Androidの戦略(1)~ガラパゴスで生き残る日本の携帯
■ガラパゴスで生き残る日本の携帯
ガラパゴスケータイ……いわゆるガラケー。
初めてこの言葉を聞いた時、筆者は何のことなのかまったく分からなかった。
調べてみると、ガラパゴス諸島で手付かずの状態で、独自の進化を遂げた動物になぞらえて揶揄された「日本国内で独自の進化を遂げた携帯電話(ガラパゴスケータイ)」を示す言葉と知って「あ~、他人の前でヘタに知ったかぶりをしなくて良かった」と思ったものだ。
最近では広く一般的にも知られるようになったこの言葉、進化の過程はガラケーではあるが、筆者の場合はこれがないと通勤にすら困るほど、利用頻度が高い。
電車やバスなどの公共交通機関に乗る時の定期、コンビニなどの支払いにお財布ケータイ、音楽を聴きたくなったらBluetoothイヤホンで携帯電話にロードした音楽を聴く、などなど頻繁に利用している。
こんなに便利なのに、なぜガラパゴス携帯なのか?
これは、日本の移動体通信産業が、それほど大きくもなく小さくもない、中途半端なマーケット規模であることが1つ。また欧米とは違った日本人特有とも言える考え方の違いによって、世界規模のイニシアティブを取れないのではないかと考えている。
過去にさかのぼると、高度経済成長時代にさまざまな工業製品をつくり出し「モノ作り国家日本」と言われた時代もあったが、しばらくの間は欧米の作り出すそれのクオリティには、はるか及ばない時代が続いた。ジャパンクオリティが欧米で認められ、その品質が欧米諸国で広く認知されるようになったのは、ここ数十年余りのコトである。
余談ではあるが、ジャパンアクションクラブ(現ジャパンアクションエンタープライズ)を立ち上げた千葉真一は、かつて日本人俳優として海外デビューする際、そのアクションが「ブルース・リー以上だ」と評価され「サニー千葉(JJ Sonny Chiba)」という名前でデビューしたという逸話がある。
ソニーのジャパンクオリティが欧米諸国に広く認められたため、欧米人が一番よく知っている日本企業の名前を付けたという都市伝説があることは有名である(現ソニーのロゴはSONY)。
■通信デバイスの登場
今の若い人たちはいわゆる「黒電話」と呼ばれる、何の洒落っ気もない、無機質なプラスチック製の黒い塊をご存じだろうか?
今ではまったくと言って良いほど見かけなくなったこの黒電話、言葉を変えれば「アンティークで味わいのある」この通信デバイスをあえてインテリアの一部として使っている奇特な人もいるのではないだろうか。
ガラケーどころか携帯電話という言葉もなかった頃、黒電話という通信デバイスは離れた場所にいる者同士の距離と時間を一瞬にして縮める文明の利器として、非常に重宝された。
が、その一方で個人が手軽に導入できるような通信デバイスではなく、その姿は昭和の家庭の玄関先でよく見かけた、木製の重厚なデザインの台の上で白いレースのカバーを掛けられ、実用品とも家具の一部とも言えるような扱いを受けながら、うやうやしく鎮座している代物でもあった。
これも余談であるが、子供の頃(今から40年近く前)は筆者の家にも電話はなく、近所の家に借りに行った覚えがある……まぁこれはウチが貧乏だったからかもしれない。
とは言うものの、今では固定電話を引く人も少なくなった。当時は電話加入権(現在の施設設置負担金)という名の高い権利金を日本電信電話公社(現NTT)に支払って導入しなければならず、その権利の売り買いも頻繁に行われていたものである。
ちなみに、筆者が初めて固定電話を敷設した時の負担金は、7万円程度だったと思う。
一般家庭への普及と共に、町では「公衆電話」の設置も進み、電話という通信デバイスが生活や仕事の中で重要なポジションを占めていく。
だが、それに音声や図形(FAX)を伝えるという目的以外、長らくは存在しなかったのである。
携帯電話の普及した今では、親にジャマされることなく、自由に、いつでも、しかも親の前では発した事のないような甘い声で愛のささやきができるようになった恋人たちだが、黒電話の頃にはそうはいかなかった。
彼女や彼氏に「おやすみ」の甘い一言を言おうとした瞬間に回線が切れ、むなしく「もしもし、もしもし」と問いかける受話器のコードを辿っていくとソコには鬼の形相をした親が「何時間喋れば気が済むんだ」と言わんばかりに電話機のフックを押している……。そんな切なくつらい経験が、「一家に1台」の環境から「1人に1台」への環境へと携帯電話の普及を促すこととなる。
かつて、家庭に1台あれば良かったステレオオーディオコンポが小さくなり、音楽を外に持ち出すようになったウォークマンのように。