ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

レインメーカー (17) 立ち会いと決済

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◆アリマツ通信 2021.10.29
 QQS チャリティーイベント
 以前から話題になっていた、QQS 社主催の24 時間チャリティー番組が明後日、10 月31 日、ハロウィーンの日に放送されます。
 放送中、QQS 特選商品の通販コーナーがありますが、名古屋CC ではそのうち3 回の受付で受電業務が行われます。1 日のみのスポット業務ですが、応答率等の数字次第では、今後の受注にもつながる可能性も高い、とのことで、名古屋CC のみならず全社的に期待が寄せられる業務となっています。
 通販コーナーの放送予定時間はこちらから。欲しい商品がある方はお電話してみましょう。名古屋CC の知り合いが受電してくれるかもしれませんよ。
 文 総務課 土井

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 天むすと味噌カツサンドを交互に味わいながら、イズミは予定表を眺めた。今朝から始まったQQS 主催チャリティー番組中、通販コーナーは2 時間おきに放送され、アリマツの20 ブースが受電するのは、そのうちの3 回。13 時15 分、16 時10 分、19 時35 分だ。現在の時刻は13 時1 分。もうすぐ最初の受電が始まるはずだ。
 センター内を忙しく駆け回っていた紫吹SV が近付いてきたので、イズミは急いでパンを咀嚼し、ペットボトルのお茶で胃に送り込んだ。
 「あと10 分で回線が開いてテストコールです」紫吹は言った。「よろしくお願いします」
 「わかりました」イズミは内心の緊張を隠して頷いた。
 「伊賀利さんも」紫吹は隣に座っているアイカワ製作所の若手社員に声をかけた。「よろしくお願いします」
 伊賀利の返答は「はひ」と聞こえた。どうやらイズミに負けないぐらい緊張しているようだ。気が利く紫吹の配慮で届けられたランチも手つかずだった。
 紫吹は大丈夫かこいつ、と言いたげな視線を伊賀利に送ったが、すぐにOP たちの元に戻っていった。
 名古屋CC、QQS ユニットは、今日のために臨時で作られた受電センターだった。契約ブース数は20 だが、予備も含めて5 列×5 のデスクと回線が用意されている。数日前にQQS から「もしかすると臨時で何回線か受け持ってもらうかもしれない」との連絡があったためだ。当然、OP のシフトや研修も調整しなければならず、紫吹は一週間前から連続勤務だった。
 連続勤務なのはDX 推進ユニットも同じだ。特に田代は10 月に入ってからは、土曜日と日曜日のほとんどを出勤していたはずだ。新CRM システムNARICS のビルドアップに追われていたためだ。
 本来であれば、10 月第2 週には全ての機能が完成し、あとはゆっくりテストを行うだけのはずだったのだが、直前になって扱う商品が増えたり、QQS から提供されるAPI の仕様が変更になるなど、予定にない改修がいくつも発生していた。それ以外にも、クレジットカード決済を本番環境で実施してみると、JCB だけ使用不可になったり、急遽Amex を追加しなければならなかったりと、想定外の作業も次々と差し込まれている。加えてCC からの改修要望も同時期に届き始めた。OP の研修が開始されたからだ。
 予想されたことだが、それらの改修作業に、5 人の新人たちはほとんど寄与することがなかった。スキルが決定的に不足していたこともあるが、別の理由もあった。汎用的なCRM システムになるはずのNARICS は、10 月31 日の稼働に間に合わせるために、QQS 案件に特化したロジックを随所に組み込まざるを得なかったためだ。
 戦力にならなかったのはイズミも同じだ。Seaser2 + Teeda の作り方には慣れてきたものの、やはり経験の積み重ねが不足している。足を引っ張ることになっていはいけない、とイズミは自ら申し出て裏方に回ることにした。名古屋CC とシステム課を行き来して、仕様の確定、テスト仕様作成、サーバ環境構築、スケジュール調整などをこなした。そのためNARICS QQS Special の構築は、田代、倉田、山下の3 名が中心となった。フレームワークやデータベースでは意見を衝突させた田代と倉田も、実装フェーズではプロフェッショナルらしく作業に集中し、決して豊富とは言えないリソースとスケジュールをものともせず、NARICS を完成させたのだった。
