天才を作るには「才能とはなにか」を理解するところから始めよう
世の中には、天才というものが存在するというのが通説になっています。
本当にそうなのかどうかは別として、天才の定義というのは
- 人がないことができる
- 努力をほとんどせずに結果が出せる
- 一般人には何を言っているか分からないことを言う
というイメージだと思います。
■これらを踏まえて考える
これらの特徴を抽象化すると、天才というのは、「何か努力や勉強するときの効率が圧倒的に良い人」、もしくは、「そういうことを実現できるロジックを脳の中に持っている人」といえると思います。
だから、努力しないで結果を出しているように見えるし、一般の人が持っていないロジックを持っているから、言っていることがそのロジックを持っていない人に話しても理解されないのだと思います。
■結果、スキル、努力の仕方を高校物理に例えると
高校の物理で最初に教わるのは力学であり、この中で
- 物体の位置
- 物体の速度
- 物体の加速度
という概念が出てきます。
物体の位置は、初期の位置と速度と時間で決まり、速度は、物体の初期の速度と加速度と時間で決まってきます。
位置というのが最上位の概念で、そこから速度、加速度というものが下位※の概念になり、上位の概念は、下位の概念と時間経過による結果になります。
※下位とは、具体的には時間微分されたものという風になります。
この関係を、結果、スキル、努力の仕方に例えてみます。
- 物体の位置(=結果)
- 物体の速度(スキル)
- 物体の加速度(努力の仕方)
■下位の概念ほど分かりにくい
これらの概念は、上位のものほど分かりやすく、下位に行けばいくほど分かりにくく、目に見えない、とらえようのないものになっていきます。
この特徴は、位置の関係でも、仕事での成果の出し方とも同じです。
そして、天才が持っている天賦の「才能」というものはとらえようのないもので、まだ、このレベルでは出てきていません。
■才能とは
ここまでの議論では、スキルは努力の仕方はの結果だと書きました。では、努力の仕方は何の結果なのでしょうか。
それこそが、才能の結果であり、ここに、才能という概念が登場するのだと思います。
才能とは、努力の効率です。
- 結果
- スキル
- 努力の仕方
- 才能
という風になると思います。
才能とは、努力の下位の概念なのでさらに分かりにくい概念になります。そして、その才能の下位の概念がないのかというと、存在すると思います。
そして、その概念の下も存在し、「才能」というレベルでもとらえるのが難しいですが、下に行けばいくほどどんどん捉えるのが難しくなっていきます。
しかし、下に行けばいくほど上位の概念をコントロールする力が増えるわけですから、下からボトムアップ形式で最終的には結果をコントロールする力が強くなっていきます。
高度な能力を身に付けることとは、いかにこのとらえどころがないものを習得していくかでしょう。
■最下位の最重要概念は「ウィル(意思)」
才能の下の概念は何かというのを文章で書き表すことはできません。それは、「暗黙知」といわれる、言葉では表現できない知識(正確には知恵)のことを指すと思います。
しかし、一番下に来る最重要な概念はウィル(意思)だと思います。
ウィルがあることによって、その上位の概念を実現しようと努力するうちに、物事を試行錯誤していく過程で問題を発見し、その問題を抽象化して理解していくうちに、
必要な結果→必要なスキル→必要な才能→……
というように、結果から逆算してどんどん上位から下位に掘り下げて行くのだと思います。
■天才を作るには
天才を作るのに最初に(そして最後に)必要なのはウィルです。頭の良さではありません。
- 結果を出すことに対して感情的にこだわれるレベルのモチベーション
- 問題が発生すれば、次の必要な概念を発見できると思い喜べる前向きな姿勢
- 諦めない心
これらがあり、それを継続できれば、人間は誰でも天才になれるのです。
■日本のお受験に肯定的な視点と疑問の両方を持とう
日本の社会は、「学歴社会ではない」といいつつも、なんだかんだいって、学歴社会なのだという暗黙のイメージがあります。
日本の受験などは、これらの概念でいうと、「スキル」に注目して、範囲を区切り、その下の概念の必要性をなるべく排除することによって、早く結果を出すことに特化した試験制度です。
