レインメーカー (14) 企画申請書と漏洩
◆アリマツ通信 2021.7.1
新ユニット誕生
大阪CC で新ユニットが誕生しました。今年度に入ってから初の新ユニット誕生となります。
新しいユニットの名前は、LFP ユニット。顧客は関西を中心に活動するアイドルグループ運営会社、と聞けば詳しい方はピンと来るかもしれませんね。
業務内容はサイトで販売されているグッズ関連の問い合わせ全般、となります。ブース数は8+1。本日より業務を開始しています。今朝、行われたCC 開所式の様子はこちらからどうぞ。
当面は週に3 日の業務ですが、稼働率、応答率によっては、週7 日への拡大も見込まれるとのこと。ぜひ成功を期待したいところですね(と、LFP ユニットのSV、OP のみなさんにさりげなくプレッシャー)。
文 総務課 土井
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
田代は苦々しい不快感をもって、アリマツ通信を読んだ。記事には書かれていないが、LFP 業務では<コールくん>を使用することになっている。
LFP 業務はクリティカルなタスクが発生しない業務だ。グッズの発売予定の問い合わせに回答したり、購入品に対するクレームを聞き取って顧客企業の担当部門にエスカレーションする、という、比較的単純な処理が多い、と聞いている。受電数もそれほど多くない見込みだ。当初は受電内容をOP がExcel ファイルに入力して、共有フォルダにアップする方式で済ませる予定だったらしいが、宇都が強力に推したため、<コールくん>に変更された。
また一歩、宇都が自分の影響範囲を広げ、対するDX 推進ユニットは何一つ成果を上げられないでいる。
CC の規模的にも内容的にも、新システムの実験台――というと聞こえが悪いが――として手頃な案件だったと言える。もちろん新システムが設計段階でしかない現時点では夢想でしかない。
もう少し早くわかっていれば、別の提案もできた。
そう考えると、田代の中に焦げ付くような失望が生まれた。もし一カ月前にわかっていれば、<コールくん>と同規模、同機能なシステムを組み上げるまでにはいかないだろうが、LFP 業務に特化したWeb システムを立ち上げることぐらいはできたかもしれない。DX 推進ユニットの存在を社内にアピールする絶好のチャンスだったかもしれないのに。根津も椋本も、LFP 業務について田代に何も伝えてくれなかったので、知りようがなかったのだ。あらかじめ頼んでおかなかった自分も悪いが、二人のサブマネージャが別の視点を持ってくれていたら、事態は変わっていたかもしれないのだ。
もっとも、新システムの適用を提案したところで、宇都が<コールくん>の実績を盾にごり押ししてきたら、LFP 業務の担当SV が新システムを選択することはなかったかもしれない。別のCC に異動したとき、そこで<コールくん>を使っていたら、と考えると、宇都の機嫌を損ねるような勇気はないに決まっている。いまだに宇都は<コールくん>に対する絶大な発言権を有したままなのだから。
YT 社CC のトラブルは大きな話題になったものの、結局、宇都に対して何らかの処分が下されることはなかった。皮肉なことに、イズミが素晴らしい洞察力でトラブルの真の原因を突き止めてしまったことも理由の一つだった。迅速に復旧されたことで、深刻な事故とは認識されなかったのだ。イズミの功績を素直に認めてはいるものの、もう少しだけでも先を読んでいてくれれば、と考えてしまう。
田代はため息を押し殺して、がらんとした室内を見回した。イズミは有給休暇、二人の契約社員は定時で退社している。新人たちは同期の親睦会とやらで、やはり定時でいなくなっていた。明日は朝からQQS 業務に向けての打ち合わせに参加予定だ。前回の議事録に目を通しておこうと思ったとき、ノックの音とともにドアが開いた。顔を覗かせた社員を見た田代は驚いた。システム課の野沢モエだった。
「どうも」野沢は微笑みかけた。「今、ちょっといいですか?」
「はい、どうぞ」
野沢は会釈するとゆっくりと入ってきた。相変わらず見事なプロポーションだった。本人もその見せ方を十分心得ているらしく、あからさまにではないものの、豊かな曲線を強調するような服装と所作を選択している。つい見とれてしまいながら、田代は内心で首を傾げた。野沢とDX 推進室は接点がほとんどない。オーダー票の実演をしたときに顔を合わせたきりだ。何の用だろう。
野沢はイズミの席に座ると、微笑みを崩さないまま、手にしていたプリントアウトを田代に差し出した。
「なんですか?」
「見ればわかります」
野沢からプリントアウトに視線を移した田代は、今度は物理的に首を傾げた。定型の発注企画申請書だった。アイカワ製作所に<コールくん>の保守一式を発注する内容となっている。
「これが何か?」
「年度を見ました?」
田代は再び申請書に目を落とした。内訳の先頭に適用年度が記載されている。
「え?」驚きの声が漏れた。「2022 年度?」
野沢は表情を変えずに田代を見ている。