 イズミは神経質な顔つきでペットボトルをいじっている伊賀利に声をかけた。
 「もうちょっとリラックスしてもいいと思いますよ。私たちは、念のためにこっちにいるだけじゃないですか」
 「はひ」伊賀利は強張った顔に、強張った笑いらしきものを浮かべただけだった。「どどどうも」
 当然、トラブル発生に備えて、NARICS と<コールくん>の担当者にも立ち会いが求められた。どちらのシステムも横浜本社のサーバルームで稼働しているので、DX 推進ユニットも、アイカワ製作所のエンジニアも、朝から休日出勤で横浜CC で待機している。イズミが名古屋CC にいるのは、名古屋CC が「現場でも立ち会ってほしい」と強く要望したためだ。センターにいても、ソースにアクセスできるわけではないので意味がない、と田代が説明したのだが、結局、押し切られてイズミが前泊して乗り込むことになったのだった。
 アイカワ製作所の伊賀利は、明らかに新人で、場慣れしているようには見えなかった。どうせ何も起こるはずがない、と経験のない新人が送り込まれたのだろう。具体的な対応ができないにしても、トラブル発生時に最初に声をかけられる立場ではある。アイカワ製作所が、それを考慮したのかどうかは不明だ。
 イズミはシステム用に用意されたノートPC で完成したばかりのNARICS のテスト環境と本番環境を開いてみた。どちらもスムーズにログイン画面が表示された。あらかじめ記憶してあるシステム用アカウントで本番環境にログインし、管理者メニューからログイン状況を開く。すでに5 名のCM と紫吹を含む二人のSV がログイン済みだ。
 「<コールくん>の方はどうですか?」
 「え、あ、はい」
 伊賀利も自分のノートPC に手を伸ばし、何度も失敗した挙げ句、アカウントロックの規定回数ギリギリで正しいパスワード入力に成功し、<コールくん>を開いた。メニューを操作し、15 名のOP とSV 二人がログインしていることを告げる。意味のある動作をしたことで、少しばかり緊張が解けたらしく、額の汗を拭いながらイズミに力なく笑いかけた。
 「すいません。こういうの慣れてなくて。クライアント先に来るのも今日が初めてで」
 「<コールくん>の改修には参加したんですか?」
 「いえ」伊賀利は首を横に振った。「ぼく......私は、違う部署なんで。昨日、来る前に一通り説明は受けたんですけど」
 言われてみると、伊賀利のノートPC の横には、<コールくん>の操作マニュアルらしいファイルが置かれている。
 SV 席の横に設置された液晶TV の音楽が変わった。アナウンサーらしい女性が、CM の後は特選品通販コーナーです、と叫んでいる。紫吹が立ち上がると、パンと手を叩いた。
 「みんな行くよ」紫吹は落ち着いた声で告げた。「これからテストコールが入るから、ウィスパリングが設定スキル通りか確認してね。90 秒後に本番コールだよ。落ち着いて冷静に研修通りにやればオッケーだから。よろしく」
 紫吹の言葉が終わると同時に、全てのOP のIP 電話に着信が入った。OP たちが一斉に受電を開始する。ウィスパリングは発信者が音声ガイダンスに従ってプッシュした番号によって、何に対する問い合わせなのかを事前にOP に囁いてくれる機能だ。今回は、商品のカテゴリーに合わせて家電、PC、ヘルスケア、グルメの4 パターンで、発信者が「オペレータにおつなぎしています」と聞かされている間に、OP には「家電の申込です」などと通知される。OP はいち早く商品一覧を選択するなどの準備ができるのだ。
 OP たちはウィスパリングを確認し、次々とOK サインを頭上に掲げた。20 名の手が挙がるのを数えた紫吹が、ひとまずホッとしたように頷いた。ここでNG サインが出ると、回線の設定が違っていることになるからだ。事前に何度もテストをしているにも関わらず、不具合が発生する可能性はゼロではない。過去の事例では、通信事業者の不手際や連絡ミスで、時間通りに業務が開始できなかった、ということも一度や二度ではない、とイズミはシオリから聞かされたことがあった。Web システムとの類似を思い浮かべたのは言うまでもない。
 紫吹が壁の時計とTV を見比べ、再び声を上げた。
 「60 秒後に本番開始。QQS からの情報だと、午前中の申込はグルメがかなり多かったんだって。特に例のK-POP グループコラボの高級食パンが人気らしいわ。あー、しまったなあ。サンプル要求すればよかったね。どんな味だか経験を元にお勧めできたのに」
 OP たちが一斉に笑い崩れた。フェイスシールドをずらして喉を潤すなど余裕を見せるOP もいる。あんな風にうまくメンバーの緊張をほぐせたらいいのに、とイズミは羨ましく思った。
