いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

タブレット割ってしまい、いたたまれずにコラム書いた。

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がっかり感を噛みしめろ

 「噛みしめろ」なんて言ってみたが、本当は今、私ががっかり感を噛みしめている。一ヶ月前に買ったWindowsのタブレットを落として割ってしまった。Serfaceタイプのタブレットで、サイズ、汎用性など、自分にマッチしていた。非常に気に入っていたので、かなり落胆している。

 駅のベンチに腰掛けてタブレットを使っていたのだが、ちょっと手を滑らせて落としてしまった。落としどころが悪かったのか、見事に画面が割れてしまった。某、書評を頼まれていて、これからがっつり作業しようかと思っていた矢先の出来事だった。画面の割れたタブレットで書評なんて書けないので、そのまま家に直帰した。

 大事なバックアップを消してしまったり、思わぬ設計漏れであわや大惨事なんて経験のある方もおられるだろう。IT系の仕事に限らず、人として生きている以上、必ずがっかり感に苛まれる場面に出くわす。叩かれたりする訳ではないので、身体に痛みはないが、精神的にはボディーブロウのようにえぐられる。

 覆水盆に返らずとは言うが、覆水なんで盆に返らねーんだよ!と思うのが人というものだ。思わぬトラブルに対して、そうそう簡単に切り替えられるものでもない。収まらぬ思いをゴミ箱にぶつけて蹴っ飛ばすとか、ふて寝するとか、どうにもならない思いのやり場に困るのが普通だ。収まらぬがっかり感を噛みしめるしかない。そんなことで、がっかり感をしっかりと噛みしめているところだ。

だが落ち込んでいる暇など無い

 がっかり感に苛まれると、感情でゆれてうまく思考が働かない。冷静な判断が難しくなる。同時に、被った不利益をどうやって取り返すかという課題が突きつけられる。こういうしんどい状況に限って課題が突きつけられるので、本当に勘弁して欲しい。精神的に弱いと、簡単に負のスパイラルに巻き込まれてしまう。

 ピンチがチャンスだ!なんて自己啓発の本によく書いてあるが、日ごろから訓練してないと冷静さなんて保てないし。発想を切り替えるにしても、発想の選択肢が無ければ切り替えようがない。普段から何等か準備をしていないと、ピンチはピンチでしかない。うまく切り抜けたとしても、何か得るかどうかは、それぞれの行動次第だ。

 現実とは厳しいもので、こういう時はしんどくても考えるしかない。天からタブレットが降ってくればなどと、普段では考えないようなバカな発想まで浮かんでくる。それほどまでに冷静ではないのだろう。ピンチの時に考えている発想をメモしておけば、ギャグを考える時に困らずに済むだろう。ピンチを多く乗り越えた人の会話がウィットに富んでいるのはそのためだろうか。

 ちなみに、今回タブレットを割る前に、ノートパソコンが一台壊れている。そこで、ノートパソコンの使い方に疑問を持って、新しい視点から考えてタブレットを買った。がっかり感を超えて新しい視点でものを見た途端、今回のトラブルだ。ついでに先日、Macの再インストールをしたらリカバリ領域が壊れていて再インストールができなかったところだ。とりあえず、落ち込むよりもこの状況を打開するのが先だ。

私の出した結論

 今回のトラブルで、PCの使い方のコンセプトを見直すに至った。自分自身インフラエンジニアをやっているので、一台のPCにいろいろな機能を追加している。使っているOSも、Windows、Mac、デスクトップ用Linux,サーバ検証用Linuxと、アホみたいに多い。デュアルブートが当たり前で、仮想環境も含めると、一台で四つのOSが使えるのは当たり前だ。

 そりゃ、復旧に時間がかかるのは当たり前だ。今回の一連のトラブルを通じて、デュアルブートを止めることにした。あとは、そうそう使いこなせてもいないVisual Studioをインストールするのを止めることにした。それぞれの環境に万能を求め過ぎていたので、自分のスキルに合ったソフトを再検討することになった。

 こういった見直しの結果、今までに無いほどに環境がシンプルになった。あれもこれもと欲張っていた箇所を省いた。おかげで、環境の再構築にかかる時間を大幅に短縮できるようになった。最大の利益は、自分の思考パターンの無駄を多く省くことができたことだろう。どのソフトを使うかではなく、ソフトを使って何をやるかという思考に大きくシフトできた。

 トラブルがおきたからといって、そこで悶々としても意味がない。あとは、落ち着いて修理にかかる費用を見積もって修理に出すだけだ。状況を変えるより、状況に適応することを最終的に考えた。嘆くより、現状を打開する方法を考えた方が被害が少なくて済む。ただ、こういう機会でもないと考えられないことも多くあるのだと気づいた。

トラブルを起こさないより乗り越える

 トラブルなんて、避けようと思って避けられるものではない。某大きな企業で働いていた時、「セキュリティー事故をゼロにしよう!」というスローガンが掲げられていた。今思うと無謀だなと思う。対策を立てて起こさないように備えるのは有意義だが、ゼロにするのは無理だ。現にそういうセキュリティー事故は定期的に発生していた。発生件数をグラフにして、「あーあ、やっちゃった。けしかん!」と毎月プンプンしていたのを覚えている。

 人として生きている以上、必ずトラブルには遭遇する。起きてしまうのは好ましくないが、悔やむことに利益は無い。トラブルに対する抵抗力は普段から鍛えて起きたいと思う。トラブルに弱い人より、適切に対応できる人でありたいと思う。もちろん、避けられるトラブルは適切に避けるべきだ。

 今回、実際にトラブルを起こして精神的に打撃が大きかった。思っていたより動揺した。どのくらい動揺したかというと、しばらくの期間、コラムをアップするのを忘れるくらいのものだ。ただ、トラブルを起こしてプンプン怒って終わりか、巻き返して何かを得るかは、その後の行動にかかっている。そういう意味で、トラブルを起こしたら損失が生じて終了ではない。一つの損失から対応というタスクがスタートする。

 現代人というのは、何かとプランを立てるのが大好きだ。しかし現実は、もっと大きな流れの中で揺れ動いている。プランを立てて、着実に実行すれば成功できるのは、時代の流れが緩やかな時の話だ。これからの時代は何が起こるか分からない。必要なのは、平常心と発想力になっているのではないだろうか。コラムを一本書いて、言いたいことは言えたので、遅くはなったがこれから書評でも書くとするか。

Comment(1)

コメント

ksiroi

m9案件?
お金で解決できるならばまだ救われると思う今日この頃…

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