この受験のメリットは、「一般教養」と呼ばれるスキルに関しては早くつけられるということです。
しかし、実社会でのスキルとして十分かと言われればそうではありません。
■受験偏向型エリートは「実社会で経験を積めば積むほど弱くなる」
スキルの下位の概念を身に着けなければ、それ以上スキルを伸ばせず、そこで頭打ちになってしまいます。
これは、非常に危険です。鋭い方は読んでいて気付いたかもしれませんが、この方法での勉強は、脳の暗記能力を鍛えられる一方、思考を停止させるという重大な副作用があり、この副作用は社会人としてスキルアップするのに大きなマイナス効果を与えます。
そして、受験勉強のときは、暗記すればすぐに結果にたどり着けたという経験がある副作用は、少し努力しても結果が出ないとあきらめてしまうという副作用もあり、いちど諦める心ができてしまうと経験を積めば積むほど、「諦めの心」が増長してしまいます。
これが思考停止の副作用とあいまってしまうと、さらに思考停止する領域がどんどん広くなっていってしまいます。
そして、実社会では仕事の結果が求められ、人の力を借りるのはよいことですが、自分の役割に必要なスキルを付けずに結果を出すことに執着してしまうと、この傾向にさらに拍車をかけます。
■天才を作るにはバランスが大事
かなり、受験勉強など一般的に「勉強」と呼ばれるスキルに対して否定的なことを書きましたが、それでも、筆者は子供時代の受験勉強は必要だと考えます。
問題は、その方法に執着しすぎることであって、「一般教養」は何をやるにしても必要なことですし、実際に役に立ちます。
逆に、子供のころ勉強をさぼっていたひとは、その「一般教養」が壁となり、目的を達成できない事態が発生すると、「こういうのは自分のテリトリーじゃない」とか言ったりして逃げますが、これはもう、「立派に心が折れている」と言えると思います。
受験エリートがうまく能力アップできない事例は、少数派の事なので共感を得にくく非常に目立つため、注目されるせいでそのようなことが起こっている頻度が高いという印象を持つかもしれません。
しかし、現実には、一般教養がなくて諦めているケースは目立たない上に、共感を得やすいので、うまく言葉尻でカバーされて隠れているだけで起きている頻度は桁が違うと思います。
やはり、そうすると、最後はウィルの力になります。それぞれの人は、それぞれの人生を今まで歩んできたわけで、メリットとデメリットの両方を持って社会に出ます。
そのデメリットを克服するのは誰にとっても大変なことですが、それを乗り越えてでも結果を出そうという執着が自分の意志として持てるかどうかで、結果を出すために必要な才能を身に着けられると思います。
天才を作るためには「スキルよりウィル」。その一言に尽きると思います。
コメント
バランスは一番難しいですね。いかに多くのことを気づけるかで、自分の思考の偏りに気づき、軌道修正をこまめにかけなくてはならないのですが、この気づくというのがとても難しいです。
ITエンジニアはコンピュータをツールとして利用方法を熟知して駆使しますが、そのまえに、自分の頭についている脳みそというコンピュータも駆使しなくてはいけないので、大変なお仕事です。
yt
僕は、元々の才能(脳の偏向性)以下の才能ですと、性格と才能の関係が時点で大きいと思っています。
例えば、傷つきやすさと感受性の関係
感受性の親とは実のところ心の傷つきやすさであり、元々あまり相対的に見てナイーブでない人が技術とセンスのみを高めるということにかなり疑問を持ちます。
ここで言う下位の概念(感覚)が、ナイーブさを通してしかまず体験されないんじゃないかと思うのです。
なのでこの場合、まずその人の性格がそれと合致するかの方が重要だと思いますし、天才どうこうはそのまだまだ先の話だと思いますし。
人間の意志というものは案外脆いもので、道(タオ)じゃないですが無為自然、苦労なく成り行きで成し遂げられることが実は一番力強いしそれこそが才の一旦と呼ぶにふさわしいと思います。意思を持ちすぎると物事があまりに思い通りにいかず、そのうちそれをすること事態が嫌になってしまいます。
それが自分の性格に合うか、また嫌いにならないように意思を操縦すること、が土台としてまず必須だなぁと僕は考えています。