ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの憂鬱 (33) サンタクロースからの手紙

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 ぼくたちは一斉にドアを見た。例外は眠りこけているエミリちゃんだけだ。誰もが身動きできずにいると、チャイムが続いた。今度は苛立ったように3 連続だ。
 「よし」ぼくは意を決して立ち上がった。「出ないわけにはいかないな。木名瀬さんたちは隠れてください」
 「隠れるといっても」木名瀬さんは室内を見回した。「どこに」
 ぼくのマンションは、玄関と繋がる形でキッチンとユニットバスがある。リビングが続き、その先はベランダだ。ドアを開けるとリビングまで視界が開けている。押し入れは物が詰まっていて人間が入る余地はないし、ユニットバスは玄関の至近距離だ。もしエミリちゃんが目を覚ましたら、気配で気付かれる。
 「そこの仕切りは」マリが囁いた。「動かないんすか?」
 マリが指しているのは、キッチンとリビングを隔てる敷居にはまっているガラス障子だ。一人暮らしだし、開け閉めが面倒なので、入居したときから開けっぱなしだ。ぼくはガラス障子に手をかけ、軽く引いてみた。びくともしない。
 またチャイムが鳴った。続いて、ドアをコンコンとノックする音が聞こえた。マリが立ち上がると、ガラス障子の反対側に手を差し込み、小声で「せーの」と合図して力をこめた。ぼくも合わせて引っ張ると、大きな音とともにガラス障子が動いた。何年も掃除していないので埃まみれだ。だが、とりあえず、玄関からの視界を遮る役には立ちそうだった。
 ドアの外の人間が誰であれ、それまでは部屋の照明を付けたまま出かけているのか、と誤解してくれていた可能性もあったが、今の音で室内に人がいることは明らかになった。果たして今度は強いノックの音が響いてきた。全く場違いだが、カラズラスでガンダルフが嘆いた言葉が不意に頭に浮かんだ。
 ぼくは唇に人差し指を当てて静寂を指示すると、髪の毛をかき回してくしゃくしゃにしてから、「はいはい」と返事をして玄関に向かった。
 「どちら様ですか?」そう言いながら、ぼくは3 人の女性の靴を静かに掴んで、キッチンの奥の方、玄関からは死角の位置に滑らせた。
 「夜分すみません」穏やかな男性の声が答えた。「少し伺いたいことがありまして。ちょっとよろしいでしょうか」
 ドアスコープを覗くと、痩身の中年男性が立っているのが見えた。スーツの上にコートを着ている。だがワイシャツの襟は汚れていたし、マスクの縁から無精髭が覗いている。夜道ですれ違ったら、思わず距離を取ってしまいそうだ。
 「どちら様ですか」
 「近所の者です」ぼくの問いに、男性は少し苛立ちが混ざった声で答えた。「とにかく開けていただけませんか。それとも、もう少し強くドアを叩いた方がよろしいですか」
 どうやら言葉だけで男を追い払うのは難しそうだ。いずれ避けられない対決であれば、早めに対処した方がいいのは、バグ対応でも歓迎されない訪問者でも同じだ。ぼくは後ろを振り向き、玄関からの見通し線に人がいないことを確認してから、ロックを外してドアを開けた。
 「どうも」
 男性はそう言いながら、素早く踏み込んでこようとしたが、予想していたぼくは、その動きを遮って訊いた。
 「あの、どんなご用でしょうか」
 「うちのが来てませんか」男性はぶしつけに訊いた。
 「うちの、とは?」
 「妻と娘です」
 「誰も来てませんよ」ぼくはわざとあくびをしてみせた。「今まで寝てたんです。もういいですか?」
 男性はぼくの肩越しにリビングの方を覗き込もうとした。
 「あっちに誰かいるんじゃないですか? ちょっと確認させてもらってもいいですかね」
 「よくないですね。いきなり訪ねてきて失礼じゃないですか。あなた、誰ですか。お名前は?」
 「部屋の中だけ見せてもらえれば、すぐに失礼しますよ。少しだけ、いいでしょう?」
 言葉遣いは穏やかだが、メガネの奥の両目は血走っていた。
 「困りますね。警察呼びますよ」
 「何か見せられないわけでもあるんですか」男性は執拗に言った。「一瞬でいいんです」
 ぼくは男性と自分の体格を比較し、物理的な力での対決になったら勝ち目があるかどうかを考えてみた。相手はぼくより背が高く筋肉質だ。ぼくの方が若いが、それはほとんど勝てる要素にはならないだろう。何とかドアの外に押し戻して、ロックをかけられれば......
