技と名がつくと深入りしてしまうスキルマニアのエンジニア

ぶん。ぶん。ぶん。

»

 「書くという行為は筋肉と同じ」

 病気でしばらく寝込んでいたりすると、身体がなまってイメージどおりに動かせないときがある。同じように、モノを書くことも、しばらく休んでいると書けなくなってしまうことがある。

 3日ほど、体調が悪くなって寝込んでしまった。元気な身体に戻ってもなんとなく、書きたいという気持ちがなくなっていた。1週間ほどたった頃だろうか、久しぶりに書きたい衝動が湧きあがってくる。

■ふりかえる

 「さあ、書くぞ」

 人によって書く手順、書き方はいろいろあるだろう。わたしの場合は、まずテーマを決めることから始まる。何を書くかが決まればマインドマップを作る。A4サイズのコピー用紙の真ん中にテーマを置いて、おもむくままにキーワードを広げたり、フレームワーク的に分解したり、関連するキーワードを書き連ねてみたり。話を広げて構想を練る。自分さえ読めたらいいので殴り書きでじゅうぶんだ。

 真っ白な紙があらかた埋まるまで繰り返す。それから、文章のアウトラインとなるものを抽出して章立てを作る。全体から部分へ。マインドマップを見ながら、すこしづつディテールを加えて細分化していく。実際に文章化する内容は、マインドマップの半分ぐらいしか使わない。

 あとは、誤字脱字をチェックしたり、文章を足したり引いたり、納得がいくまで繰り返し。と、こんな感じだ。

■挫折する

 ところが、である。書けないのだ。ネタとなるマインドマップはそんなに迷うことはなかった。言葉はポンポンとでてくる。そこから文章が作れないのだ。

 少し書き始めると、おかしな方向に論がすすむ。書いては迷い、書いては消す。と、まったくすすまない。どうしたことだろうか。文章が組み立てられない。

■分析する

 こういう感覚は何度か味わったことがある。

 たいていの楽器はある程度のレベルに達するまでに、「毎日欠かさず」練習することを必要とする。少しサボると、先週できていた曲が、今日は弾けなくなっている。1日休めば、2日遅れるとはよくいわれることだ。

 まったく同じことが起きている。「書く」スキルが落ちているのだ。わたしの「書く」スキルはまだ初心者レベルである。何もしないからといって現状維持ができるわけではない。最低限のメンテナンスコストは必要だ。

■次に何をする?

 書きたいのに書くスキルがない。現状はわかった。さあ、どうする?

 「書くことをやめる」というのもひとつの解である。しかし、書きたいという衝動があるうちは論外だ。

 「がんばって書く」――根性論は嫌いだ。

 精神論を唱えるヒマがあれば行動するのが、わたしの流儀。いまの状態でできることを考えるのだ。具体的な何かを実行するための知恵と工夫こそ求める道だ。

■初心、忘れるべからず

 スキルが足りていないときは基本に立ち返るのもいいのかもしれない。文章を書くために何をやってきたのだろうか。

 「自動書記」というメソッドがある。

 心に浮かんだ言葉を何も考えずに書く。書いたら文章は編集しない。

 なんとシンプルなルールであろうか。書くのは紙と鉛筆でも、原稿用紙に万年筆でもなんでもいい。もちろんテキストエディタでも。3日もこれを続けてみる。すると、それなりの文章が、それなりに書けるようになるのだ。結城浩のサイトでも、たまにみかけるテクニックだ。

 いま、文章が書けないということをひたすら書く。何もテーマを決めずに書くという行動をひたすら続ける。試しに書いてみると。

 つれづれなるまま。気の向くまま。おもむくまま。文章を書いている。書けない。文章を書けないというテーマで文章を書いている。なんという矛盾。書いているじゃないか。そういえば、自動書記をやるのもひさしぶりだ。ながらくやっていない。こうゆう基本をおろそかに、しているから、文章が書けないなんて事態が発生するのだ。まったく、ふだんからちゃんとやっておかないといけないね。まだまだレベル低いのに、文豪気取りで気分の乗っているときにしか書かないなんて100年はやいわ。そういえば、頭のフレーズは自動書記をやるときにお約束のように書いている。結城さんのサイトに乗ってあったのだっけ? とりあえず、この3つの文を書くとそれなりに、スイッチが入るみたいだ。デタラメに書いてることにはかわりないが、なんとなく文章っぽいものになっている。書くという行為に集中しているだけ。何も考えていない。ということも書いてみる。頭のなかが真っ白になっていいれば、まっしろになっていることも書く。改行すらいれない。と、こんな感じでエンエンと、構成も考えずダラダラと書く。文章がクドいとかそんなの一切かんがえない。書くという行動があればよい

と、こんな感じだ。

 これなら何も考えなくても書ける。いま、こうやって書いているのも、そのやり方に近い。多少の整形はしているものの、心に浮かんだことをそのまま書いている。いつものマインドマップは封印中である。

■まだ試していなかったこと

 「文章の書き方」に関する本はたくさん読んだ。ひとつ、試してみたいことがあった。「文章模写」というメソッドである。こちらも簡単。お気に入りの小説をひっぱりだして、書き出す。これも何も考えなくていい。いわゆる「写経」というやつだ。絵を描くために他人の絵を模写するのと同じである。

 テキストエディタを使うよりは、紙に鉛筆で書き出したほうがいいらしい。ここは素直にしたがおう。書き写す経典は何がいいだろう。昔、読んだふるいSFを取り出した。

 なるほど。読むよりも捉えられる情報量が圧倒的に多い。これを読んだころはまだ、速読も知らなかった時代である。それが、こんなにも読み飛ばしていたのかと驚く。時間がかかりすぎるが、これもひとつの読書法なのかもしれない。新しい発見だ。

 読めるだけで書けない漢字があるのがつらい。どうしても漢字を書くことに注意がいく。それは適当に開いてひらがななり、カタカナで対応すればよさそうだ。漢字という「部分」にとらわれるよりも文章の単位で「流れ」を感じたい。しばらく、やり続けてみようと決める。

■誰にでもできる

 自動書記と文章模写。どちらも何を書くかという頭を使う行為ではなく、「書くこと」そのものに注目しているのがポイントである。難しいことを考える必要はない。行動するかしないかのところまで落としこめる。

 文才という言葉があるように、モノ書きというのはある種の才能のように思われている。実はそうではない。ひとつひとつは、分解可能な要素だ。「書くこと」もまた、ひとつの構成要素にすぎない。そのスキルを高める方法は確立されている。正しい努力をすれば、誰にだって文章は書けるのだ。

 どこか遠くからレベルアップを告げるアラート音が鳴り響く……。

【本日のスキル】

  • コラムニストスキル:レベル19
  • 求道スキル:レベル5
  • 自動処理スキル:レベル2
  • メンテナンススキル:レベル2
  • 自己紹介スキル:レベル0
Comment(0)

コメント

コメントを投稿する