根性の出しどころ
最近、根性というものが悪者になっているように思います。昔はみんな大好きでした。何かにつけて、根性、根性、と、日本は成長してきた筈です。とはいえ、仕事で根性はやりたくありません。一般的に語られる仕事での根性は、どちらかといえばただの無知です。
日本人の仕事のやり方や学校教育のせいで、根性のイメージはかなり悪くなりました。根性を語り、人に無茶を強いたり思考を放棄してしまうからでしょう。根性を力説する人たちが根性で結果を出せなければ、当然、その人達の言葉は信頼を失っていきます。その結果、根性の間違えた使い方が世の中に広く認知されたように思います。
根性という言葉を調べてみると、「その人の性質全般をつらぬく、根本的な(強い)性質。」という意味です。あまり悪いもののとは思えません。人それぞれ根本に強さを秘めている。そういう考え方ならもっと受け入れられてもよくないでしょうか。ただ、今の人たちが認識するそれとは多少の違いはあると思います。
根性を自分の強さを信じる考えてみてはどうでしょうか。これは充分に肯定できる考え方だと思います。自分に強さが無いと思うなら、自分の強さを探せばいいです。自分が強いと信じている人は、その確信を武器に困難に立ち向かって欲しい。どちらにも言えるのは、根性は人に求めるものではなく、自分の中に培うものということです。
自分の強さとは何でしょうか。仕事で根性を語る人は弱い訳ではありません。強かったのは欲望だったのでしょう。教育で根性を語る人も同様です。強かったのは自分のエゴだったのでしょう。根性の間違えた使い方はよく理解できていると思います。しかし、正しい意味で活用できれば、きっと素晴らしい考え方になるように思えます。