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『ラ・ムー』-量子暗号エンジニアの探索- (後編)

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本編は架空世界における架空エンジニアのSF世界のショート物語.Vol2-2です。

 午前一時半、いつしか眠っていたようだ。デスクの上に置かれたコーヒーの香で目が覚めた。外したデジタルブレスレットがデスクの上で振動していた。

「解析が完了したようですね」アルベラがデスク上にコヒーカップを置こうとしていたところであった。

「そのようだね。二時に間に合ったか」コーヒーの香で目覚めたのではなくて、デジタルブレスレットの振動で目が覚めたのか。

 日付が変わり、『ラ・ムー』ミッションがすでに開始されていた。解析できた項目は以下の六項目であった。

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設置年:1992.12.24
座標系:135.76.....,34.94......
所属:暗号理論研究室
名前:佐藤
探索プログラム:RA.MU
データ:仮想通貨チャート
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 研究所は一九九五年に設立にもかかわらず、機器の設置年はその三年前になっている。今から二百三年も前である。記録によると建物はたしかに大学付属研究所として一九九二年に存在していたようだ。設置者は佐藤という人物であるが当時の在籍記録には無く偽名であろう。目的は不明であり、送り先すら不明であった。

 データは仮想通貨イーサリアムのチャートであるが、過去に設置されたにもかかわらず、現実のチャートをそのまま正確に追い続けている。ということは、このデータを理解している過去の受信者は受信した時点のチャートデータを信頼に値すると信じれば、仮想通貨で莫大な利益を得ているはずである。送信者は株式チャートを選ばずわざわざイーサリアムの仮想通貨チャートを選んでいる。

 史上初の仮想通貨ビットコインは、五十年前に予定総発行量の上限にほぼ達してしまい、価値がピークに達した後に流動性を失ったので、ずっと価値が下がっている。その点、イーサリアムは総発行量の上限はなくいくらでも発行可能で、価値はゆるやかであるがずっと上がってきている。この先もデジタル通貨の主軸としての地位はゆるがないだろう。

 探索プログラム:RA.MUはビットコインではなくてイーサリアムを選択したのである。

「座標は日本測地系とするとこの位置は廃材置き場だな」風間は3Dマップに投影された現研究所建屋にオーバラップされた旧研究所建屋を比較して言った。

green12.png

「でもおかしいわ。この設備図だと、廃材置き場にネットワーク設備はなく、しかも電源すら供給されていませんわ」アルベラの頬が風間の頬に触れるほどに近づいて3Dマップを覗き込んでいた。

「そ、そうだな。RA.MUは廃材置き場に存在するが、電源は供給されていない」風間は依頼元の東條技術管に報告した。

「電源供給無し? それでは『ラ・ムー』ミッションは無駄じゃないか。すでに区画調査の一割は進んでいる。廃材置き場に調査にすぐに行ってくれ」東條技術管からの指令がデスク上のデジタルブレスレットに届いた。飲みかけのコーヒーの表面に円形の波紋ができていた。

 廃材置き場には壊れた機材、さらには朽ち果てた前世紀の書物まで多種に渡っていた。風間自身この建屋に入るのは初めてであった。主のいない蜘蛛の巣がさんざん張ってあり、塵も積もっている。ここ数年使われていないようだ。

 バナジウム性ダウジングロッドでアルベラが電源ラインを探索したが見つからなかった。その代わりに電源ラインではないが、弱い信号の漏れをアルベラは探し出した。

「これか!」風間が叫んだ。

 今の時代に同軸ケーブルは使われない前世紀の遺物である。それはイエローケーブルであった。終端抵抗が見えることからここが末端である。風間は廃棄物をかき分けてケーブルを辿っていった。

 クリーム色のペイントがまだら模様にはげ落ち、錆びたボックスが壁に設置されていた。中には見慣れない基板と巨大なコンデンサーが並列に三個並べられている。基板上に配置された電子部品から自作であることがすぐにわかった。ROMには遮光シールが貼ってありそこにはサインペンで、
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1992.12.24
S
RA.MU
--
と書かれていた。

「RA.MUか。発信源はこの謎の基板で間違いない」コードネームRA.MUか風間は苦笑いした。しかし電源は供給されてないはずなのにどうして稼働しているのか。イエローケーブルからの電源供給で動作しているのだろうか。

 ボックスの先のイエローケーブルはどこに接続されているかは物理的にはこれ以上辿れなかった。たぶんどこかに取り付けられたトランシーバーから研究所のバックボーンにつながっていると思われる。

「ツッ。この先はわからないわね」アルベラがロシア系特有の舌打ちをした。とはいうもののかわいらしい舌打ちである。

「電子タイプの64ビットCPUが実装されているな。しかしこれに接続されているコイルみたいのが何の為か理解できないな」

『ラ・ムー』ミッションはすでに開始されている。バックボーンへつながる最後の経路の電源が遮断されようとしていた。

 暗号理論研究室所属の佐藤から密かに引き継がれた機器は研究所の建て替えでも生き残っていた。というよりも、廃材置き場としてわざと残すように仕向けた人物がいたのである。

 設置から三十後の二〇二二年やっと、未来データが送られるようになった。このRA.MUは1秒に1ミリ秒未来に加速するように設計されていた。以後、プログラムはイーサリアムをターゲットにし、そのチャートを送り続けるようになっていた。

 年代を重ねるごと先の未来を読み取れるのである、1年で8.7時間先を知ることができる。しかしながらこのデータタイムマシーンというべき装置はどの時間軸においても稼働していなければならない。活動を停止したとたん、過去から停止したそのときまでの事象はご破算になってしまうのであった。

 これはどういうことかというと、未来のイーサリアムのチャートを知ることで莫大な利益を確実に得ることができた人物が、RA.MUが停止したとたんそれは夢となり、なかったことになるのであった。

 当時の研究者はそれ故、この装置を輪廻データネットワーク装置と呼んでいた。今、ここにこの装置を引き取りたいというメールが入っている。もしかしてこの時間の輪廻を離脱できる方法を発見したのかもしれない。

 バシッという音がボックスの壁の先で聞こえた。バックボーンへの電源の供給が落とされたのだ。

 輪廻データネットワーク装置RA.MUのLEDが一瞬瞬きした。アルベラが握っているダウジングロッドの反応はなくなったが、RA.MUはまだ動いていた。巨大コンデンサーのお陰だろう。この容量だと後数十分の命である。

 この日の午前二時、研究所から外部へ不明な量子パケットの送出されることはなかった。

 世界は何も変わっていない。ただこの日と過去につながる何者かの未来が分岐した。

 その者とは......

                                 了

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