 「ちょっと何よお」
 不意に後ろから聞こえてきた不機嫌そうな声に、ぼくは驚いて振り返った。ガラス障子の陰からマリが出てきたところだった。その格好を見て、ぼくは二度驚いた。マリの両肩は完全に露出していて、胸元に毛布を巻き付けている。床を踏んでいる足は両方とも裸足だ。隙間から覗いている右膝も生足だった。
 「誰よ、あんた」マリは男性を睨み付けた。「いきなり人んち来て、わけわかめなこと言ってさ。脳みそわいてんの?」
 「あ、いや......私は......」
 マリはつかつかと歩み寄ってくると、ぼくの腕を抱きしめた。柔らかい感触と共に、微かな震えが伝わってくる。本人が主張するほど、肉が少ないわけでもないな、と、またしても場違いな思いが頭をかすめた。
 「こっちは取り込み中なの」マリの声は演技ではない怒りに満ちていた。「用が済んだなら、さっさと帰ってくんないかなあ。警察呼ばれたい? 大声出そうか?」
 男性はまだ諦めきれないのか、なおも首を伸ばしてリビングの方を見ていたが、マリが剣呑な視線を突き刺すと、鼻白んだ様子で引き下がった。
 「わかりました。勘違いだったようです。どうも、お騒がせしました」
 「ほんとに人騒がせよ。はい出てって」
 マリの声に押されるように、男性は開いたままのドアから出て行こうとしたが、片足を残して振り返った。まだ、ごねるか、と身構えたが、男性はスーツの内ポケットから何かを出して、ぼくの手に押しつけるように渡した。折りたたまれた紙片だった。
 「何か思い当たることがあったら、連絡ください。お礼はします」
 そう言うと、男性は今度こそ急ぎ足で出て行った。ドアが閉じると、ぼくは急いでロックをかけ、ついでに普段は放置しているチェーンもかけた。
 「もう離していいよ」
 「うまくいきましたね」マリはニヤッと笑い、もう一度ギュッと密着してから身体を離した。「服着て来るんで、呼ぶまでこっちこないでくださいね。それとも、このままの方がいいすか?」
 「ここにいるから着替えてきてください」
 マリが笑いながらリビングに戻っていくと、入れ替わりに木名瀬さんが近付いてきた。
 ぼくは渡された紙片を開いてみた。氏名と携帯電話番号だけが印刷された、個人的な名刺のようだった。氏名は「木名瀬ソウイチ」となっている。
 「やっぱり元ご主人でしたね」
 「ええ」木名瀬さんは頷いた。「声でわかりました。危険な目に遭わせてしまって、本当に申しわけありません」
 「いいんですよ」ぼくはコーヒーを淹れ直そうと、ガスレンジの方に向かった。「それより、どうするんですか、あの人」
 「まだ決めかねているんです」
 「やっぱり警察に任せた方がいいんじゃないですか」
 「あれでも、私の娘の父親なんです」木名瀬さんはため息をついた。
 ぼくたちはリビングに座り、コーヒーをすすりながら、小声で対応策を話し合ったが、これはもう木名瀬さんの決断にかかっている。その木名瀬さんは行動を迷っていた。
 「今日はここに泊まってもらうとして......」
 ぼくが言いかけると、マリが反対の声をあげた。
 「また来るかもしれないですよ。あたしの家の方がよくないですか」
 「いや」ぼくは首を横に振った。「住所録のあいうえお順に回ってるとしたら、そのうちマリちゃんの家にも行くんじゃないかな」
 「そっか......」
 「ビジネスホテルにでも......あ、待てよ。住所録順に回ってて、今、あ行だとしたら、最後まで巡回するのに、かなり時間がかかるってことになる。だとしたら、今のうちに自宅に戻って、着替えとかカード類とかを取ってこられるんじゃないかな」
 「諦めて自宅に戻ってるかもしれないですよ」
 「一緒に行って外で見張ってれば......」
 「さっき訪ねた人が自宅の外にいたら、1+1 で全部つながって、イノウーさんがかくまってたって気付くじゃないすか。しつこくつきまとわれたらどうするんですか」
 「そんなの......」
 木名瀬さんが小さく咳払いした。
 「これ以上、二人にご迷惑をかけるわけにはいきません。タクシー代だけ貸してもらえますか。泊まるところはどこか探して......」
