見えない将来に希望と絶望を描きつつ、今を生きる人間(自分)が何に悩み、何を思うのか書き綴っていきます。

自分の言葉で語れるようになりたい

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 2012年の今年、中学校の保健体育において「武道」と「ダンス」が必修化されたことは、まだ記憶に新しいだろう。特に「ダンス」については、踊れなくて戸惑う先生たちの様子が、マスコミ各方面でしばしばクローズアップされていた。

 そして、さかのぼること2003年。高校の授業に、教科としての「情報」の授業が始まった。当時の私は部活動と受験勉強で忙しかったので、あまりニュースを見ていなかったのだが、今の「ダンス」と同じように少しは話題になったのだろうか。

 また教科としての授業が開始されてもうすぐ10年が経とうとしているが、今の「情報」の授業はいったいどんなことを教えているのだろうか。なんてことを考えながら昔のことを回想してみる。

■教科「情報」の授業 ~Ktの高校時代の場合~

 私の場合は、デスクトップ型のパソコンがたくさん並べられた特別教室の中、1人1台PCが割り当てられた状態で授業を受けていた。普通科の授業にしては、環境面は決して悪くなかったと思う(マシンスペックは覚えていない)。だが、授業の内容や状況は、今考えるとあまり良いとはいえなかった。

 授業開始当初は、機械に不慣れな人が多かったせいか、PCの起動とシャットダウン、アプリケーションの起動と終了の操作だけで授業が終わってしまった。とにかく退屈な授業だなという印象しかない。

 中盤になると、マクロを使ったり、グラフを作成したりする課題が授業内で出されるようになった。だが、課題の内容の割に設けられた期間が長かったせいか、課題をやっているふりをしながら、ネットサーフィンしたり、フリーゲームをダウンロードしてみんなで遊んだりしていたことは今でもよく覚えている。

 結局、高校の1年間で教わったことはおおよそ次の4つである。

 ・起動や停止などの基本操作
 ・表計算ソフトでのグラフ作成
 ・メールの送受信
 ・ホームページの作成

 終わってみると、もともとPC操作に慣れている人は相変わらず、慣れていない人は辛うじてある程度の操作はできるようになったけど、もうこりごりといった様子だった。

 ※上記はあくまで私個人の一例です。他の方々がどんな授業を受けていたのかはあまり存じ上げておりませんが、大変興味はあります。

■もし、私が教える立場なら一体何を伝えるのだろうか

 今の私はといえば、IT業界に入ってきて、それなりに仕事をこなしている。本屋で関連雑誌や書籍を読めば、最新技術の素晴らしさを知ることもできるし、昔より大分理解できるようになってきた。

 でも、それらの技術の魅力を十分に引き出すだけの力を私はまだ持ち得ていない。実践経験もそれほどない。だから、高校生や新入社員に対して、私自身の言葉として熱く語ることはまだまだ難しいようだ。

 昔を振り返った今、「高校生のころのまだ何も知らない自分に対して、自らの言葉で胸を張って語る」ということが、これからの私の目標になりそうだ。

<あとがき>

 このコラムはノンジャンルです。今年はIT系のニュースが、一般ニュースとして話題になる機会が多い気がします。違法ダウンロード刑罰化とAnonymousのウェブサイト攻撃、PC遠隔操作とホワイトハッカーの育成などなど。これらの報道を通して、IT業界に属さない一般の人々が、情報技術をどのように思われているのかを知る機会にもなりました。

 ニュースそのものは対立構造ばかりが目立ちますが、結局はITの力をどう生かすかが問題なのだと私は思います。それでも情報技術の力そのものを否定する人がいたり、よく分からないまま悪だと決め付ける人がいたりすることは残念でなりません。

 そのような状況を目の当たりにするたびに、コラムとして書きたい内容もいろいろと浮かんでくるのですが、今はまだうまく言葉で表現できない自分に少し悩んでいます。「やっぱり日本語は難しい」ですね。

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