ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

史上最大の作戦 (2) 12月23日

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 ナルキッソスが発表する<ドリーム・オブ・デザート>は、砂漠の惑星を舞台としたオープンワールド系の新作ゲームだ。ゲームは専用のVR ヘッドセットが必要となるが、初回予約ユーザは定価78,900 円のところ、4,990 円で購入できる。ナルキッソスの発表ではゼロワンを予約したユーザの9 割近くが、ヘッドセットとセット購入を選択しているという。
 前日に続いて、一般レベルテスターとしてゲームをプレイしているイノウーは、すっかりDOD の世界に没入していた。プレイヤーは砂漠の惑星レギスⅢに降り立ち、点在する遺跡や、行方不明になった遭難船、奇妙な機械の残骸などを調査することになる。初期パラメータで、探検家、貿易商人、科学者、傭兵など7 種類の職種を選択でき、もちろんプレイヤー同士でパーティを組むこともできる。手首に装着したコントローラーを振ると、視界にコマンドコンソールが出現し、各種操作が行えるようになっている。
 交代に割り当てられているランチ休憩の時間となり、イノウーは渋々ゲームからログアウトした。ノヴァ・エンターテインメントはテスターたちの健康状態に神経質なほど気を遣っていて、2 時間以上は連続でテストができないように設定されているほどだ。
 「ふう」隣でプレイしていたマリが頬を上気させてヘッドセットを外した。「すごいっすね、これ」
 「こりゃデモ画像だけで、予約が殺到するわけだ」
 二人はヘッドセットを返却すると、別フロアのカフェテリアに向かった。このビルに入っているオフィスが共同で使うカフェテリアで、入り口には大きなクリスマスツリーが置かれ、そこかしこに赤と緑の装飾が貼り付けられていた。
 「何にします?」マリが嬉しそうにメニューを眺めた。「ただだと思うとワクテカしてきますねえ」
 イノウーも苦笑して同意した。テスターは無料になっているのだ。クリスマス色が強いメニューが追加されていたので、イノウーはタンドリーチキンのカツカレー、マリはローストチキンのホットサンドイッチとサラダセットを選んだ。
 「ビールとかシャンパンとかあるけど」イノウーはメニューを指した。「午後も仕事だからやめておくか」
 「そうですね」マリはクスクス笑った。「それでなくても、ログインした瞬間、酔いそうになりますもんね」
 空いている席に座ると、イノウーはマリに謝った。
 「ごめんな、クリスマスの予定をいろいろ立ててくれたのに」
 「まあ、仕事じゃしゃあないっすよ」マリは旺盛な食欲を見せてサンドイッチにかぶりついた。「それに一緒にいられれば、場所は問題じゃないんですよ、あたしは」
 マリはマーズ・エージェンシーの前社長牧野に請われて、22 日だけのつもりでベータテスターに参加していた。テスターの数が足りない、というのは事実のようで、ノヴァ・エンターテインメントでは少なからぬ社員が、知人や親戚などに連絡を取りまくっているようだ。
 「イノウーさんにも連絡したけど出なかったって言ってました」
 「もう、こっちの方に来てたからかな」
 「東海林さんの関係でしたっけ」
 「うん。断り切れなくて」
 「会社員ですからね。そういうこともあります」マリは笑いながら言った。「でも来年のクリスマスの前後3 日は絶対に空けといてくださいよ」
 24 日以降もここで仕事になった、と打ち明けると、マリは意外なほどあっさりと「じゃああたしも付き合います」と言って、予定を全部キャンセルしたのだった。
 「誓うよ」イノウーはそう言ってから首を傾げた。「そういえば、去年のクリスマスって何やってたっけ。一緒に過ごしたよな?」
 「えー、忘れたんですか、ひどい」マリは食べるのを止めて眉をしかめた。「って言いたいところなんですけど、実は私もよく思い出せなくて。なんか仕事してたような記憶があるんですけど曖昧で」
 「そうなんだよな。その前の年は、木名瀬さんのマンションでクリスマス会だった。それははっきり憶えてるのになあ」
 「なんかちょっと......」
 マリが言いかけたとき、すぐ近くから声がかかった。
 「あれ、笠掛じゃん」
 顔を上げたイノウーは、トレイを持った古里という男の姿を見出した。マリの大学の先輩で、この会社に勤務している。
 「なになに奇遇じゃんか」古里は断りもなく、マリの隣に座った。「俺に会いに来てくれたのか。連絡してくれれば......」
 「違います」一転して不機嫌な顔になったマリは冷たく答え、椅子を横にずらして距離を取った。「ゲームのベータテスターのヘルプで来てるんです」
 「ああ、DOD か」肩をすくめた古里は、少し真面目な顔になった。「牧野さんが元の会社にも声をかけたって言ってたな、そういえば」
 「社長......じゃない」イノウーは緊迫した空気を和らげようと話しかけた。「牧野さんはお元気ですか」
