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【小説 愛しのマリナ】第十一話 もしも、奥さんがエンジニアだったら

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 もともと、慶太の妻である響子は、勝ち気で男勝りのところがあった。
 デートの場所も、結婚式場も、住む家も、慶太の意見を訊かず、全部自分で決めてしまった。
 慶太は、なんでも決めてくれる響子と一緒に居て始めは楽だったが、次第に自分の意見が通らないことが分かってくると、居心地の悪さを感じるようになってきていた。
 最近では、響子の職場復帰問題で、仲が少しこじれてきているのも、悩みの種だった。

 そこに来て、優しく慶太の言葉に相槌を打ち慶太側に寄り添う、上田真里菜という存在は、救いの女神のように思えた。
 だが、妻子持ちの慶太にとっては、触れてはいけない禁断の果実であったのは確かである。
 しかし、人間は、ダメと禁止されるものに、心惹かれるものだった。


 雪がだんだん激しくなってきた。
 慶太は寒さに耐えるために、コートのポケットに手を突っ込み足踏みしながら電車を待っていた。
 雪国育ちの真里菜は別に寒さなど気にならないようだ。
 星空をじっと見ている。
 白い肌が雪の白さに反射して、更に白く見える。
 慶太は白磁のような真里菜の横顔をに見とれていた。

「XX行き電車は、XX駅の信号機トラブルのため三十分ほど遅れています」

 電車が遅れるというアナウンスを聞いた二人は顔を見合わせた。

「電車遅れるって。この寒い中、三十分も待てないね」

 白い息を吐きながら真里菜が言う。

「そうですね。どうしましょうか?」
「ちょっと飲みに行く?」

 真里菜の方から提案させたみたいで、慶太はちょっと悪いなと思う気もした。

「そうですね。このまま外に居たら風邪ひきそうだし」

 --外に居たら風邪をひく。

 これは仕方ないんだということにしておいて自分を正当化した。

 (希優羅、だめな父ちゃんでごめんな)

 心の中で愛娘に謝罪しながらも慶太は浮かれた足取りで、真里菜と飲みに行くことにした。


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 駅ビルの二階にある居酒屋は、十二月の忘年会シーズンと言うこともあるのか客でごった返していた。
 慶太は自分たちと同じような、電車待ちの客もいるかもしれない、と思った。

「カウンターしか空いてないんですよぉ、いいですかぁ?」

 申し訳なさそうに言う店員の誘導で、二人はカウンター席に並んで座り飲むことにした。
 目の前には海の幸がガラスケースに入れてられている。

「わー、タコとかイカ食べていい?」
「いいですよ。魚介類が好きなんですか?」
「うん、海鮮系は大好きだね。慶太君は?」

 真里菜はまだ酔っても無いのに、名前で慶太のことを呼ぶようになっていた。

「僕も好きですよ。カニとか高いけど一番好きですね」
「じゃあ、カニ頼んじゃおうよ!私のおごりでいいから」
「いいんですか?」
「いいよ。今日は君の慰労会だから」

 響子は自分の食べたいものを頼み慶太がそれに合わせることが多かった。
 反対に真里菜はちゃんと慶太の食べたいメニューを訊いてくれた。

「あ、注文いいですかー?」

 お通しを持ってきた店員に、真里菜は生ビールを二杯とボイルズワイガニの足二本を頼んだ。
 店内は次々客が入ってきている。
 二分ほどでビールが来た。

「カンパーイ」

 取っ手部分まで冷えたジョッキがぶつかり合って「ゴキン!」と音を立てた。
 慶太は喉にキンキンに冷えたビールを一気に流し込んだ。
 思わず「このために生きてるんだなあ」と、陳腐な文句を言ってしまった。
 それを聞いた真里菜は「ベタだね」と言って笑った。

「そういえば、森本のやつ服に墨みたいな染みつけて来ることがあるんですよ。見たことありますか?」
「あ~、たまにそういうことがあった。注意したことがあるけど何でだろうね」

(そうか、真里菜も知らないのか)