 「待ってください」マリが遮った。「考えてみれば、おかしくないですか。どうして木名瀬さんが逃げ回らなきゃいけないんですか。そんなクリスマスじゃ、エミリちゃんも気の毒じゃないですか」
 ぼくたちはベッドの上で眠りについているエミリちゃんを見た。
 「エミリちゃんは、離婚のことは、どう理解してるんでしょうね」
 「それも近い将来、悩みの種になるだろう重要事項です」沈んだ声だった。「彼は仕事がら出張が多かったので、父親が家にいないことには慣れています。今年はコロナのせいで長く家を空けていたのでなおさらです。今は、その延長だとしか思っていないでしょうね。そのうち世の中の仕組みがわかってきたときに、どう思うか......」
 木名瀬さんの言葉の途中で、エミリちゃんがピクッと身動きしたかと思うと、頭を上げて周囲を見回した。一瞬、戸惑ったようだが、すぐにパッと跳ね起きると、本棚に突進した。一冊の本を掴むと、ベッドに飛び乗り、おぼつかない手つきでページをめくり始めた。
 「トールキンの、ファーザー・クリスマスですか」木名瀬さんが背表紙を見て微笑んだ。「絵本版の方はうちにあります」
 エミリちゃんが選んだのは、トールキンがサンタクロースに扮して子供たちに送った手紙とイラストを収録した本だ。絵本版の方は「サンタクロースからの手紙」という題名だったはずだ。
 「この中で指輪物語オタクじゃないのは、あたしだけかあ」マリが笑った。
 「来週はクリスマスなんですね」木名瀬さんの硬い表情が、少し柔らかくなった。「去年は彼がサンタの仮装をして、ベランダから登場してくれたんです。エミリは目をまん丸にして、口をポカンと開けていました。もらったぬいぐるみと絵本は、しばらくの間、肌身離さず持ち歩いていたものです」
 「あたしは小学2 年生ぐらいまでサンタ信じてましたよ」マリがエミリちゃんを見ながら言った。「3 年生のとき、クラスのバカ男子がネタバレしやがったおかげで、プレゼントは北極からサンタさんがトナカイに乗って配りに来るんじゃなくて、親が買ってきているものだという真実を知りましたけど」
 「エミリは、今年、真実を知ることになるのかもしれませんね」
 ぼくは顔を上げた。
 「それ、やりましょう」
 「え?」
 「サンタです」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 「先日は大変失礼しました」
 木名瀬ソウイチさんは、ぼくとマリに向かって神妙に頭を下げた。スーツとコートは、ぼくの部屋を訪ねてきたときと同じものだが、シャツは新しく、顔もきれいにあたっていた。
 12 月22 日の夜7 時、横浜駅近くのファミレスだった。本来なら賑わっているはずの時間だが、座っている客はまばらで、店内は閑散としていた。
 アクリル板を挟んで向かい合わせに座ったソウイチさんは、コーヒーを注文した後、改めて謝罪しようとしたが、ぼくはそれを止めた。
 「あの、それで」コーヒーを一口飲んだソウイチさんは訊いた。「お話というのは」
 ぼくとマリは事実と虚偽を適度にミックスして話をした。渡された名刺を見て、同僚の木名瀬さんの元ご主人だということがわかった。木名瀬さんに連絡すべきかどうか話し合っていると、電話があったので迎えにいった。木名瀬さんが家を飛び出さなければならない理由は聞いた。同僚として、また社会人として、憤りをおぼえている。木名瀬さんに相談され、代理としてソウイチさんを呼び出した。話を聞き終えたソウイチさんは、おそるおそる訊いた。
 「ケイコは怒ってますか?」
 ケイコ、というのは木名瀬さんの名前だ。
 「控えめに言っても」ぼくは重々しく頷いた。「警察に被害届を出すことを検討しているところです」
 「本当に短慮でした。反省しています。そうお伝え願えますか」
 「ホントですかあ?」マリが誇張した疑いを声に乗せた。「だいたいDV 野郎って、しおらしく反省したふりして、また同じこと繰り返すのよね」
 「よりを戻したい、と言ったそうですが」
 「自分でもどうしたいのか」ソウイチさんは小さく頭を振った。「はっきりしないんです。ですが、ケイコの気持ちを尊重します」
 フン、とマリが鼻を鳴らした。
