自分流を人に押し付けていませんか?
眼下に広がる白銀の世界。山の頂上まで20分、降りるのに5分。一瞬のスピードを味わうために僕は山に登るのである。
一時のブームが沈静化したのか、今シーズンのゲレンデはガラガラなのである。リフト待ちがない分、思う存分スノーボードを楽しめるのである。
このコラムを読んでいる方は思うのだろう。
「奥さんとスノボ?」
答えはノーだ。
スノボは、ある決まったメンバーとしかいかないのだ。別に奥さんがウィンタースポーツが苦手というわけではない。付き合っていたころには、よく一緒に行っていたのだ。
しかし、今は僕とスノボに行くことは決してないのである。というか、スノボ自体を嫌いになってしまったようだ。
■井の中の自分流■
気付かないうちに、自分流でものを考えていることはないだろうか?
「自分ならばこうする」
「こうやればうまくいく」
「このくらいの期間でできる」
自分に自信をもち、なんでもうまくこなしてきた人ほど考えることではないだろうか。
ちょうど入社3年目の僕はそうだった。
入社以来、ある組み込みシステムを担当しており、そのシステムに関してはけっこう自信を持っていた。
大きな失敗もなく、スムーズに開発作業をこなしながら、ある意味、天狗になっていたのだろう。入社したての新人が下に付いたときには、偉そうに「システムとは……」などと説教を繰り返していたのだ。
そんなある日、あるプロジェクトでリーダーとなり、新人と助っ人として組み込みシステムの経験がない8年目の先輩がアサインされたのだった。先輩には気を使いながらプロジェクトを進めていたが、未経験ということで新人と同じように事細かに説明し、自分の流儀を押しつけていた。そして、そのことで衝突してしまったのだ。
お互い今までの経験をベースに一歩もゆずらず、間に挟まれる形の新人は苦労したと思う。いま思えば、僕は自分のやり方がすべてだと考え、ほかの考え方をまったく受け付けず、自分流を他人に押し付けていたのだ。
チームで仕事をする限り、決まったルールというのは必要だろう。ただ、そのルールの粒度をどこまで細かくするのか。個人の裁量で自由にやらせる部分も必要なのだろう。
僕は自分が細かく指示されるのは嫌なくせに、人には細かく指図し、自分流を押し付けるとても嫌なリーダーとなっていたのだ。
■気付けば1人……■
奥さんがスノボに行かない原因は僕にある。
生来の貧乏性からか、せっかく雪山に来たからには思いっきり滑らないともったいないと思ってしまうのだ。
金曜日の仕事終わりに関越自動車道を飛ばし、朝方雪山に到着。少し仮眠をとると、朝一番にすべり始める。そして、それは夕方まで続くのだ。休憩らしい休憩は昼だけ。あとはひたすらすべり続けるのである。
初めて一緒にスノボへ行く人には「まるで部活だ!」と言われたこともあった。
スノボも仕事も自分流。ついてこれない人は放置する。そんな時代もあったのだ。当時、よく一緒にスノボに行っていたのは、同じくハードなすべりを好む人に限定されていたのだ。
いまは相手に合わせるということを学習し、初心者にも優しく指導できるようになった。ただ、スパルタのイメージがある人は、2度と僕と一緒にスノボに行くことはないのである。
時には自分流を貫くことも大事かもしれない。ただ、自分流を貫き続け、気付けば1人になっていた、なんてことにならないよう注意が必要なのである。
続く