 慶太はそう思った。
 とりとめのない会話をしながら二人は、カニを食べ刺身をつつき、ビールを飲んだ。
 二人は二年前、同じプロジェクトで仕事をしていた。
 その時、同じ会社と言うこともあるが、どちらから誘うともなく毎日一緒にランチに行っていた。
 二人はどんな話でもピッタリと呼吸が合い、ウマが合うとはこういうことかと慶太は思った。
 その頃と同じようなとりとめのない会話だったが、今でも、会話の端々までピッタリと合い、慶太は酔いも手伝って心地よい気分になっていた。
 それは、楽しそうに笑う真里菜としても、同じことだったのかもしれない。

「奥さんとうまくいってる?」

 唐突に真里菜が訊いてきた。

「う......うん、まあまあ、です」

 慶太は自分でもわざとらしいと思うほどに、歯切れの悪い返事をした。

「慶太君は優しいから、奥さんが羨ましいなあ」
「そんなことないですよ、いつも家事、育児を任せきりで......休みの日しか子供と、まともに遊べてないです。妻には悪いなって思っています」
「そう思ってるだけで、優しいよ。仕方ないよ私たちの仕事は忙しいのが普通なんだから」
「そう言ってるんですけどね。なかなか妻もストレスが溜まってるから、それで分かってくれないところがあって」
「エンジニアの奥さんだったら分かってくれたかもね」
「はは......分かってくれるかもしれないけど、二人揃って深夜残業ですれ違いの日々が続きそうですね」

 慶太はそう冗談を言っては見たが、真里菜とのそういった生活を夢想せずにはいられなかった。

 僕はプログラマもいいけど、いつかは、お客さんと直に話したり、設計もしたいと思ってるんだ。
 そして、将来、リーダーからPMになって、現場を働きやすくしたいんだ。
 今みたいに、行った先で自分の置かれる状況が変わるのが嫌だっていうのもあるけどね......
 でも、一番考えてることは、皆が一緒に楽しく仕事できる現場を作りたいことなんだ。
 と、酔いも手伝っていつもより饒舌になった慶太を見ながら、真里菜は、
 慶太君なら出来るよ。
 と、相槌をうっている。

「今日は帰りたくないなあ......」
「え......」

 頬を赤く染た真里菜は、見上げるように慶太を見つめた。
 二人の間に沈黙が流れた。
 それは一秒か二秒という短いものかもしれなかったが、その沈黙が真里菜には長く感じられたようだ。

「で、でも明日仕事だし、帰らなきゃ......」
「ふふふ......」

 しどろもどろに答える慶太を見て、真里菜は吹き出した。

「慶太君、嘘つくとき、口がへの字になるから分かりやすいんだよね」

 真里菜はアハハと笑うと、

「困らせてごめんね。あーあ、明日が本番作業じゃなかったら帰らなくて済むのに」

 真里菜は吹っ切れたように言うと、伸びをして酔いを醒ますような仕草をした。
 一時間ちょっと程飲むと、電車があと十分で来るということで帰ることにした。
 外はまだ雪が降っていた。
 慶太がホームに向かって歩いていると、足取りがおぼつかない真里菜はふらつくようにぶつかり腕を組んできた。
 真っ暗な夜の中に白い雪に反射して、白さを増した真里菜の頬が綺麗に映えていた。
 電車がホームに入り二人は電車に乗った。

「じゃね。今度、カニのお返ししてね」

 真里菜は電車から降りると帰って行った。
 

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 慶太が家に帰りついたのは夜中の一時だった。
 マンション一回の郵便受けに入っているチラシを取り出す。

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 一通り見た慶太は今の自分には関係ないと思い、無意識にそのまま家に持って帰り玄関の靴箱の上に置いた。
 響子と希優羅の二人を起こさないように、リビングにそっと行くと、ソファに響子がスッと影のように座っていた。

「おかえりなさ......」

 振り向いた響子はそう言うと、立ち上がって向かってきた。

 そして、慶太の肩についた髪の毛を手に取り、こう問いかけた。

「何? この長い髪の毛?」


つづく

Comment(2)

コメント

後輩に置いて行かれそう、環境は最悪、不慣れな仕事という、なかなか絶望的な状況で、ただよくあるといえばよくある光景が、読んでいて身につまされる思いです(苦笑
続きを楽しみにしています。

湯二

和さん、読んできいただき、コメントありがとうございます。
あるあるを書いて行ったらこんな話になってしまいました。
ただ、ハッピーエンドにはしたいと思ってます。
お楽しみに!

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