53歳のハローワーク
わたしがプログラマとして社会人デビューした時は昭和だったんですが、すぐに平成になり、その平成も終わってしまい、令和の世になりました。
世の中はいろいろと変わっていきますが、わたしはずっとプログラマです。
そんなこんなで気づけば54歳になりました。
平成が令和に切り替わった昨年は、6年ほどお世話になった職場を離れました。
フリーランスの人間が6年も同じところにいるって、ちょっと居座り過ぎでしょ! って感じです。
実際、あっちこっちで「えっ? 6年も?」って言われたし......。
でも、1ヶ月単位で契約を伸ばし続けてたら、6年も経っちゃってたんだからしょうがない。
わたしにとっては毎度のことですが、職場を離れた時点で次の仕事の当てが皆無でした(←良い子は真似しちゃいけません!)。
とりあえず、いろんなエージェントさんに登録して、いろいろな案件をご紹介いただいたんですが、振られまくりました。
ちゃんとカウントしてないですけど、多分、100社以上に振られました。9割強が書類審査落ちだったので、そんなにたくさんの会社さんとお話ししたわけじゃないですけど。
「言語はなんでもいいです。業界もなんでもいいです。設計も任せていただけるのならやります。ただし、実装メインでお願いします!」という条件を出したんですが、50過ぎだけどマネジメントはやりたくないって時点ですでに敬遠材料っぽいですし、そのうえ「実装メイン」ってのがアウトなんでしょうね。何度か「設計メインじゃダメですか?」と言われました。
そんな感じで、6年も居座ってた職場から離れてさびしくなってたうえに、振られまくって、さすがに心が折れかけて、「どうせ50過ぎのプログラマなんてどこにも需要なんかないんだよ」と打ちひしがれてしまいました。
時間だけは余っているので、いろいろグルグルと考えこんでいたら、ある時、唐突に「こういうの久しぶりだな」って思いました。
ここ数年のわたしがグルグルと考え込むことなんて、コードのことぐらいしかなくって、だからこうやってコード以外のことを考え込む時間があってもいいんじゃない? って。
だいたい、よく考えてみると、6年前はエージェントさんに門前払いくらい続けて、見かねた知人が仲介してくれて、コネで仕事をゲットするという事態になったんですよ。
でも、今回はちゃんと仕事を紹介してもらえてる!(←まあ、門前払いくらったエージェントさんもありましたけど)
つまり、仕事がとれる可能性はあると思ってくれてる!
わたしは6歳、年をとったのに、状況はよくなってる!
と、なんだかふっ切れたので、とりあえず3ヶ月間は条件を変えずに粘ろうと決めました。
それだけがんばっても仕事が決まらないのなら、路線変更も視野に入れて改めて戦略を練り直すけど、それまでは自分の希望を押し通してみよう、と。
商談のため、様々な会社さんにうかがいました。
フリーランスの場合、「面接」じゃなく「商談」って称するんですね、そんなことも知りませんでした。
まあ、自分が事業主なわけだから「商談」が適切なんでしょうね。
実際、「こういう仕事はやってもらえるんでしょうか?」「それは大丈夫です。でもどのレベルまで期待していらっしゃるのか、ちょっと確認させてもらってよいですか?」的な話もしてたので、「面接」とはちょっと違うと思います。
商談のたびに、「こういうシステムはこういう技術の組み合わせでつくってるのか」「この会社さんがあれをつくってたのか」と、新情報が飛び出してきて、とてもおもしろかったです。
あと、募集要項を読んで想像した内容と、実際にお話しをうかがってわかった内容が、かけ離れていることが多くて、びっくりしました。
諸事情により外に出せない情報があるので、そこを避けた結果、実際とのズレが出てしまったのか、わたしがベテランのわりに業界に疎いので、解釈を間違えているのかはよくわかりませんが。
そんな感じで、お断りされたりお断りしたりを繰り返す無職の日々を過ごしているうちに、なんだかだんだん楽しくなってきました。
