30年後の自分を想像して
30年後の私(55歳)はSEとして奮闘しているのか、マネージャとして戦っているのか、はたまたまったく違う業界で働いているのか。それとも早期リタイアして人生の余暇を満喫しているのか、多忙に体を壊して病魔に襲われているのかなどなど、想像したらキリがありません。
そんな見えない将来に希望と絶望を描きつつ、今の自分(25歳)は何を思うのかをこのコラムで書き綴っていきたいと思います。
※ノンジャンルです。その日その時でものごとの見え方や考え方も成長していくものだと思っていますので、それまで書いてきたものとこれから書くものの見解や文体に一貫性がなかったとしても、温かい目でご指摘いただけると嬉しいです。
■いつまでこの業界で生き続けるのか
IT業界に携わる人ならおそらくほとんどの人が考えたことがあると思います。2012年現在、私自身は社会人になって4年目ですが、「私は一生この業界で食っていく(=生計を立てる)」という人にいまだに出会ったことがありません。
「俺は●●王になる」なんてセリフもやはりこの業界ではなかなか耳にすることはありません。たまたまご縁がないだけかもしれませんし、もしかしたらIT業界に限らず、今の時代では他のどの業界でも同じような状況なのかもしれません。
日々の仕事の忙しさや周囲からのプレッシャー、自分の能力の限界などなど。「To be, or not to be.」を考えるきっかけなんて、いつでもどこでも起こりうるものです。そうして一度悩み始めたら仕事に手がつかなくなってきます(「いやいや仕事は普通にできるよ」という人は、まだまだ現職でやっていける方だと思います)。
私もいろんな人に話を聞いたり、巷の書店で参考になりそうな書籍を読み漁ったりして、何とか答えの糸口はないものかと模索していったのですが、いつまでたってもコレだというものにはたどり着けませんでした。ただ1つだけ気付いたことは、どのような動機にせよ、最終的に「自分で決断しないといけない」ということでした。
■人生なんて誰も保障できないけど
人に相談すると、「私が君の立場ならこう思う」とか「私のときはこうした」などいろんな話を聞けます。もし普通に仕事をして接していたら、聞けなかったんじゃないかと思えるような人の経験談を聞けることはすごく楽しくもあり、そこまで一生懸命に話してもらえることに「ありがたいなぁ」と思いながら話を聞いています。
そうして私が出会ってきたほとんどの人々は、最終的には「Ktさんの人生なんだから自分で決めたほうでいいと思うよ」というセリフをおっしゃいます。結局は自分の人生をどうこう決めるのは自分自身であって、相談された人々は相談に乗ることが限界だということでもあります。
一見すると、「やっぱり他人の人生なんて誰も保障できないよね」なんて冷たい印象を受けるかもしれません。自分のことでも精いっぱいな昨今、誰もが他人事に関心を払って保障してくれるなんてそうないのかもしれません。
でも、いざ自分で決断してアクションを起こしてみると、その人達がかけてくれた言葉が、驚くほどに自分のエネルギーになっていたことにある時、私は気付きました。
■言葉にしてみて改めて気付くこと
私の場合、アクションに起こしたからといって迷いが一切消えるなんてことはありませんでした。もしかしたら自分の決断は間違っているかもしれない、やっぱりこうしておくべきだったんじゃないか、と思うことはままあります。そんな折に「自分で決めたことだから」という責任感あふれる言葉は、他人に対しては都合よく使っていても、自分に向けた場合は思いのほか何の役にも立たないんだなとも感じました。
むしろ、自分の言葉よりもあの人はこう言っていたなと思い当たることの方が多かったです。それはまるで日本代表になって応援されているかのように、日常の節々で自分を支え、高めてくれました。
なぜ自分の言葉よりも他人の言葉の方がエネルギーになったのか。
それは自分の頭の中で考えていることが、その瞬間は鮮明でも時間が経過するにつれて(他の考えごとをすることによって)、結果的にあいまいに記憶されてしまい、忘れやすくなっているからだと私は考えました。
言い換えると、これまで思っていたことや考えていたことと向き合うことは、自身で回想するよりも、誰かと話したということの方がその人を契機に想起しやすいからです(昔の日記や卒業文集を見て、これは本当に自分なのかと驚くことに似ているかもしれません)。
■1人で決めること、自分で決めること
もちろん、相談した人みんなが、自分の考えに同調してくれるなんてことはありえません。結果的に、自分が決めたものとは逆の意見をくれた人がいたり、そもそもそんな悩みを考えること自体が間違っているよとおっしゃった人もいました。
それでも、私は話してみて良かったと思います。そもそも反対されるのが怖いと思っている時点で、ある程度自分の気持ちは固まっているわけですし、仮に反対されて納得したとしても、自分自身が納得して判断できたのであれば、それは決して悪いことではないはずです。逆に誰にも話をしないまま、1人で塞ぎ込んでしまう方がよくないのではと思います。
どんなことでも、最終的には自分で決断しないといけない。そうとは分かっていても、まず自分の思いや考えを誰かに話すということは、ときに判断や行動の起点になったり、ときに自分の気持ちを後押しするようになったり、いろいろな作用をもたらすのだなぁということを、25歳の私は初めて実感しました。
※さて、私がこれまで述べてきた悩みとは一体なんだったのか。それをここで明らかにしてしまうと、読者の方が自分の悩みと比べて大きいからどうだの、小さいからこうだのと、私の伝えたい思いとは違う情報が入り込んでしまうので、ここではあえて伏せさせていただきます。今回、大事なのは悩みの大小ではなく、「誰かに向けてまず言葉に出す」ということでした。