 古里は、初めて気付いたような顔でイノウーを見たが、さすがに無視することはできなかったようで、小さく頭を下げて「ども」と言った後、答えた。
 「結構、活躍してもらってますよ。あの人が持ち込んだゲーム企画は、もう少し実現まで時間がかかりますけどね」
 「それは何よりです」
 「実は」古里は周囲を見回してから声を潜めた。「これ、言っていいのかな......ま、いいか。DOD の設定あるでしょ、砂漠の惑星ってやつ。あれ、かなり牧野さんの助言というか監修が入ってるんですよ。マップの生成にもかなり手を加えてもらって」
 やっぱりそうだったか。イノウーは嬉しく思った。転職を勧め、牧野も喜んで同意したものの、年齢的な壁が立ちはだかるのではないかと密かな懸念も抱いていたのだ。
 「最初は水の惑星ってコンセプトだったらしいですけど、アバター2 が海が舞台らしいってわかって、急遽、砂漠に変更されたんです。牧野さんがいなかったらどうなってたことか」
 「牧野さんは、今日、出社されてますか?」
 「うーん、基本テレワーク勤務だから、たぶん来てないと思うけどねえ。もし見かけたら二人が来てるって伝えておきますよ。きっと喜ぶと思うんで」
 イノウーが礼を言おうとしたとき、カフェテリアの離れた席で食器とカトラリーが床に落ちる音が響き、三人は揃って同じ方向を見た。カフェテリアが混むランチタイムなので、客同士がぶつかったんだろう、とイノウーは興味を失いかけたが、続いて怒鳴り声が聞こえてきたので何事かと首を伸ばした。スーツ姿の男性が、一人の女性の前に立っている。男性は知らない顔だが、女性はイノウーと一緒に来た星野だった。
 「痛えじゃねえか」男は周囲もはばからず怒鳴っていた。「おい、肩の骨が折れてたらどう責任取ってくれんだ」
 星野が何か答えたが、男とは真逆で冷静だったので、聞き取れなかった。たぶん、落ち着け、とか何とか言ったのだろうが、男は怒鳴るのをやめなかった。
 「なんやわれ、ふざけとんのか」
 近くにいた男性客がなだめるように何か言ったが、男は罵声を浴びせて追い払うと、星野に詰め寄った。
 「おうおうおう、こんおとしまえ、どうつけてくれるつもりや」
 イノウーは立ち上がりかけたが、星野は目ざとくそれを見て、動くな、とでも言うように首を横に振った。それから手にしていたトレイを近くのテーブルの上に丁寧に置くと、どういうわけかジャケットからスマートフォンを取り出した。
 「なんだよ」古里が吐き捨てるように言った。「迷惑なやつらだな」
 「あの人」マリがイノウーを見た。「イノウーさんと一緒に来た人ですよね」
 知り合いだとは思われないように、という星野の指示を思い出したイノウーは急いでかぶりを振った。
 「たまたまエレベーターで一緒になっただけだよ」
 「本当ですかあ」マリは疑わしそうな目を向けた。「イノウーさん、年上とか、すごく下の女性にモテますからねえ」
 「エミリちゃんなら、もうぼくのことなんか忘れてるよ」
 「そうですかね、でも......」
 マリが息を呑んだ。星野はスマートフォンを素早く操作すると、あろうことか大きく開いた男の口に押し込んだのだ。
 次に起こった出来事はさらに目を疑うものだった。激昂するかと思われた男の上半身が、一瞬で無数の塵へと分解されたのだ。男の膝がガクッと折れ、鈍い音とともに床に倒れた。
 近くにいた女性がフルボリュームで悲鳴をあげ始め、それをキッカケとしてカフェテリア内はパニック状態になった。トレイや食器が放り出され、星野と男の残骸から逃げようと走り出す人々で大混乱だ。
 不意にイノウーの耳の中に、星野の落ち着いた声がダイレクトに届いた。
 『ちぇっ、こんなに早く始まるとは思ってなかった。こっちに来て』
 「え?」
 『早く』見ると星野が手招きしていた。『彼女も一緒に』
 イノウーはマリの手からサンドイッチをもぎ取ると、手首を握って星野の方へ急いだ。茫然としているのか、マリは抵抗せずについてきた。
 「なんなんですか、これ」
 イノウーは床に転がっているものを足で指した。上半身が塵になったというのに、一滴の血も流れていない。断面はグレーの粘土状の物質だった。
 「敵ね」星野は別のスマートフォンを操作しながら答えた。「というか、敵の操り人形みたいなもの」
 「敵って何ですか?」
 震える声でマリが訊いたが、星野は無視してスマートフォンを耳に当てた。すぐに舌打ちして離す。
 「応答なしか。まあ予想できたけど」
 「作戦が漏れてたんじゃないんですか」イノウーは訊いた。
 「作戦って何?」
 「それはないと思う」またもやマリを無視して、星野はスマートフォンの操作を続けた。「待ち伏せなら、もっと巧妙にやるはず。私一人になったときとかね。トイレに行かないわけにはいかないんだから。ちぇっ、これもダメか。本部と連絡取れないわね」
 「ねえ!」マリがヒステリックに叫んだ。「本部って何なのよ」
 「井上くん、ちょっとあなたの彼女に黙っててもらってくれないかな。私はちょっと手が......」そう言って顔を上げた星野は、イノウーの背後を訝しげに見た。「あんた誰?」
 イノウーが振り向くと、存在をすっかり忘れていた古里が、きょろきょろと周囲を見回しながら立っていた。