目が覚めたから起きて、アニメを観て、買い物に出かけて料理をして食事をして、マンガを読んで、近所を散歩して、小説を読んで、ゆっくりお風呂に入って、ネットを眺めたり案件チェックをして、眠る、という生活が、めっちゃ楽しいんですよ。
商談に出かけた先ではじめての街を散歩したり、平日のすいてる美術館をふらふらするのもとても楽しかったです。
あまりにも楽しいので、「わたしは職を失っているのではない! 休みを得ているのだ!」と妙なテンションになったんですが、やっぱりいつまでも無職はマズいです。主に経済的な問題で。
でも、仕事をやってるとなかなか長期間のお休みはとれないので、せっかくだからこの自由な日々を楽しもう! と考えていたら、仕事が決まってしまいました。
このような顛末でわたしの無職期間は2ヶ月で終わりました。
今の契約がいつまで続くかはわからないですけど、とりあえず最初の条件を押し通すことができたのでよかったです。
収入ゼロの期間を経済的に支えてくれた、貯金をしてた過去の自分に感謝しました。
あと、C++で仕事をゲットできたので、初めてのオブジェクト指向言語に大混乱しながらもちゃんと習得した過去の自分にも感謝しました。
あいもかわらず、『週刊少年ジャンプ』と自画自賛を心の支えに生きています。
これからもこんな感じでプログラマとニートを行ったり来たりするのかもしれませんし、案外、どこかに定着するのかもしれません。
なんでこんな不安定な道を進んじゃってるかなあ、って思うこともあるんですけど、「好きなことには全力でしがみつきたい」と「嫌なことからは全力で逃げたい」という二大指針を守り続けてきた結果なので、しょうがないです。
そんなこんなで、まだプログラマやってます。
おもしろいお仕事ください!(←ダイレクトマーケティング)
コメント
真っ赤なレモン
自分で選択をすること。
その選択を変えないように踏ん張ること。
素敵です。
お誕生日おめでとうございます。
仲澤@失業者
Javaなどから来るとインスタンスの寿命管理ができて、
生殺与奪のやりほうだいを楽しめると思います(マジC++神?)。
加えて、最近(C++11以降だったかな)ではメンバ変数を宣言と同時に初期化しても怒られませんし、
コンストラクタから別のコンストラクタも呼べちゃったりします(便利でよね)。
戻り値の型がわかんないときや決まってない時はautoで受けて桶。
typedefよりusingでエイリアスが作れるので惚れます。
関数のdefault delete override finalをヒャッホーと叫びながらがんがん書きましょう。
もちろん範囲指定for()で省タイプ。
当然「lambda expression」が使えます。えと、ランバダ(古っ)最高ぢゃないっす。
と、言う事で、
自由で、でんじやらすなC++の世界へようこそ、てか、おかえりなさいかな。
hayate
いつも拝見しております。
客先常駐SEの職業病にかかり、SIerから今は離れておりますが、
社内システムを提案して構築しております。
今の職場は基本定時帰りです。
周りに開発の知識がある方がいないので、簡単に「できるだろ?」って思われているようで、少し腹が立つときがあります。
同世代
技術は当たり前なのです。
先読みの力と引き出しの数が問われます。
自分のイメージを言葉にできない普通の人にあーそういうことですーって言わせる年齢なのです。
さとし
私もキャリア20年のプログラマで、メインはずぅ~とC++。
会社員ですが、制御系や3D系、画像処理をしてます。
プログラマのキャリアパスって、実装から離れる事になる場合が、多いですけど大好きな実装から離れるなんてイヤですよね。
最後まで足掻いていこうと思ってます。
とおりすがりのフリーランス
全く同じこと今自分も経験してます。
「書いてあることといってることが違う~! 」は本当にそうですね。
でもそういう経験はみんなあまりこういうwebメディアに書いてない気がします。
ご共有していただいてありがとうございました。
勇気をもらいました!