ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

史上最大の作戦 (4) 12月25日

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 与えられたタスクを、丸二日かけて、ほとんど睡眠も取らずに何とか達成した加瀬は、結果に満足しながら時計を見た。日付が25 日に変わって数分。残作業はいくつかあるが、朝でも間に合うものばかりだ。
 一眠りするか、とミッションルームを出て仮眠室に向かいかけたとき、旧友でもあり現在の上司でもある和田が急ぎ足でやってきた。
 「もう一仕事頼む」
 「冗談は顔だけにしろ」
 「これが冗談を言っている顔に見えるか」
 「見えるね。とにかく俺は寝る」
 「車を待たせてある」和田は手にしたスマートフォンで、短く指示を出しながら、加瀬に言った。「すぐ出てくれ」
 「何?」加瀬はようやく相手の顔をまともに見た。「ここでのミッションじゃないのか」
 「みなとみらいでATP が最後のオペレーションを遂行中だ。うちにも応援要請があった」
 「鈴木にでもやらせろ」
 「ATP 案件だからな。接触者は最小限に抑えたい」
 翻訳すれば、いざというときの犠牲者は加瀬だけにしたい、という意味になる。加瀬は和田を睨み付けた。
 「俺なら使い捨てにしてもいいってわけか」
 「俺には局を守る義務があるからな」和田は否定しなかった。「鈴木や柳本を失うわけにはいかん。それにミッションスペシャリストの人間はみんな多忙だ。今年はウクライナの戦争のせいで、世界的に配信データの再調整が頻発している。コペンハーゲン本部は緊急用の余剰ポイントをギリギリまで放出してるぐらいだ。日本はまだ余力があるが、いつオーバーシーズデリバリーの緊急要請が入ってもおかしくない」
 「......正論ばっかり吐きやがって。今回だけだぞ。場所は?」
 「新高島駅近くのビルだ。そこに入ってるIT 企業らしい。マーズ何とかって会社だ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 日付が変わった。クリスマスか。イノウーはさして感動もせずに時計を見た。このままでは、予定していた映画も温かい料理もケーキもワインも、何一つ実現しないままになりそうだった。唯一予定通りなのは、隣にマリがいることだけだ。星野はマリを帰そうとしたのだが、マリは頑として拒否したのだった。
 ノヴァ・エンターテインメントを出て、宅急便のマークのついたヴァンに放り込まれたイノウーとマリは、猛スピードで走り始めて1 時間後に、ようやく目的地を知らされた。
 「うちの会社じゃないですか」イノウーは驚愕して星野を凝視した。「なんでそこが」
 「ちょっと待って」
 交通法規を8 割方無視して走る車の後部座席で、星野は2 台のスマートフォンを同時に操作して事態の把握に努めていた。耳にワイヤレスイヤホンを挿して誰かと通話しながらだ。マルチタスクな人だ、とイノウーは考えた。
 「......よし、だいたいわかった」5 分後、星野はようやく説明をしてくれた。「要約するとこういうことになる。2 時間前から、急激に侵入警報がポンポン上がり始めた。場所を特定すると、マーズ・エージェンシーというIT 企業のオフィスらしい、ということがわかった。緊急即応チームが偵察に行くと、すでに侵入が開始されている兆候が見られた。幸い、土曜日で出社している人は少なかったから、ガス漏れの可能性がある、という理由で、みんな退去してもらった。その後で侵入対応チームが入ろうとしたところ、敵のクリーチャーを発見した。今のところわかってるのはここまで......あ、ちょっと待って」
 星野はイヤホンに手を当てて相手の言葉を聞いた後、設置されているモニタに手を伸ばした。画面が明るくなり、山田の顔が映る。
 「状況は?」
 星野が訊くと、山田は横の誰かが差し出すタブレットを見ながら早口で言った。
 「目視確認した。ショゴスとナイトゴーンツが少なくとも10 体はいるらしい。破壊活動をするわけではなく、我々が入るのを妨げているだけのようだ」
 「何が目的なんですか」
 「どうやら、マーズ・エージェンシーが受注している案件の中に、ハウンドが発注したものがあったようだ。継続監視しているポイントで、量子的擾乱が右肩上がりに上昇しているものがいくつかある。シミュレートした結果、午前1 時に制御限界を超える」
 「うちのプロジェクトですか?」イノウーは訊いた。「全部を把握しているわけじゃないですけど、うちは基本、中間業者なので、実装自体は少ないですよ。それに顧客は国内企業だけのはずです」
 「詳しい経緯はわからん。うちの情報部の推測では、ハウンドがダミー企業を通じて発注したシステムの中に、ナルキッソス関連のモジュールが含まれていたんではないか、ということだ。どうやら、ノヴァ・エンターテインメントだけに集中させるのではなく、分散させておいたんだろうな」
 「ソード・フォースは?」
 「派遣したが、まだ静観中だ。何かが起こるとしたら、午前1 時の量子的擾乱にタイミングを合わせるだろう、と各部の意見が一致している。クリスマスでみなとみらいは全館点灯が行われる。人目が多すぎるから、こちらも夜中にならないと動けない」
 「一気に突入した方がいいんじゃないですか。早めに片付ければ、みんな帰って、クリスマスを家で過ごせます」
 「ナルキッソス・ゼロワンの発売を中止できないのと同じ理由で、それは最後の手段だ。事実確認が先だ」
 「わかりました」星野はイノウーをちらりと見ながら答えた。「とにかく急行して、付近で待機します」
 みなとみらいに着いたのは19 時過ぎ。それ以来、イノウーとマリは自分たちが勤務している会社の近くで待機していた。