 「10 秒前。何かあったら積極的に手上げしてね。じゃよろしく」
 CM が終わり、MC の芸人の顔が映し出された。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 実際に着信が入り出したのは、通販コーナーが開始されてから2 分後からだった。TV 画面の中では、お勧め商品が紹介されている途中だったが、商品コードが表示された途端に、発信ボタンを押した視聴者が大勢いたらしい。
 再び全てのOP のIP 電話に着信ランプが点滅し、OP たちは一斉にヘッドセットに向かって話し始める。イズミはそっと席を立つと、NARICS を割り当てられている列の後ろに移動し、オペレーションを見つめた。
 ウィスパリングによるカテゴリー選択、商品一覧からの選択、お届け先のヒアリングと入力、QQS 会員かの確認、決済カード種類の選択、カード番号の入力、確認画面の表示、登録実行。典型的な申込受付のフローはこんな感じになる。いくつかの数量限定商品は、QQS の在庫確認API を叩くし、クレジットカードの与信も外部API だ。
 とにかく最初の1 件が無事に完了してほしい、とイズミは絞るように手を握り合わせた。もし致命的なバグや仕様漏れがあるなら、それは最初の1 件の申込内容を、データベースに書き込みにいったときに発生するだろう。イズミはここ数日間の最終準備作業の内容を次々に思い浮かべた。最後に本番環境で行ったテストデータはクリアしただろうか、API のURL を社内のモックから本番環境に切り替えただろうか、デプロイモードを間違えてないだろうか......
 「それでは」一人のOP が言っている。「以上の内容でご注文を承ります。よろしいでしょうか......ありがとうございました。お客様のご注文は登録されました。このたびはご注文、ありがとうございました。私、スズキが承りました。失礼いたします」
 スズキOP は後処理の入力を終えると、ちらりと後ろを振り向いた。笑顔でイズミにOK サインを見せてくれた。イズミが心配そうに覗き込んでいることに気付いていたらしい。イズミは深々と頭を下げた。第一関門クリアだ。
 気が付くと、紫吹が隣に来ていた。
 「新システム」と笑顔で囁く。「うまく動いてますね」
 「ありがとうございます」思わず涙をこぼしそうになりながら、イズミは頭を下げた。「安心しました」
 「よくできてると思いますよ。テストしてもらったOP の評判もいいです。田代さんにもお伝えくださいね」
 そう言い残して紫吹は急ぎ足でSV 席に戻っていった。
 イズミは元の席に戻ると、急いで管理画面から登録件数を表示してみた。3 件の受電履歴が登録されている。たぶん今頃、同じ画面を横浜CC にいる田代も参照していることだろう。きっと私以上に嬉しいんだろうな、とイズミは微笑んだ。自分が実装に深く関与できなかったことは少し残念だったが、この案件に間に合い、成功することが重要なのは理解している。
 とにかく一息つける。イズミはお茶を一口飲み、いつの間にかカラカラになっていた喉に水分を補給した。入社式の日を思い出す。あのときは、この会社でうまくやっていけるのか、という不安で押しつぶされそうだった。
 そういえば、と隣の席を見たが、伊賀利の姿はなかった。センター内を見回すと、反対側の列の後ろに伊賀利が立っているのが見えた。やはり最初の一件が正常に登録できるか気になったのだろう。
 残っていた味噌カツサンドを頬張り、何とはなしに見ていると、<コールくん>を使っていたOP が困惑顔で伊賀利を振り返り、画面を指して何か言っている。
 本番稼働直前に発生した改修内容は、当然、<コールくん>にも適用されている。例によって、アイカワ製作所の久保寺は法外な改修費用を請求したらしいが、それはイズミの知ったことではない。気がかりなのは<コールくん>の改修が間に合ったのかどうかだ。最終の打ち合わせでは、宇都を通して、問題なく改修が完了している、と報告してきてはいたが。DX 推進ユニットのメンバーは、NARICS の改修で忙しく、<コールくん>の方を気にしている余裕がなかった。
 それでもOP たちが、両方のシステムで研修を終えているのだから、当然、改修が完了しているはずだ。そう思っていると、紫吹が急いでOP 席に走っていくのが見えた。
 操作方法の問い合わせか何かだといいのだけど、とイズミは少し不安になりながら見守った。紫吹は伊賀利に確認するように、画面を指しながら話している。操作方法なら伊賀利は操作マニュアルを取りにくるはずだが、その気配もなく、茫然とモニタを凝視するばかりだ。イズミの不安は増した。<コールくん>をNARICS に切り替えようとしている立場ではあるが、業務が失敗するかどうかは別の話だ。
