業界人のにおい
初めまして。職歴20数年のプログラマです。ときどきSEもやります。
IT業界でいわゆる下流工程(「下流」とは最近なんともいやな言葉になってしまいました)で長年プログラム製造の仕事をしてきました。ソフトウェア開発の現場に近い位置に身をおいていると、この業界がとんでもない構造的問題を抱えていることがよくわかります。
IT関連のブログというと、書いているのはたいていがコンサルタントやITライターの方など、「上流」工程におられる方々が多いように思えます。これらのブログも非常にためになるのですが、わたしがふだん思っていることとはだいぶものの見方、考え方がちがっているように思えます。「問題はそんなところにあるんじゃないよ」とか「実態を知らないんじゃないか」と思うことしきり。
「もの言わぬは腹ふくるるわざ」と申します。王様の耳の秘密を知ってしまった床屋のような気分。葦の茂みに穴を掘って「王様の耳はロバの耳」と思いのたけを叫んでみたくなります。さいわい@IT自分戦略研究所がわたしに意見発表の機会を与えてくださいました。@ITに感謝しつつ、ここでわたしなりの問題提起をして見たいと思います。しばしおつきあいのほどを。
とはいうものの、最初から固い話ではじめるのもなんですので、ちょっと感覚的な話から始めましょう。お題は「におい」についてです。
どんな仕事についている人も、その仕事独特のにおいがあるものです。街を歩いていて、突然歩道の横にワンボックスカーが横付けして、中から機能的でカジュアルな格好をしたお兄さんがはじけるようにして飛び出してきて、てきぱきと後ろのドアを開け、荷物を降ろし始めたなら、それは十中八九TV業界の人です。彼が引き出すのはカメラの三脚、ジュラルミンケース。そうしている間に、別のスライドドアからはカメラをひざに抱いたおじさんがちょっと重々しく出てきて辺りを見回し、助手席からは女性ディレクターが出てきて仕切り始めるといった寸法。わたしはこの業界の人たちと一緒に仕事をしたことがあるので、においでわかります。
また法曹関係の人々も一種独特な雰囲気を持っています。大きな書店の法律書のコーナーに行くと、そこにいるのはきまって地味な背広を着て、黒いかばんをさげた男性の方々。せかせかした感じがしないのは、きっとあまりスケジュールに縛られない生き方をしているからでしょう。なかにはすっかり頭の禿げた年配の方もいらっしゃいますが、齢はとっても勉学心旺盛なことが背中でわかります(不思議なことに、こういうところではあまり女性を見かけないような気がします。「辣腕の女性弁護士」というイメージはテレビドラマの見すぎでしょうか)。
さて、本題のIT業界人のにおいですが、一時期、誰が見てもはっきりわかるにおいをさせていたことがあります。1980年代後半、パソコンの普及とともにコンピュータ関連の書籍がにわかに書店の棚にのさばり始めたころ、その棚の間にたむろしていたのは、年のころは20代後半から30代、しらっぱけたジーンズによれ気味のトレーナーを着、時に髪の毛は寝ぐせのまま、身なりに関心がないというスタンスがあまりに自然に身についたお兄さんたちでした。
なにやら留年学生風でもあり、かといって暇をもてあましている風でもなく、ひとつ仕事に打ち込んでいるという凄みがどことなく伝わってくる。周囲の人にはほとんど関心を払うようすがなく、表情に喜怒哀楽も見えない。ただじっと本の背表紙を眺めては、頭の中で筋道だった考えを高速で展開しているように見える。
彼らはプログラミングの魔力に取り付かれた人々でした。キーボードを叩きまくり、複雑なロジックを組んではほぐし、ほぐしては組む、そんな作業を長時間続けてきたことが、ほとんど体臭となっていました。ひとつところをじっと見つめる癖は、CRT画面を眺め続けたためでしょう。無表情に見えるのは、プログラムが思い通りに動いたという、自分にとっての人生最大の喜びが、他人には説明のできない、また説明する必要を感じないものだったからでしょう。