 真夜中を10 分ほど経過したとき、モニタに再び山田が映った。
 「量子的擾乱が急激に悪化している。ソード・フォースを先頭に突入する。井上くん、同行を頼む」
 「言われるんじゃないかと思ってました」イノウーはため息をついた。「行きますよ」
 モニタが消えると、星野はマリを見た。
 「あなたはここで待機」
 「イヤです」マリはきっぱり答えた。「イノウーさんと一緒に行きます。ダメだって言うなら、ここで大騒ぎしてやる」
 何か言いかけた星野は、諦めたように首を振った。時間の浪費を避けたらしい。
 「安全は保証しないわよ」
 フン、と鼻を鳴らしたマリは、自分からさっさとヴァンを降りていった。イノウーも慌てて続く。
 待機していたのは、隣のビルの地下駐車場だ。すでに大勢が集まっている。全員がATP の関係者らしい。ノートPC を抱えたエンジニアや、火器のようなものを装備した集団もいる。イノウーは少し離れたヴァンの前にいる東海林を発見した。
 東海林は見知らぬ男性と何かを話していた。奇妙なのは、その周囲に明らかに成人ではない男女が数人いることだ。イノウーが近付いていくと、東海林は気が付いて手を上げた。
 「お、イノウー」東海林は苦笑した。「奇妙なことになったな」
 「全くですね」
 「ん、そっちはイノウーの彼女じゃないか? なんでここに」
 「ラブラブなんですよ。片時も離れたくないほど」
 マリは東海林にぺこりと会釈した。仕事上で何度か顔を合わせているので顔見知りだ。何か言おうとしたが、ふと東海林の近くにいた少年の一人に視線を固定させた。
 「あれ」マリは記憶を辿るように首を傾げた。「君、どっかで会った?」
 問いかけられた少年はジロリとマリを見たが、不機嫌そうな顔で応じた。
 「知らない」
 「シュン」ヴァンに座っていた少女が呼んだ。「ちょっと、これチェックして」
 シュンと呼ばれた少年は、もう一度マリを見て、ついでのようにイノウーの顔もじろじろと見たが、何も口にすることなくヴァンの方に駆けていった。
 「集合」地味なジャケットを着た屈強な男性が声を上げた。「突入だ。うちの分隊が先行。次にスペシャルゲストだ。後方はセクションD。セクションF とA がリモート支援。連携は密に。チャンネルはB だ。行くぞ」
 数人の男女が駐車場の出口に走っていった。それを見送っていると、星野がイノウーの肩を叩いた。
 「何ぼーっとしてるの。ついて行って」
 「え?」
 「スペシャルゲストって誰のことだと思ったのよ」
 「あ、ぼくですか」
 「急いで」
 イノウーは走り出した。その後ろをマリが追う。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 加瀬は突入チームが駐車場を出て行った後、自分のポータブル端末を確認した。正常だ。ヘッドセットからは、ソード・フォースが中継している通信が入ってくる。
 『フロア突入』
 『敵、確認できません』
 『支援班、リモート探知は?』
 『反応なし』
 ヘッドセットに別の声が割り込んだ。
 『加瀬くん、出番だ』
 「へいへい」
 加瀬はポータブル端末を操作しながら、同時にWWCD との通話を開始した。
 「加瀬だ。準備は?」
 『了解です』鈴木が応じた。『ターゲット確認。固定完了』
 「よし、まずはポイントマンの男だ。ポイント付与、即時発行。クラスはA2、優先プロトコル。1.8 からデリバリー開始。毎秒0.02 で増加」
 『デリバリー開始しました』
 「よし順調だ。増加率をキープ。フィードバックチェック」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ポイントマンがハンドサインを出し、全員が足を止めた。ソード・フォース第8 小隊のホレイショーはスコープ越しに前方を見た。おぞましい形状の何かがもそもそと動いている。ショゴスだ。
 迂回を指示し、一行は廊下を折れた。ホレイショーはゲストの2 人を振り返った。素人だということだが、今のところ足手まといにはなっていない。
 事前に頭に叩き込んであるフロア図を思い浮かべ、ホレイショーは分隊をラウンジに進ませた。数台の自動販売機は、どれも節電モードになっているらしく、ごくわずかな光しか発していない。その間を、6 名の分隊員が周囲に油断のない視線を注ぎながら進んでいく。サーバルームは隣のオフィスを通り抜けた先にある。当面の目的地はそこだ。
 ポイントマンが出口で立ち止まり、ミラーを使って廊下の左右の安全を確認する。ショゴスもナイトゴーンツも擬態能力を持っているが、ポイントマンはWWCD から臨時に付与された幸運ポイントのおかげで、潜んでいる敵を発見しやすくなっているはずだ。
 チート能力だな、と苦笑しかけたとき、不意にホレイショーの肩を誰かがつついた。罵声を呑み込んで振り向いたホレイショーは、そこにゲストの一人の顔を見出して驚いた。マリとかいう女だ。
 「あの人の」マリはポイントマンを指した。「右側に何かいますよ」
 何をバカなことを言ってやがる。ホレイショーはマリを押しのけようとしたが、次の瞬間、ポイントマンのすぐ右に置かれていた観葉植物がぐにゃりと崩れ、無数の触手を持つクリーチャーへと変化した。
 「敵だ!」ホレイショーは隠密性をかなぐり捨てて叫んだ。「対応!」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 「なんだ、あの女は」加瀬は驚きながら、隣で機器を操作しているソード・フォース隊員に訊いた。「エスパーか何かか?」
 『ゲストの連れだ』山田が答えた。『ノーマークの一般人のはずだが』
 「そっちの素質があるのか」
 『わからんな』
 「ポイントの付与はあの女にした方がいいかもしれんな」
 『任せる。最善と思われる処理をしてくれ』