 別のOP が手を上げ、もう一人の男性SV が急いで走った。モニタを覗き込みマウスを操作しているが、その顔が険しくなっていくのがわかる。男性SV は顔を上げると、まだ伊賀利と話している紫吹を手招きした。気付いた紫吹が走り寄り画面を覗き込む。二人のSV は小声で言葉を交わしている。どう見ても何らかのトラブルが発生したとしか思えない。
 とうとうイズミは席を立った。立ち尽くす伊賀利の元に歩み寄ると声をかけた。
 「どうかしたんですか」
 「あ」伊賀利は夢から覚めたような顔でイズミを見た。「その、カード......決済のエラーが......」
 イズミはOP に会釈してから、<コールくん>が表示されているIE11 を見た。クレジットカード番号の入力エリアの下に、赤字で「認証できません」と表示されている。
 「与信が通らないんですか?」
 伊賀利に訊いたが、まともな言葉が返ってこないので、OP に同じことを訊く。OP は勢いよく頷いた。
 「通らないんです。カード番号の入れ間違いかと思ったんですけど、何度試してもダメで。違うカードを用意してもらったんですけど、やっぱりダメなんです」
 OP はIP 電話を心配そうに見た。保留ランプが怒ったように点滅している。申込者を保留で待たせているのだ。
 イズミは周囲を見回した。手を止めているOP が数名いるが、ほとんどは順調に受付内容を登録しているようだ。6 月の雨の日のトラブルが脳裏に蘇る。あのときも、不具合が発生するタイミングがまちまちだった。まさか、またパーティションの容量不足ということはないだろうが。
 紫吹が急ぎ足でやってきた。
 「どうやら」早口で言う。「QQS 会員ではないお客様のクレジットカードを与信するところでエラーになっているみたいです」
 「あ、なるほど」
 QQS 会員の場合、あらかじめカード情報が会員情報に登録されているため、改めて与信をする必要がない。そのためエラーが発生せず登録できているのだろう。
 「何かわかりますか?」
 紫吹は伊賀利に訊いた。伊賀利は紫吹を見たが、力なく首を左右に振っただけだった。たいして期待をしていなかったらしく、紫吹は伊賀利に見切りをつけてため息をつくと、イズミに向き直った。
 「新システムって、どの端末でも開くんですよね」
 「ああ、はい。もちろんです。<コールくん>と同じネットワークなので。URL さえ叩けば」
 「全員、新システムに切り替えた方がいいですかね」
 その判断はイズミにはできない。とりあえず横浜CC で待機している田代に連絡します、と言いかけたとき、SV 席で内線が着信した。男性SV が走り、受話器を取る。応答してすぐに紫吹を呼んだ。
 「紫吹さん、システムの宇都さん」
 紫吹は顔をしかめたがSV 席に向かい、受話器を受け取った。相手の言葉に耳を傾けたが、すぐに送話口を手で押さえると、イズミを手招きした。
 何事かとイズミが近寄ると、紫吹は険悪な表情で囁いた。
 「このまま<コールくん>の使用を続けてほしいそうです」

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(7)

コメント

匿名

今回はシステム開発部分はごっそりスキップされてますね。
社内政治中心の物語だからでしょうか。
それでしたら、またいつもと違う話の進め方なのでこれまた面白そうですね。

匿名D

どうやって乗り切るのかな?
その場しのぎなら、非会員は新システムにつなぎ直すだけで行けそう。
・・・新システムが非会員の認証を通せればだが。
さて、宇都氏とアイカワのつながり、
その内実や力関係は、一体どのようなものなのでしょうね。


ところで。
お茶とパンの組み合わせはしっくりこないなあ。
紅茶だったりするんだろうか。
そしてカツサンド。よく食う人だな。
まあ食うべきときに食うことは重要だ。
本番前にして食事がを通らないなんて、
いつまでも初心なこと言ってられないし。

匿名

天むすと味噌カツはどちらも名古屋名物

匿名

宇都さんの姿が頭の中で初代ジュラシックパークに出てきたデブに変換されてる

匿名

事件が起こってから経緯にまつわる謎を解くスタイルですね。

匿名

イズミちゃんがうまくいったことをちゃんと喜んでいてほっこりしました。

早くSeesaa2に起因する展開になって欲しい。w

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