そう、この時代IT業界(当時はまだ「IT」なんて言葉はありませんでしたが)を代表していたのは、いわゆる正統派「ハッカー」気質の人々でした。1980年代後半16ビットパソコンとMS-DOSという組み合わせが急速に世界中に広まってきたころ、それまで8ビットマシンの上でホビーのなかに閉じ込められていた個人のプログラミングの才能が、安価に提供されたビジネス向けパソコンというプラットフォームの上で華々しく展開されていったのです。これらの才能が数々の優れたアプリケーションソフトに結実し、やがてインターネットを媒介にして相互に結びついて、Linuxをはじめとするオープンソースのコミュニティを形成するのです(きっとトーバルズ氏もスティーブ・ジョブズ氏も、強烈なハッカーのにおいをさせていることでしょう。お会いしたことはありませんが)。
しかしこんなハッカーのにおいをさせる人々は、書店からいつの間にか姿を消してしまいました。彼らはいったいどこに行ってしまったのでしょう。ネットがあるから、もう情報を書籍に頼る必要はなくなったのでしょうか? いえいえ、まとまった知識を得るためには書籍のほうがはるかに効率的なメディアです。
最近、書店のコンピュータ書籍コーナーで見かけるのは、必要に迫られてやってくる人たちばかりです。破綻しかけたプロジェクトに何か妙案はないかと探すプロマネ風の40代。儲け話につながるイノベーションはないかと嗅ぎまわっている30代。就職が決まらず、コンピュータ入門書をこわごわ覗く20代。
むしろ活気があるのはWebデザインのコーナーですが、こちらに集まる若者たちはまったく違った人種です。ヒップホップかウラハラか、大人たちにはよくわからないけれどとにかくお金をかけずに自己主張したいというスタンスのおしゃれに身を包み、何を見ているのか視点が定まらない夢見る少年少女たちといった風情の若者たち。彼らは、自分が見た夢を他人に理解してもらいたいという欲求を抱えてそこに集まっていると見えます。
要するに、この業界も広くなって、いろいろな人が参入しているということでしょうが、それにしてもハッカーたちはどこへ行ったのでしょうか。いろいろな人たちの間にまぎれて目立たなくなっているのでしょうか。
ひとつ気がかりなことがあります。
わたしには悪い癖があって、休日など暇なとき喫茶店に一人で入って、他人の話に耳を傾け、その人たちの生活や仕事について想像をめぐらしたりするのですが、最近スタバなどのコーヒーショップでは、年のころ20代後半、さりげなく高そうなカジュアルウェアを着て、自分たちの仕事について談論風発している若い人たちを見かけます。彼らの話から「納期」とか「プロジェクト」とかいう言葉が聞き取れますので、もしかしたら同業人かとあたりをつけるのですが、それにしてはコンピュータ用語が少しも出てこない。「OS」も「データベース」も「サーバ」も一切出てこないのです。
彼らは仕事の愚痴を言い合うでもなく、むしろ今の仕事には十分満足しているらしい。それどころか自分の前に開けた出世の可能性にわくわくしているのが目の輝きから読み取れます。すぐそばでおじさんが立ち聞きしているのも気づかずに、彼らは仕事の薀蓄めいた話題をひとしきり得意げにしゃべった後、
「技術には深入りしないほうがいいね」「うん」
と、なにやら後ろめたげにうなずき合った後、急に話題を失って黙り込んでしまう。こんなことが2度ほどありました。
だいぶ前からIT業界は「3K」だとかいわれて、非人間的な使われ方をする産業だという評判が定着しています。そんなおそろしげな世界に果敢に乗り込んでくるのは、こんな野心たっぷりの、恐いもの知らずの若者たちなのでしょうか。それはいいのですが、そんな若者たちが一番恐れているのが、どうやら「技術に詳しい」という社内評価を立てられることのようなのです。彼らにしてみれば、生産部門に配属されるのは、自分のキャリアにとって損失であり、そんなことがないよう、上流をすいすい泳ぎ渡ってえらくなっていきたいというのが本音かもしれません。
もちろんこれは、わたしが巷で立ち聞きした話の断片から組み合わせた推測に過ぎません。しかしもしこの推測が正しければ、それは日本のIT業界には技術に対する軽視、軽蔑、忌避の傾向が蔓延しているということではないでしょうか。
1980~1990年代IT業界を闊歩していたハッカーたちは、この環境の変化が原因で激減しているのではないでしょうか。地球温暖化で絶滅の危機にあるホッキョクグマのように。もしそうだとしたら恐ろしいことです。