 「古里さんです。マリの先輩でノヴァの社員」
 そう説明すると、古里は「元カレってのも入れてほしいよな」などとブツブツ言ったが、マリに睨まれて口を閉ざした。
 「あ、そう」星野は古里に言った。「ねえ、あんた、DOD には関わってるの?」
 「え、俺?」古里は怯えたように答えた。「いや、違うセクションだから......」
 「なんだ使えないやつね」星野は容赦なく切り捨てた。「じゃあサーバールームとかは入れるの?」
 「それは......無理なんだけど」
 「あそ。よし行くわよ」星野はイノウーとマリに言った。「急いで」
 「どこ行くんですか」
 星野は答えずに、壁際の非常警報機に歩み寄ると、躊躇いもなくカバーを破ってボタンを押した。すぐに耳障りな警報が鳴り響いた。
 「これでDOD の部屋も避難するだろうから、どさくさにまぎれて侵入して、ワームモジュールを挿入する。火災じゃないことはすぐにバレるからスピード勝負よ。行くわよ」
 「待ってくれ」
 古里が呼び止めたので、星野は面倒くさそうに振り向いた。
 「何なの。さっさと避難しなさいよ。火災報知器鳴ってんのよ」
 「俺なら」言いながら古里はID カードを掲げた。「大抵の場所には入れるんだけど」
 星野が興味深そうな目でID カードを見つめたので、古里はあわててストラップごとポケットにしまった。
 「セキュリティレベルの高い部屋は、指紋認証も必要になってる。これだけ持っていってもダメです」
 何秒か躊躇った後、星野は頷いた。
 「わかった。案内して。非常階段は?」
 「こっちです」
 古里を先頭に四人は非常階段を早足で昇った。イノウーは古里に話しかけた。
 「どうして一緒に行きたいんですか?」危険かもしれません、という言葉は呑み込んだ。
 「可愛い後輩を置いて逃げるわけにはいかんでしょう。ああ、いや別に」古里は付け加えた。「ワンチャン期待してるとか、そんなのじゃないですから」
 イノウーはマリを見たが、何もコメントは返ってこなかった。
 途中で上から降りてくる社員と何度かすれ違った。まだ警報音が聞こえている中、上へ昇っていく四人を奇異な目で見る人もいたが、呼び止められるようなこともなかった。
 数分後、四人はノヴァ・エンターテインメントのフロアに戻っていた。
 「DOD の開発ルームは?」星野が訊いた。
 「こっちです」古里は言いながら、星野をちらりと見た。「一応訊きますけど、おたくら産業スパイか何かですか?」
 「そう見えるの?」
 「いや、わかりませんけど。ただ破壊行為とかそういうことには加担できませんって言いたかっただけで」
 「心配しなくても大丈夫ですよ」イノウーは安心させるように言った。「むしろその逆ですから。詳しいことは話せませんが」
 古里がいくつかのドアロックを解除したおかげで、四人はスムーズに開発ルームに入り込んだ。開発要員たちは一時避難したらしく、ほとんどのPC がスクリーンロックもかけないまま放置されている。セキュリティ意識が低いな、とイノウーは場違いな感想を持った。もっとも自分が同じ状況に置かれたら、ctrl + alt + delete を押してから避難するだけの冷静さを持てるのかは疑問だが。
 「DOD はこっちのはずです」古里は奥のドアに向かった。「俺は入ったことないんですけど、ナルキッソスの人がいつも出入りしてるんで......」
 ID をかざす前にドアが音もなく開いたので、四人は急停止した。
 「おやおや」ドアから出てきたスーツ姿の男が、面白そうな声で言った。「誰かな、君たちは。ここは許可がないと入れないはずなんだがね」
 がっしりした体格の男で、頭髪の大部分は白髪だ。
 「ちょっとそこに用があるんです」星野が言った。「あなたこそ誰ですか」
 「先にそっちが名乗るべきだと思うがね。まあいい。私はナルキッソス・モバイルから出向してきている須藤というものだ。ちゃんとID も持ってるよ。見たところ、そっちの社員の人以外は、ゲスト入館パスしか持ってないようだが、どこの人たちなのかな」

(続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係なく、たとえ実在の人物に似ているとしても偶然です。また登場する技術や製品が、現実に存在していないこともありますので、真剣に探したりしないようにしてください。

Comment(6)

コメント

匿名

須藤やキサラギが出てきたからには、そろそろタカミス先生降臨か?

h1r0

マリはすべて覚えているわけではないんだな

何話くらい続くんだろう

イノウーのプロポーズ大作戦になると勝手に期待しているので12/25で4話完結かなあ

サルーン

だいぶ前からWindowsのロックはウインドウ+Lなのでは

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匿名

サルーンさん
ctrl+alt+deleteでもロックに進めることはできますがひと手間必要ですね

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