ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

高慢と偏見(8) 敵は身内にもあり

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 関東地方の梅雨入りが宣言されるころには、スケジュールの遅れが目立ち始めた。

 もともと遅れていたところに、三浦十字軍が襲来。誰も読まないドキュメント作成と、もはや三浦マネージャの独演会と化しつつあるコードレビューが重要タスクとして追加されたことが、スケジュールを圧迫し始めたのだ。加えて、冗長なコーディングのおかげで、コーディングそのものとデバッグに数倍の時間がかかるようになっている。

 これでオンスケだったら奇跡だ。

 嫌気がさしたらしい他社のメンバー数人が、さまざまな理由でプロジェクトから抜けていった。そのこともまた、残りのメンバーへの負荷を上乗せする結果になったのは言うまでもない。

 誰もが次第に口数が少なくなっていった。平良さんですら余裕がなくなってきたのか、温厚な笑顔を見せる割合が激減している。

 三浦マネージャだけは、そんな空気に気付いているのかいないのか、平然とマネジメントを続けていた。

 平良さんは抜けたメンバーの穴を埋めるべく、スケジュール表と格闘した挙げ句、三浦マネージャに増員を打診してみた。三浦マネージャの答えはこうだった。

 「1年生たちも少しずつ経験を積んできていることだし、それで何とかしてよ」

 三浦マネージャと同時に投入された、「新人くんチーム」の6人は、予想どおりまったく役に立たなかった。だいたい、机上で勉強しただけの――しかも偏った知識を詰め込まれた――新人を、いきなり激務に放り込むのは無茶というものだ。業務知識か技術力か経験、そのどれかでも備えていれば多少なりとも戦力になっただろうが、どれも足りない――というか皆無――ときては、何をか言わんや、である。

 さらに面倒なことに、彼らは新人とはいえ、私たち外注メンバーから見れば「お客さま」にあたるわけで、露骨に雑用ばかり押しつけるわけにもいかなかった。就職難の中、大学入試以上の難関を突破して入社しただけあって、いわゆる「頭の悪い」やつはいなかったのだけど、何といっても最初にあたった教師が悪かった。私たちが同じ研修を受けたとしても、経験によって「おかしなことを言っている」と分かるので本気で信じようとはしなかっただろう。でも、彼らは、三浦マネージャが言っていることの是非を問うだけの価値基準をまったく持っていないのだから、言われたことを信じるしかなかったわけだ。

 ――ずっとこの会社にいられるといいね。

 私は心からそう思った。うっかり転職などして、自分が正しいと信じてきたことが、この業界ではまったく通用しないと知ったら、精神的に立ち直れなくなるかもしれない。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 定期報告のために7月の第1週に自社に戻ったとき、私は窮状を訴えて契約を早めに打ち切ってくれるよう、営業担当に頼めないかという考えをもてあそんでいた。途中で仕事を放り出すのは三浦マネージャに負けるみたいでイヤだったが、もはや知的労働というより肉体労働に近いものがあり、開発室へ出勤するのが日に日に苦痛になってきている。

 逡巡したまま営業担当の前に座った私が口を開く前に、向こうが先手を打ってきた。

 「いい知らせと、すごくいい知らせと、悪い知らせがあるんだけど、どれから聞きたい?」

 ちなみにこの黒野という営業担当は同期入社だ。

 「……じゃあ、いい知らせから」

 「うん。K自動車でのお前の評価はなかなかいい。技術力-A評価、コミュニケーション-B評価、問題解決力-B+評価、勤怠-A評価。これなら単価交渉もできるかもな」

 私は心の中でため息をついた。

 ――あのね、その評価は、私が顔を見たこともないようなICTシステム部の誰かが付けてるのよ。1カ月分の給料を賭けたっていいけど、他のメンバーの会社にも同じぐらいの評価が渡ってるはずだって。

