新卒入社の会社は1年持たずに倒産。「流れよう流されよう」がモットーのエンジニア

震災、その時。そしてひとこと

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◆震災、その時

 その時ぼくは都内の赤坂にいた。午後半休取って検診。雑居ビルのワンフロアにある医院の待合室。ソファに座って雑誌を見ながら順番待ち。

 揺れた、地震だ。すぐ止むと思ったのでそのまま雑誌を読み続ける。が、止まない。大きく揺れる。床に膝をつきソファに掴まった姿勢で揺れが終わるのを待つ。人生で経験するいちばん大きな揺れ、長い時間。

 聞いていたJ-WAVEはすぐに特別番組に切り替わった。茨城で震度5強とあり実家の母にメール、返事がない。たまたま子守に自宅に来ていた義母にもメール、高層マンションなので心配。こちらも返信なし。電車が止まっているとの情報。妻にメール。

 待合室のテレビがビデオからニュースに切り替えられる。東京東部(墨田、江東)では火が上がっているらしい。津波警報も発令されている。

◆自宅のストック、帰宅経路

 水と食料品は? ストックを思い出す。

  • 水……まとめ買いで500ミリペットボトルが80本くらいある。ひとり2リットル/日、息子を入れた3人で10本/日とすると1週間強は飲み水は大丈夫。トイレの水は、風呂にはってある残り湯を使えばよい。
  • 米……封を切っていないのが10キロ分ある。うどんそばも十数袋ある。
  • 帰宅経路……家までのルートは以前から確認しているし、実際に歩いたこともあるので問題なし。ここから1時間弱といったところ。日没前には家につきたい。タクシーが捕まえられればタクシーで。

◆歩いて家路に

 診療を終えて外に出る。「電車が止まっているのでしばらく待合室にいていいですよ」とありがたい心遣い。「歩きますので。ありがとう」と答え外に出る。

 赤坂通りは普段より多い人、皆さん携帯片手に。車道も車、車、車の渋滞。タクシーを捕まえるという考えが甘かったことに気づく。

 外堀通り、新宿通りに靖国通りと歩く。普段は交差点を過ぎると人が少ないが、今はどの道も歩道は人であふれ、車道も渋滞。歩くほうが速い。適当に裏通りを通ったりして人を避ける。途中、一ツ木通りの「しろたえ」でケーキを購入。ここのはおいしい。この間携帯片手に連絡を試みる。妻、母、義母、弟とぐるぐる。メールすらなかなか送れない。通話はほぼ不能。auとドコモを使って。ドコモはまったくダメ。自宅近くになってようやくと母と通話が。「屋根が瓦が塀が……」と言っていたが、無事を確認できて胸をなで下ろす。

◆到着、あらためて自宅のストックを確認

 日没前には自宅に到着。動いているのは非常用エレベーターのみということで大混雑。階段も考えたが疲れているのでエレベーターで。家族が無事で一安心。意外なことに電気、水道も来ている。あらためてストックを確認する。水と米は前述のとおり。ガスボンベもガスコンロもあり。懐中電灯も付くし、手動充電可能なラジオ兼携帯充電器も使い方を確認。取りあえず大丈夫。単三電池のストックが不足していたがリモコンの電池を抜けばなんとかなるだろう。

 普段からの備えが役に立つかもしれない。憂いなし、とは言い過ぎだけど。あとは必要なものを必要なときに順次買い足していけばよい。

◆政治家にひとこと

 ぼくが言うのもなんだけど、でも市井の人としてひとこと。

  • 石原都知事の天罰発言

 この人らしい。が、言語道断。ならアナタには罪はなく、被災者にはあったのか? 高みから何を言っている。知識人気取りで口を挟むな。何よりも東京都知事としての役割を果たしてほしい、都として何ができるか。直接は言えないが少なくともぼくは都民として1票持っている。

  • 菅首相の東電本社で激怒

 混乱プロジェクトって、現場からの情報が入ってこなくなります。 そして誰も全体を把握できていない。把握するために連日報告会議2時間、とかとなって余計プロジェクトが遅延する。おそらく東電でも情報が錯綜しているのでしょう。さてどうする? 今回は未曽有の出来事、一刻の猶予も許されない。つまらない報告に余計な時間を取られるくらいなら、そんなんどうだっていいから現場を信頼して一任してやらせるしかないでしょう。「責任はおれが取る」と。頑張れ東電および関係者の方々。ぼくは信じている。そして国民としての1票を持っている。

 こんにちは、けいいちっくです。電気は復旧したが水道はまだな実家にすぐにでも行きたいところですが、今行くのは災害復旧のエネルギーを無駄に使ってしまうことになるので、我慢です。無事が分かっているから、現地が落ち着いてから。

 マスコミ関係者の皆様、連日の取材ご苦労様、と言いたいところだが、民報のテレビ番組で被災地の映像に「わざわざ」悲しげな音楽を付けて放送しているのを見た。開いた口が塞がらない。サイレントマジョリティではあるが、前述も含めそろそろ限界、言うべきことは言っておこう。

◆追記(3月23日)

 3月18日に、実家の母から市の水道が復旧したと連絡あり。しかし、翌日には水道管が割れていて使えないと。東北地方の太平洋沿岸の比ではないが、茨城もまだまだ。

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