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 イノウーは驚愕しながら恋人の後ろ姿を見つめた。
 先ほどからマリは、什器やダストボックスなどに擬態しているクリーチャーを、片っ端から発見していた。最初は懐疑的だったソード・フォース隊員たちも、先手を打ってクリーチャーを排除できることがわかると、次第にマリを信頼するようになってきたらしく、マリを守るような陣形になりつつあった。
 壁の時計を見ると、1 時まで20 分ほどになっているのがわかった。一行はサーバルームのドアまでたどり着いている。当然、ロックされているのだが、隊員の一人が何かをデバイスをセンサーに当て「オープンセサミ」と呟くと、ドアはあっけなく開いた。
 「井上」ホレイショーが呼んだ。「どのサーバかわかるか」
 イノウーはラックにずらりと並ぶサーバを見回して、記憶を掘り起こそうとした。サーバルームに入ったのは数えるほどでしかない。ラックにサーバが追加されるたびに、更新されたラック構成図がイノウーにも送られてくるのだが、物理的なサーバの位置などプログラマにはあまり関係ないので、ろくに読んだこともない。
 「ちょっと待ってください」
 「急いでくれ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 「次はあいつにすればいいんだな?」加瀬は確認した。
 『頼む』
 「任せろ」加瀬は呼びかけた。「ターゲット切り替え。プロトコルは同じだ。シンクロナイズ開始。0.5 ポイントをデリバリーだ」
 『あまり急にぶちこむとキャパオーバーの危険が......』
 「時間がないそうだからな。危険は承知の上で参加してるんだろう。やれ」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 奇跡のように脳裏に鮮明な記憶が浮かび上がった。ラック構成図が明瞭に蘇る。イノウーは自信を持って叫んだ。
 「7 番ラックの9 と10 です」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 モニタで進行を見守っていた東海林は、オペレータの一人の緊迫した声で顔を上げた。
 「侵入警報! 多数。近いです。深空間サーチではポインティング不可能」
 東海林はセクションD のメンバーを振り返った。
 「インヒビター展開準備を頼む」
 「オッケー」5 人の少年少女が同時に答えた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 星野は一心不乱にキーを叩いていた。ノヴァ・エンターテインメントの開発ルームで流し込んだワームが使えないので、同様のロジックを即興でコーディングしているのだ。
 今、マーズ・エージェンシーのサーバルームでは、ソード・フォースが持ち込んだキーボードでイノウーがコンソールを開き、星野のコーディングを、そのまま直接ワームプログラムを書いているはずだ。ソースのインデントが重要なPython なので、こればかりはプログラマに任せなければならない。それにソード・フォース隊員たちは多忙だ。急激に発生した侵入ポイントから、次々と新手のクリーチャーが出現し、サーバルームに陸続と押し寄せているからだ。
 隣にはATP のエンジニアが時計を睨んでいる。1 分おきに時間を知らせてくれるように頼んであるのだ。
 「0 時58 分」
 「イノウー」星野は叫んだ。「これで最後よ。while True コロン、変数名a イコール connector ドット decode 括弧閉じ。改行してインデントバック、self ドット クローズ。実行して!」
 星野のヘッドセットからは、イノウーの荒い息づかいと、キーを叩く音だけが聞こえてくる。後はイノウーがコーディングミスをしないことを祈るしかない。
 「0 時59 分」
 『量子的擾乱が測定限界を超えます』ATP 横浜ディレクトレートからオペレータの悲鳴のような声が届いた。
 『終わりました』意外なほど冷静なイノウーの声が言った。『実行します』
 Enter キーを叩く微かな音が聞こえた。

