかった

 私は文系(社会学系)の大学を卒業した後、「IT業界ってよく分からないから面白そう」という動機でIT業界に足を踏み入れました。最初のうちは、社会人としての会話に慣れていない分、ちょっとした言動に敏感になっていました。後々調べてみると、英単語がカタカナ読みされただけだったり、ただの聞き間違いだったりするんですけどね。

 それでも当時新卒1年目の私は、打ち合わせでよく分からない単語が出てくると、頭の中は?マークだらけでした。それは社会人としての常識レベルの言葉なのか、それともIT業界特有の言葉なのか、もしかしてこの現場だけに通用する言葉なのか。そうこう悩んでいるうちに話にまったくついていけなくなっていました(即座に質問したらいいと思っていても、大量の疑問の山がそうはさせてくれないんですよね)。

 「あっ、今の言葉聞いたことがある」と少しでも思えれば、後々調べることもできるのですが、始めはそもそも何と言っているのか音の認知レベルでよく分かりませんでした。まさにカルチャーショックならぬ、言語ショック。まるで海外の国の言葉で会話されているような感覚でした。

■言葉の変化についていくしかなかった

 そのころからでしょうか、私は本をよく読むようになりました。言葉の意味を理解するというよりも、そんな言葉が存在するんだ程度の軽い思いで、自分の頭の中に言葉の索引を作っていたのです。そんな努力のかいもあってか、次第に音が聞き取れるようになってきました。

 それからは分からない単語が出てきても、(とりあえず、分かったふりをして)後で調べて理解し直して、といった具合になんとか仕事を進めていました。

 ところが、所変われば品変わる。約2年間過ごした現場を離れ、新しい現場の人と話をしている時に、私は再び言語ショックに陥りました。

 直前までの現場とは扱うシステム、プログラム言語、作業フェイズ、クライアントの業界用語まで何から何までが一新され、また別の国に飛ばされたかのように感じたのです。

 結局、嘆きながらもやることはやっぱり変わらず、1つ1つの言葉を耳に引っかけて、意味を拾い上げていくことしかできませんでした。

■言葉の変化は必然だと気付いた

 「いつか歩く人間図書館と呼ばれるようになるのかなぁ」なんて変な妄想をしつつも、現場が変わるたびに同じことの繰り返し。そうこうして今に至るわけですが、ようやく1つの気付きにたどり着きました。

 それは『人や場所や時代によって、言葉(知識)の使い方や意味合いは移り変わっていく』ということです。

 例えば、私が高校生のころの国語のテストでは、「重複」の読み方は「ちょうふく」とすべきでしたが、いまや「じゅうふく」でも間違いじゃないそうです(社会人になって「ちょうふく」と言っていると、間違っていないはずなのに、つい「じゅうふく」と言い直してしまうあの雰囲気って何なのでしょうかね)。

 一方で「クラウド」なんてキーワードが出てきたころは、何かすごいシステムが出てきたぞと思いきや、既知のシステム構造に名称がついただけだったなどなど。
※他にもたくさんありますが、ここでは割愛します。

■変化への「適応力」こそ武器になると考えた

 言葉は普遍的でありながらも、常に変化していっているのだなということに気付いた私は、あらためて言語ショックについて考え直しました。

 これまで自分の中で理解してきたことがいずれ変わってしまうのなら、覚えるや理解するという行為は何て意味のないことなのだろうか、と新しい現場に入るたびにそう思っていました。でも、それは私に限った話ではないはずです。

 もし他の人も私と同じように言葉の変化に苦労を感じているのだとしたら。もし自分がその変化を受け入れて対応できるのだとしたら。その「適応力」ともいえる力は、自分よりはるかに年上のエンジニアにも劣らない、IT業界を生き抜くのに十分な力になるのではないかと考えるようになったのです。

 もちろん、その力をどのようにして強くしていくのかというのは、今はまだ模索中の段階です。でも、気持ちの面では年上のエンジニアの方との会話で物怖じすることがなくなってきました。まあ今後、私自身いつまでIT業界で生き続けているのかは分かりませんが、もう少しだけ頑張ってみたいと思います。

■余談~雰囲気も大事なのかなと思った

 ちなみに、冒頭の質問を私の身近にいる人たちにも話してみました。すると、ほとんどの人が口をそろえて「よく分からん」と答えてくださいました(笑)。ごく一部では長い時間をかけて、ホワイトボートに図を書くなど、懇切丁寧(?)に説明してくれる人もいます(大抵、質問者が求めている以上に膨大な情報量の回答には、興味を失っていることの方が多いのですが)。

 本当に分かっているのか、分かっていないのかはともかくとして、話しているその時の雰囲気というものも大事なのかなという感想を余談に終わりたいと思います。

 ※このコラムはノンジャンルです。数日ほどコラムの内容を練っていながらも、結局は突然思いついたネタで書いてみました。こういうふうに書いた方がいいという思いよりも、こんな内容を書きたいという思いの方が、筆(指?)が進んだので、今はその勢いに従っています。他のコラムニストさんって、どう考えてどう書いているのでしょうか。少し興味が湧きました。

Comment(3)

コメント

abekkan

こんにちは
私は、「書きたいことを書く」ではダメだと思ってます。自分が何した、どう思ったと書いてもそんなことは読者にとってはどうでもいいこと。日記ならそれでいいけど。
読者あってのコラムだから、読んだ人が、へえー そんな考え方もあるのか、と、ちょっとはためになるか笑えることが大切。
と思ってますが、私もできていないかも。。。
abekkanでした。

Kt

abekkanさん

こんにちは。アドバイスありがとうございます。

他のコラムニストの方からコメントをいただけるとは思わなかったので、
大変嬉しくもあり、逆に未熟な文章をお見せしてしまい恥ずかしくもあります。

確かに、自己中心的な独りよがりの文章ではダメだなぁとは私も思います。
「読者にとって為になったり、笑えたりするようなコラム」であることは、
私にとっても目指したいところです。


ただ、「読者を意識する」ことが、(少なくとも今の私には)難しいというのが本音なところです。

よわい25の経験しかない私が書く文章では、
エンジニア見習いや就活生にとっては、もしかしたら「なるほど」と思えても、
ベテランエンジニアの方々には「それがどうした」となるわけですし。

逆に読者層を絞り込んで、そこに合わせて内容を書いていたら、
ここに書いている内容は本当に自分が思っていることなのかと疑問を抱いたり、
この内容はどこぞの本に似通ってるじゃないかと自分自身でも気付いたり、
次第に自分が書く意義が見いだせなくなってくる分、書いていて楽しくないんですよね。

だから今は自分自身が読者のつもりで、自分が楽しいと思うことを書いています。

まあ、すべて私自身が未熟だからこその言い訳なんですが。。。


「読者にとって笑えて為になるコラム」≒「自分が書きたいこと」
になれば一番いいんですけどね。

そこにたどり着くためにも、もっともっと精進したいと思います。
ありがとうございました。

abekkan

読者のターゲットは、「過去の自分」でいいと思いますよ。
もし2,3年前の自分がこれを読んだらためになるだろう で。
過去の自分と同じことを考えている人はたくさんいるでしょうから。
そのうちに自分のレベルも上がってきてレベルの高いことが書けるようになってきます。

ってエラそうに書きましたが、これはある本の受け売りです(^_^;)。
http://ameblo.jp/abekkan/day-20120607.html

abekkanでした。

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