銀行が営業できるのは一般預金者の貯金を背景にした信用があるからです。車が売れるのは高性能で安全な車を生産する力があるからです。どの企業も自分の利益の元は大切にし、常に気にかけています。IT業界が自分たちの利益の源をおろそかにしたらどういうことになるでしょう。これは日本のソフトウェア産業の危機ではないでしょうか。
これからしばらくこのコラムを借りて、「下流」から見た、現在日本のIT業界が抱える構造的な問題について書いていきたいと思います。自分の経験にもとづいた、推測と独断と偏見の入り混じった話になると思います。反感を感じたり、憤慨したりする方がいらっしゃるかもしれません。反論は甘んじてお受けしますので、興味のある方はしばしお付き合いください。
ところで、わたし自身はどんな「におい」をさせているかって? さあ、それはわたし自身、他人になってみないとわかりません。
コメント
やはりそうですか・・・どうやら気のせいではないようですね。私もいわゆる下流の職人肌の技術者です。料理人が料理できなくては普通お客からクレームが来ますし、そのような事は誰ものぞもないでしょう。
しかし、情報処理技術になると「利益を掠め取る」人や企業が儲かる仕組みになっているのを感じます。そういった「儲かる人々」は我々職人から商品を取り上げ、それを口で売るだけでぼろもうけします。これは盗みやすい情報処理技術ならではの現象ですね。お客のことや品質などどうでもよくとくにかく売れば儲かる、そのような状態があるように私も感じていました。
料理の品質を考えず、ただ口で売るだけではお客からクレームが来ます。
しかし、情報処理技術の場合はそれがまかりとおりがちなんですよね。
楽すれば儲かるであれば、誰もが楽したいのが当然です。
そうやって職人は死に絶え、社会のインフラを揺るがす事件が起こるまで他の業界の人々は関心すら持たない。
私は日ごろ、何故お客も品質を軽視するのかと理解に苦しんでいます。
料理は品質を気にするのに情報は気にしないのは不思議でしかたありません。
コラムニスト後藤
インドリさんへ。
コラムニストの後藤です。
さっそくのコメントありがとうございます。同感者を得られて心強いです。
インドリさんもおっしゃる「お客さんが品質を軽視する」のは、ソフトウェアの場合、エンドユーザには製品の品質が見えにくいことが原因なのだと思います。私たちにはソフトウェアの品質はソースコードを見れば明らかですが、一般のユーザにはトラブルが起こってみないとわかりません。ソフトウェアには「外形」がないのです。
このことについても書いていこうと思いますので、お楽しみに。
わらびー
インドリさん、
少し失礼なコメントになりますが、もうすこし論点を簡潔に表現していた抱けないでしょうか。インドリさんのお考えがすごく気になるのですが、あまりにも長すぎます。
以下私の意見です。
外注はだめなのでしょうか。
1.内製でも外注でも作るのは人。なぜ社内・社外でアプリケーションの品質に違いが出てくるのでしょうか。むしろプロジェクト組織の問題なのでは?
2.コーディング作業自体は、単純労働ではないかとおもいます。したがって報酬は高くなりません。きれいなデザインはむしろコーディング作業ではなく、アーキテクトなどといった類の人たちの仕事ではないでしょうか?
ちなみにPG・SEという言葉自体が日本だけで通用するようです。日本以外では、プロジェクトを遂行する人(PM)、要件をまとめる人(BA)、テクニカルなデザインをする人(アーキテクト)、そして開発者というすみわけのようです。すみわけがされているので、たとえばPMは業務もテクノロジーも知る必要がありません。これが良いかは議論の対象かもしれませんが、日本だけの特殊な形態は、いずれなくなっていくのではと思います。
ららびー
インドリさんでなく、後藤さんあてです。失礼しました。
まーせっど
>>たとえばPMは業務もテクノロジーも知る必要がありません
少なくともNASAのPMは組み込みバリバリ組めるプログラマーあがりの人だったな
アメリカではコーディングできない屑はPMになれない