 「木名瀬さんに、元に戻りたいという気はないと聞いています。ただエミリちゃんのことは心配しています」
 「エミリには申しわけないと思っています。ですが、いつかわかってくれる日が......」
 「来るわけないよ、そんなの」強い口調でマリが遮った。「あんたさあ、お父さんに捨てられた娘の気持ちがわかるっての? 実の父親にだよ。たとえ元に戻ったって、一度、捨てられたって事実は絶対に変えようがないの。大人になったエミリちゃんの喪失感が、あんたなんかにわかってたまるか」
 「それは......」
 「あたしが12 才のとき」マリは声を落として続けた。「両親が離婚したの。父親はあたしを引き取ろうともしなかった。そんときのあたしの気持ち、あんたにわかる? ううん、わかるわけない。軽々しくわかってくれる日が来る、なんて言わないでよ」
 言い終えると、マリは顔を背けて席を立ち、トイレの方に走っていった。ウェイトレスと数少ない客が、こちらに注目しているのが見えた。痴話げんかか何かだと誤解されたのかもしれない。
 「それでですね」ぼくはソウイチさんに向き直った。「エミリちゃんに申しわけないと思っているなら、一つやってほしいことがある、と木名瀬さんは言っています」
 「聞かせてください」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 「メリークリスマス!」陽気な叫び声とともに、赤と白の衣装で身を包んだ太った男性が、ベランダから室内に足を踏み入れた。「ハッピークリスマス、エミリちゃん!」
 柔らかく煮たチキンを頬張っていたエミリちゃんは、驚きのあまり硬直し、ついで輝くような笑顔を見せると、手にしていた料理を放り出してサンタクロースに突進していった。サンタクロースは軽々とエミリちゃんを抱き上げ、真っ白な髭に覆われた顔をくっつけた。
 ぼくたちは木名瀬さんのマンションで行われている、クリスマスイブパーティにお呼ばれしていた。サプライズで――エミリちゃんにとってだが――登場したサンタクロースは、もちろんソウイチさんだ。ドンキホーテで買ってきたサンタの衣装に、たくさんの布を詰め込んで7 割増しの体重に見せかけている。
 「ちゃんた!」エミリちゃんははしゃいで叫んでいた。「ちゃんたさん、きた!」
 「ほらエミリ」木名瀬さんは、笑いながら娘をたしなめた。「座って。サンタさんからプレゼントがあるみたいよ」
 床に下ろしてもらったエミリちゃんは、ちょこんと正座すると、期待をこめた無垢な瞳でサンタクロースを見上げた。サンタクロースは背中にかついでいた白い袋から、綺麗に包装された包みを3 つ取り出した。
 「さ、いい子にしていたエミリにプレゼントだ」
 プレゼントを渡されたエミリちゃんは、3 つももらっていいのか、と問いかけるようにサンタクロースを見上げた。サンタクロースは優しくエミリちゃんの髪を撫でた。
 「さて」サンタクロースはポケットから封筒を取り出した。「サンタの国の王様からお手紙を預かってきたんだ。聞いてくれるかな」
 エミリちゃんは頷いた。サンタクロースは封筒から便せんを出して広げた。
 「エミリちゃんへ」人前で話すことに慣れた力強い声だった。「今、世界はいろいろ大変だ。ちょっと怖い病気がはやっている。世界中でたくさんのお医者さんや看護師さんたちが、一生懸命病気と闘ってくれている。エミリちゃんのような子供たちを守るために頑張ってくれているんだよ。今年はパパがいない日が多かったのも、やっぱり病気のせいなんだ。一日も早く、この病気がなくなるように、世界中の人たちが力を合わせなければならない。もちろん、サンタもね。わかるかな」
 たぶん完全には理解できていないだろうが、エミリちゃんは小さな頭をこくこくと前後させた。
 「だからサンタは、少しの間、そう、ほんの何回か、子供たちではなくて、お医者さんや看護師さんたちにプレゼントを運ぶことにした。サンタ会議でそう決まったんだ。きっと来年はエミリちゃんのところに来られないんじゃないかと思う。今年のプレゼントが3 つあるのは、その埋め合わせってわけなんだ」
 声が少し揺れている。感情が抑えきれないようだ。だが、サンタクロースは言葉を続けた。