 「あそ」私は素っ気なく言った。「それで、すごくいい知らせって?」

 「うん。高評価につき、契約期間を延長したいって言ってきたんだ」

 私は卒倒しそうになった。

 「え、延長!?」

 黒野はまるで自分の営業手腕の手柄ででもあるかのように、得意げな顔をした。

 「そうだ。すごいだろう」

 冗談じゃない。

 「断って」

 「は?」

 「断って」私は繰り返した。「絶対、絶対、断って」

 「なんでだよ」黒野は意外そうに訊いた。「最近は、延長を申し入れてもあっさり断られることの方が多いんだぞ。向こうから延長したいって言われるなんてめったにない。お前の能力を高く評価してるってことじゃないか。何が不満なんだ?」

 そりゃあ技術力を評価されて「ぜひに」と言われれば、エンジニアとしてはうれしいに決まっている。

 ――でも違うんだな。他の会社のメンバーが抜けていってるから、そのしわ寄せが来てるだけだって。

 「とにかく断って。勝手に受けたりしたら、あんた殴るから。グーで。マジで」

 「……」

 以前、こいつの連絡ミスで受注開発の納期が1カ月前倒しになったとき、私は後先考えず、手加減なしでこいつの顔面を殴りつけたことがある。だから、冗談を言っているのではないと分かったはずだ。

 「悪い知らせって何よ」私は素っ気なく聞いた。

 「あ、ああ」黒野は鼻白んだように口ごもった。「今のに関連したことなんだけど、延長はできない。別件でもうアサインしちまったから」

 「は?」

 「てっきりお前が延長を喜ぶかと思って、悪い知らせにしたのに」

 私は安堵のため息をついた。先にそれを言え。

 「そっちは? 何かあるか?」

 「あるといえばあるかな」私はためらったが、思い切って切り出した。「今月いっぱいで契約切れないかな」

 「はあ? お前、何言ってんの?」

 「言ったとおりよ。あそこ行くの、もうイヤになってきたの」

 私は簡単に理由を話した。

 相手が技術畑の人間なら共感してもらえたかもしれなかったが、あいにく黒野は1行のコードすら書いたことがなく、

 「ガキか、お前は」

と、にべもなく却下された。

 「おれたちがK自動車の契約取るのに、どれだけ苦労したか分かってるのか?」黒野は私を睨んだ。「ここでお前の契約を早めに切ったりしたら、それもこっちの都合で切ったりしたら、もう二度と話を振ってもらえなくなるかもしれんだろうが。自分の好き嫌いで他の社員を巻き添えにしてもいいのかよ」

 「私はどうなってもいいって言うわけ?」

 「そんなことは言ってない。言ってないけど、もう少し我慢しろ。お前ならやれるよ」

 根拠のない断言は、私の耳に空しく響いた。

 ――この野郎、常駐する前は「何かあればすぐ言えよ。駆けつけるから」とか調子のいいことを言ってたくせに、一度も顔を見せたことさえないじゃないか。

 「とにかくそれは問題外だ」黒野は強引にまとめた。「よし、じゃあ終わりにしよう。めしでも食いに行くか?」

 「行かない」まだ11時前だ。「戻る」

 定期報告のための帰社日は丸1日許されているが、担当している機能が遅れていてのんびり過ごしている気分ではなかった。

 「そっか。じゃあな。頑張れよ」

 弱小ベンチャーがつらいのは、こういうところだ。大企業より自由がきいてやりたい仕事を選べる、とか言っていても、長いものに巻かれないと生き残っていくことができない。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 私は昼の少し前にK自動車へ戻った。その日の空いている席はアツコさんの隣だった。PCを起動すると、アツコさんが小声で話しかけてきた。

 「どうだった?」

 私が契約打ち切り交渉をすることは話してあった。

 「ダメでした」

 その一言でアツコさんは事情を察してくれたようだった。うちよりは規模が大きいが、アツコさんの会社もご多分に漏れず受託開発は減っていて、こうした常駐で食いつないでいるのが現状だ。その常駐案件すら少ないパイの奪い合いになっているのだから、一技術者の都合で「じゃ、やめていいよ」とはならないのは分かっている。

 「やっぱりね」アツコさんは慰めるように言った。「あたしもダメって言われたよ。即答だった」

 「ですよね」

 三浦マネージャ以前の開発室は、メンバー全員がプロ意識に満ちていて、その一員として仕事をこなしていくのが楽しくて仕方がなかった。スケジュールは遅れていても、メンバー全員が創意工夫によって遅れを最小限にとどめようと努力していたし、知識の共有も積極的に行われていた。

