言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

努力と我慢をまちがえてませんか?

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人は努力をすることで成長できますが、我慢をしても成長はできません。我慢って何なんだといわれると、人それぞれ意見が分かれます。確かに、努力をするプロセスでも耐え忍ぶプロセスが必ずあります。それを我慢と言えば言えなくもありません。私はそこを区別して、無計画に耐え忍ぶのが我慢だと考えています。理由の無い行動が結果に結びつかないのと同じで、理由のない忍耐も同様に結果に結びつかないと考えます。

根性論で問題なのは、何か耐え忍ぶことでエネルギーみたいなものが溜まって、一定量に達すると解決するみたいな考え方です。確かに、耐え忍ぶことでエネルギーみたいなものは溜まります。ただ、それをコントロールする術が無いのが根性論です。まだ、ITが普及していないような単純な時代であれば、溜まったエネルギーをぶちまけるだけでも、それなりに勢いで結果を出すことができたかもしれません。ただ、これだけいろいろなものが複雑になった現代では通用しない手段と言わざるをえません。

また、手段が尽きたときに我慢が手段にすげ変わることがあります。こうなると、思考が停止して我慢イコール問題解決のようなノリになります。ある意味、我慢というのは考えなくて済むので楽です。変化するリスクにさらされることはありません。我慢自体が楽なものではないので、「頑張っているんだ!」の証明にも使えたりします。我慢というのは、ある意味便利な手段です。実際に自分が労力という対価を払っているので、理論で覆すことも難しかったりします。ただ、その便利さに胡坐をかくと、どんどん思考が停止していくように思います。

努力と我慢の一番おおきな違いは、思考が存在するか否かです。努力をしている人は工夫をします。だから努力は結果に結びつくのです。裏を返すと、思考できない人は努力ができません。自分は努力しているつもりでも、実際は単なる我慢になってしまいます。辛いことを乗り切れば精神力は付きます。ただ、思考力は別に鍛えておかないと伸びません。精神力は大事ですが、無駄な我慢で精神力を消耗すると心身の健康を損ねやすくなります。そういう負担を軽減するためにも、考える力というのは非常に役にたちます。

一番結果が出るのは、精神力や思考力のバランスが取れている状態です。しっかり睡眠を取って、体力と気力が充実した状態でないと、良い思考をするには難しいです。問題が解決するためには、適切な手段が必要です。単に残業や徹夜で、時間を突っ込むだけでは何の問題も解決しません。効果的に休むことも、努力の一環だと考えます。あと必要なのは、衝動に駆られないことかと思います。強烈な衝動に駆られると、どうしても思考が抜けやすくなります。どちらにせよ、心が安定した状態でないと、効果の出る努力をするのは難しいのかもしれません。

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