「どうして来年度の<コールくん>保守費用が申請されているんですか」
「もちろん来年度もアイカワに<コールくん>の保守を発注する予定だからです」
「ちょっと待ってください」驚きが怒りに変換された。「下期からDX 推進ユニットが保守を引き継ぐことは、もうすでに決定されていることですよ」
クスクス、と美しい唇から笑い声がこぼれた。
「保守の引き継ぎですか」
「そうです。システム課も了承済みのはずでしょう」
「それ、ウソですよね」
絶句した田代を、野沢は面白そうに眺めている。
「......何を根拠に。現にうちの新人たちは<コールくん>の機能について勉強していますよ」
「表面上だけは、ですね。実際には、田代さん、朝比奈さん、それから倉田さん、山下さんで新しいシステムを作っている。QQS 案件で稼働実績を作って、一気に<コールくん>と入れ替えを進める。違いますか」
冷たい汗が背中をつたうのを感じながら、田代は混乱した思考を何とか整えようとした。
「お忙しいでしょうから」野沢は続けた。「手間をはぶきましょう。私はそれが事実であることを知っています。もちろん田代さんもご存じですよね。ここまでは二人の認識が一致しています。ということは、田代さんの次の質問はこうです。誰がその情報を、いえ、秘密を漏洩させたのか」
ハッタリをかけているのではなさそうだ。田代は愕然としながらも認めざるを得なかった。
「......誰ですか」
「誰だと思いますか?」問い返した野沢は、またクスクス笑った。「いえ、すいません。これはちょっと意地悪でしたね。答えはもちろん吉村くんです」
「吉村?」田代は呟いた。「まさか......最初から宇都さんの罠で......」
野沢は顔の前でひらひらと手を振った。丁寧なネイルが照明の光をきらりと反射する。
「いえいえ、違いますよ。吉村くんは真剣に提案したんです。宇都さんを心底嫌ってますからね、彼は」
「じゃあどうして......」
「私が訊きだしたんですよ」野沢はペロリと舌を出した。
「訊きだした?」
「ええ。ほら、私はこの通り美人ですから。人は美人に対してはつい口が軽くなるものなんですよ。ましてや吉村くんは、私にベタ惚れですからね」
「......」
野沢は背もたれに重心をかけた。胸部の豊かな曲線が否が応でも目に飛び込んでくる。田代は無理矢理、顔を逸らせた。
「DX さんと何かやってるな、とは気付いてたんですよね」野沢は述懐するように言った。「でも何なのかはわからなかったんですよね。業務報告書や日報にもあたりさわりのないことしか書いてないし。さりげなく訊いてみても何も言わなかったですし」
新システムで既成事実を作る、という計画を提案したのは、他ならぬ吉村だ。当の本人が軽々しく漏らすとは考えにくい。そんな田代の思考を読んだように、野沢は笑みを浮かべた。
「そうなんです。ああ見えて、彼は意外に仕事をちゃんとするんですよね。仕事は。でもプライベートはどうなんでしょうね。私は考えました。もし私が飲みにでも誘ってみたらどうかな、と。実は吉村くんの方からは、これまで何度も食事や映画に誘われていたんです。タイプじゃないので、全部、断ってきましたけどね。もちろん仕事で気まずくなるのはイヤだったんで、それなりの理由をつけてです。ほら、私はこのとおりの容姿なんで、その手の言い訳の10 や20 は常にストックしてるんですよ。最近はコロナのおかげで、断りやすくなりましたしね」
田代は唖然としながら野沢の話を聞いていた。他の女性なら鼻持ちならない自慢と取られるであろう内容が、野沢の口から語られると単に事実でしかなかった。
「たぶん吉村くんも、そろそろ脈がないな、と気付きかけてはいたんです。そこにですよ、私の方から誘われたらどうでしょう。骨を投げられたワンちゃんみたいに飛びついてくると思いませんか? 実際、飛びついてきたんです」
「......」
「雰囲気のいいレストラン」野沢は楽しそうに続けた。「美味しい食事。私はあえて仕事の話はせず、吉村くんの話に耳を傾けていました。要所要所で適当に相づちを打つ。吉村くんのグラスが空にならないように気をつけながらね。二軒目はホテルの夜景の見える静かなバー。ここでようやく少しずつ会社の話題を出していく。そうなると当然、上司の宇都さんの話になったのは想像がつきますよね。吉村くんのは、ほぼグチでした。私はそれに同情し、同調する。さりげなく腕や肩に触れながら、宇都さんの話を引き出す。一回ぐらい寝てあげてもよかったんですが、そうするまでもなく、吉村くんは、実は......って感じで計画を打ち明けてくれました」
「どうして......」
「そうですよね。そこが知りたいですよね。いくら私が美人で魅力的だからといって、宇都さんに知られる危険をおかしてまで計画を打ち明けたんでしょうね」
「あなたはご存じなんですか?」
「吉村くんはちょっと勘違いをしてるんですよ」野沢は悪戯っぽく声をひそめた。「私が宇都さんに何か弱みでも握られていて、仕方なく宇都さんの指示に従っているんじゃないかって。<コールくん>が使用されなくなるか、その使用率が下がっていけば、宇都さんの影響力も比例して小さくなる。そうなれば私も宇都さんから解放される。そんな風に考えてたみたいですね。つまり私を助けようとしてくれたんです」