 3Kだとか7Kだとか言われていても、やっぱりこの仕事が好きなのは、得られる知識や経験や達成感が、費やした労力や時間を上回ることが多いからじゃないだろうか。少なくとも私はそうだ。

 例えば、100行のロジックをリファクタリングして20行に減らすことができたとき。

 例えば、SQLをチューニングして、2秒かかっていた処理が0.5秒になったとき。

 例えば、30以上のメソッドがあるユニットテストが、グリーンのバーで完了したとき。

 たとえそれがランナーズハイのような脳内麻薬物質による見せかけの高揚感だったとしても、何物にも代えがたい瞬間であることは事実だ。

 だから、さまざまな理由で離れていったメンバーたちの気持ちは痛いほどよく分かる。わざわざ効率の悪いコーディングを強制されるのは、本来、エンジニアが達成しようとする目標の真逆をやれと言っているようなものだから。

 今は平良さんの水面下での努力と、残ったメンバーの自己犠牲的ともいえる努力で、スケジュールが遅れつつも表面上だけは進んでいるように見える。でも、こんな状態はどんどんひずみを生んでいくに決まっている。私は、いつかそのひずみがバブルのようにはじけるときが来るんじゃないかなあ、と漠然と考えていた。願わくば私の契約が終わった後だといいんだけど。

 だけど、私の考えは相変わらず甘かった。

 プロジェクトの見えない部分にたまっていたひずみが、一気に爆発したのは、それからわずか数日後のことだった。

 (続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術・製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(6)

コメント

Buzzsaw

脳内麻薬のくだり、目頭が熱くなりました。

わたしも似たような状況で体を壊した経験があるので、読んでいてとてもフィクションとは思えなかったです。

続きを楽しみにしています。

楽人

私の父、そして最初の上司が同じような方でした。
彼らの共通点は事務処理などは手際が良いのですが、責任を取りたくないという意識が極度に強いのが特徴でした。
そのため管理ではなく行き過ぎ、支配下に置き、自分の責任のとれる範囲でのみ行動を強制させ
自分の範囲外の意見に対しては拒絶・否定を行います。
モチベーションの低下はもちろん、技法やルールの強制によって進捗は遅れました。
現在では反面教師にさせて頂いています。

とても面白いコラムなので次回も楽しみにしています。

K.Oumi

しかし、「普通」だったなぁ、こういう状況 orz
日本最大手系で特に(><)
最近、前線に出てないですが、今も「普通」なんだろうか…
嘆かわしいことですね。

最も、上司(側)だけが「変」で、デベロッパー(側)は「まとも」っていう構図もなかなかないですけど、どっちも「変」な事のほうが多かったなぁ(^^;
もちろん自分もちょっと変 orz

ちょっと方向性違いますが、セキュリティ確保のために、
・外部ネットワーク遮断
・外部からのPC持ち込み禁止
・携帯端末持ち込み禁止
結局、何もできなくなる(大幅に効率下がる)という…
こんなのも、似たような問題ですね。

ほんと、日本人っておかしい…

omanuke

面白くなってきました。
制限のなくきれいなコードを書け、リファクタすることも推奨される環境にいる自分は幸せなんですかね・・・
リファクタすべきコードがてんこ盛りあるのにブチブチ文句言っててすいませんでした。

昨日作業中にふと高慢と偏見(4)に迷い込み、つい読んでしまったら、冒頭から笑いの発作が。慌てて風邪の症状を装い、危険なので帰宅してから読ませてもらうことにしました。私の遭遇したマネージャもイニシャルがMなので「MMがさー」とか呼んでました。MMなので、マリリンちゃんとか呼んでた人もいましたっけ。なんか、懐かしいような気もするー。最近は戦線を離脱気味で、単独で特殊(要求されるスキルは広く高く深く、単価は低い。業務に精通しても汎用性はなさそうなヤツ)なところを渡り歩いてます。「職業はウルトラマンです」とか冗談を言ったり。だって、怪獣をやっつけるまではヒーロー扱いでも、事が終わると邪魔にされますしね。何はともあれ、次回を楽しみにしてます。私も小説家への道をお勧めしたいな。

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