言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

エンジニアとしての勉強

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何やら流行っているようなので便乗してみましょうか。ただし私は斜めから見た極論で書いてみようと思います。

どうも他の方のコラムを読むと、勉強とは「エンジニアとしてあり続けるための手段」という口調で語られているようです。私は別の視点で考えています。勉強とは、普通の人という枠を超えるための手段だと説きます。エンジニアであれ何であれ、最初は勉強をしないとついていけません。仕事とする以上、普通の人より何か優れた要素が必要です。それを身に着けるために勉強が必要ということです。他のコラムで語られている勉強は、この範囲の内容かと感じました。

私が興味があるのはその先の話です。だいたいの人は、仕事の要領がつかめたくらいで勉強をやめます。ウサギとカメの、まさしくウサギと同じです。こういう次元を飛び越えて、サラブレッドで走り続けるにはどうするればいいのか。そういう観点から勉強というのを見ています。ウサギかカメかの価値観でものを見ていては、サラブレッドとして走り続けることはできません。つまり、普通より先を目指すなら、普通という価値観を超えていかなければ辿り着けないということです。

普通の人は、おいしいご飯を食べてたり、素敵な異性と時を過ごしたり、ゲームやテレビを観たり、そういうことが充実した時間と考えます。人より頭一つ抜きんでたいと思うなら、その価値観を超える必要があります。まず、勉強してる時間を充実していると思えるようでなければ、長時間の勉強が継続できません。そういう状態でいくら頑張っても、出る結果の程度は知れたものです。大きな成果を得たけれれば、普通の人の価値観では限界があるかと思います。

食っていければいい程度の目的と、トップを狙うという目的と、求められるものは全然違います。それぞれの目的とレベルによって、何が適切なのか、基準が大きく変わります。駆け出しが仕事についていくための勉強のやり方では、自分でサービスを立ち上げて運用するレベルには通用しません。目指すものが高ければいいというものではありません。目的と自分のレベルを見定めた上で適切な手段をとらなければ、いくら勉強をしても成果なんて出ません。

現代の日本の教育では、知識さえ詰め込めば能力が伸びると勘違いしています。かなり原始的な発想なので、真に受けると大きな損失を被ります。また、すべての生徒に同じ内容を同じ速度で詰め込みます。勉強の目的について考えさせることもありません。私たちはこういう環境で育ってきたので、目的や状況によって手段を使い分ける習慣がありません。目指すレベルがどこであれ、自分が何を目指すのかははっきりしておきましょう。誰でも優れるというのは容易ではありません。ただ、レベルに合った手段を実行するのであれば誰でもできます。これが実践できれば着実な結果が得られるはずです。

Comment(1)

コメント

白栁隆司@エンジニアカウンセラー

極論とは言われていますが、仰るとおりだと感じます。


バス運転手でもなく、コンビニの店員でもなく、ITエンジニアとして仕事をしていくなら「何かを超越」する必要があるでしょう。


ただ、僕自身は、平凡な2.5流のエンジニアです。
ですから、ウサギの集団から頭一つ抜け出し、サラブレッドになっていく方法を知りません。
例え書いたとしても机上の空論、説得力がないでしょう。


なのでそういう内容は他の人に任せてます。
僕自身は「ウサギの集団の中で息切れして走ってる」人に対して、優しく寄り添いたい、そう考えて書いています。

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