野沢は肩をすくめた。
「気の毒な吉村くん。というわけで、今、私は全てを知っています。何かご質問は?」
何度か口を開いては閉じる、という動作を繰り返した後、田代はようやくもっとも知りたいこと、知らなければならないことを訊いた。
「宇都さんも知っているんですか?」
「いい質問ですね」嬉しそうに野沢の両手が打ち合わされた。「いいえ、まだ知りません」
「じゃあ」田代はプリントアウトを掲げた。「これは何ですか。申請者は宇都さんになってますが」
「それは私が提案したんです。申請の締め切りは6 月中でしたから。引き継ぎがうまくいかない可能性もあるので、出すだけ出しておいたらどうですか、って」
「つまり」田代は一縷の希望を抱いた。「これからも伝えるつもりはない、ということですか」
「その答えもいいえです。もちろん宇都さんには伝えますよ」
「......」
「ただし」野沢は人差し指を立てた。「すぐにではありません」
「どういうことですか」
「一週間の猶予を差し上げます。田代さんの方で、宇都さんに計画が漏洩するように何か手を考えてくださいな。方法は何でもいいです。メールの誤送信。間違った共有フォルダへの保存。噂話」
「どうしてそんなことを」
「過失で計画が宇都さんに知られたなら、田代さんのうっかりミスで終わるじゃないですか。吉村くんが私にベラベラ話したのが原因ということにはなりません。私は吉村くんに悪意があるわけじゃないんです」
「一週間......」
「それを過ぎても何もアクションを起こされなければ、やむを得ません、私から宇都さんに知らせることになります。当然、吉村くんは無事じゃ済みませんね。少なくともDX 推進からは外れることになるんじゃないでしょうか。後任が誰になるにせよ、非協力的であることは保証してもいいぐらいです。新システムなんか夢のまた夢で終わりますよ。そう思いませんか」
野沢の指摘の正しさは認めざるを得なかった。システム課の協力がなければ、サーバの調達やネットワークの設定はできない。たとえ開発環境で新システムが完成したとしても、デモ環境ひとつ作ることもできなければ何の意味もない。
「野沢さんはそれでいいんですか?」
「どういう意味です?」
「この計画が公になれば、<コールくん>と新システムの競争ということになります。そりゃあ現時点では<コールくん>が優位でしょうが、新システムが<コールくん>より高機能で、高額な保守費用もかからないと証明されれば、流れは変わるはず」
「それは田代さんが心配することではありません」
野沢はそう言うとゆっくり立ち上がった。その優雅な動作に、田代は思わず見とれてしまった。
「一週間ですよ」出ていく前に振り返った野沢が言った。「8 日の定時がリミットです」
ドアが静かに閉じられた。残された田代はしばらく身じろぎすらせず座っていた。
(続)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。
コメント
匿名
ハニートラップ…。
野沢さんのモチベーションはなんだろう。
匿名
どういうモチベーションがあれば会社でこんな陰謀ごっこする気になるんだろ・・・
理解に苦しむ
匿名
「新システムが<コールくん>より高機能で、高額な保守費用もかからないと証明されれば、流れは変わるはず」
Seaser2でこの条件を満たせるのだろうか?
匿名
>理解に苦しむ
ようは宇都自体もコマで(なんなら真面目にやってる側で)
こいつが本当の黒幕でなんらかのKBもらってるような立場ってことだろ
苦しむ必要もないよ。楽に死ねる・・・。
匿名
今までは誰か1人(もしくは1社)の黒幕に対して全員に立ち向かっていくってことが多かったけど今回は誰に対してかいまだに絞り切れないですね。
ってことは、今回も長編覚悟となりそうですね。
匿名D
吉村君には釘を差しておく必要があるとして、
さて、どこまで情報共有するのかな?
そりゃ吉村くんの所業を表沙汰にはできないけど、
なにも田代氏一人で背負い込む必要はないと思うんだが。
プロジェクトが表沙汰になり、吉村君のポストも保持しなきゃいけなんだしね。
野沢女史は、とりあえず、宇都氏に従属している立場でも、
強烈に反発を持っているわけでもないようだが。
宇都氏がコケてもいいように布石を打ったのかな?
まあ隠れんぼよりも狐狩りのほうが読んでいて面白くなるのは事実。(酷い
にんにん
状況的に仕方ない面もあるけど田代氏は基本他責志向なんだな。
野沢女史みたいな方、職場にいないかなぁ(ぉぃ
なんなんし
社内の情シスSEの悲哀もあるけど
腰掛けには都合の良い環境なのかもしれない
楽なオペレーションを変える必要ないなら
そのままの方がいいだろうし
環境が変わるなら勝ち馬に乗るために
ちまのうちにつば付けとばいいやと
たむたむ
真の黒幕(???)
吉村君(真の黒幕と見せかけて???の手下)
…かな??