(続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。

Comment(10)

コメント

匿名

イノウーと加瀬さんとセクションDの共闘…豪華すぎる。
あと過去作の主要キャラで登場してないのは三浦マネージャ(やめなさい)

h1r0

よろしくお願いしまあああああす

匿名D

えー?
ふっちーを引っ張り出そうと思っていたのに。

匿名D

新高島て。www
ちょっと前まではアンパンマンミュージアムがあるだけの、
横浜市の外れだったんですけどねえ。
最近は、どでかいビルディングがぽこぽこ建ってますが。

匿名

マイクロマネジメントの渕上さんまで召喚されたら、
もはやオールスター大運動会の様相…

ななし~

> 「井上」ホレイショーが呼んだ。「どのサーバか"ら"わかるか」
"ら"が不要かと思いました。

一気読みで楽しませて頂いています♪

リーベルG

ななし~さん、ありがとうございます。
「どのサーバかわかるか」でした。

Dain

>隊員の一人が何かをデバイスをセンサーに当て
「何かのデバイス」ですかね?

Dain

>星野のコーディングを、そのまま直接ワームプログラムを書いているはずだ。
「を」が2つ。「直接」が何にかかるのか? 「コーディングを使い」?

Dain

>隣にはATP のエンジニアが
「隣では」?

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