 「どうやらこれで、さようならを言わなければならないだろうね。わしはエミリちゃんを忘れやしないよ。わしはいつも古い友だちの名前を忘れないんだ。そして後になって、エミリちゃんが大きくなり、エミリちゃんの家と子供たちを持ったときに、また戻ってきたいと望んでいるんだよ」
 サンタクロースは手紙を丁寧に折りたたむと、封筒にしまった。
 「この手紙はママに預けておくからね」優しい声は、もはやしわがれていなかった。「いつか読んでもらっておくれ。いいね」
 エミリちゃんは立ち上がると、サンタクロースの足にしがみついた。サンタクロースはもう一度エミリちゃんをぎゅっと抱きしめると、そっと母親の手に渡した。エミリちゃんは「ちゃんたさん!」と叫んで手を伸ばしたが、木名瀬さんはさりげなくエミリちゃんの動きを封じていた。
 「それじゃあ、わしはそろそろ失礼するよ」サンタクロースは陽気な声に戻って手を上げた。「今日と明日で、他の大勢の子供たちにプレゼントを配らなければならないからね」
 さすがにベランダから出て行くわけにもいかず、サンタクロースは玄関に向かった。エミリちゃんはそれを疑問に思う様子もなく、「ばいばい」と言いながら手を振っていた。サンタクロースは最後に一度だけ振り向いて手を振ると、ドアを開けて、夜の闇の中に去っていった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 1 時間後、エミリちゃんがはしゃぎ疲れて寝落ちしたところで、パーティはお開きとなった。ぼくとマリは、見送りに来てくれた木名瀬さんと一緒にマンションのエントランスまで降りたとき、サンタの衣装のまま座っているソウイチさんを発見して驚いた。
 「ああ、すまん」涙の跡が残る顔で、ソウイチさんはぼくたちを見た。「ちょっと、ぼーっとしてた。もう行くよ」
 マリが、何か言わなくていいのか、と問いかけるように木名瀬さんを見たが、木名瀬さんは小さく頷いただけだった。
 ソウイチさんは空になった袋と、かぶっていた赤い帽子を持って立ち上がると、ガラス扉に向かったが、振り向いて言った。
 「なあ、最初からこんなじゃなかったよな」悲しそうな声だった。「俺たち、もっと互いに相手のことを思っていたときもあったよな」
 「そうね」木名瀬さんは優しく答えた。「そういうときもあったわ。確かにあった」
 その言葉に満足したのか、ソウイチさんは小さく頭を下げると、ぼくたちの前から去っていった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 「以上でクリスマスパーティ大抽選会は全て終わりとなります!」MC 役の庶務の女性が叫んだ。「当選された方々、おめでとうございます。景品は後日、ご自宅の方へ郵送させていただきます」
 経過を見守っていたぼくは、安堵のため息をついて、モニタの横に置いたビールをぐっと飲み干した。ぶっつけ本番でやり直しが効かないシステムだ。何度もテストを繰り返したとはいえ、やはり最後の当選者が表示されるまでは、気が抜けなかった。
 「ああ、終わったあ」マリがワイングラスを口に運んだ。「結局、何にもなかったっすね」
 何か起こったときにすぐ対処できるように、という総務課からの強い要望で、ぼくとマリは出社していた。それぞれのドリンクは自前だ。総務課からはポテトチップスとさきいかが差し入れられただけだった。
 「いろいろ不満そうな人はいたみたいだけどね」
 「しゃーないっすよ」マリは切り捨てた。
 様々な部門から届いていた要望は、結局、公平を期するために全てを却下せざるを得なかった。それでも、木名瀬さん用の裏ロジックだけは、こっそり組み込もうと考えていたが、本人に察知されて断念した。
 「受けるよりは与える方が幸いである、とイエス様も仰ってますよ」木名瀬さんは、ぼくとマリに言った。「誰かから特別扱いを受けるのは、どうも性に合わないんです。それにお二人からは、もう十分な贈り物をいただきました。ささやかな幸運は別の誰かに受け取ってもらいましょう」
 その言葉に従い、抽選のロジックは、乱数という神に委ねることになった。当選者は各部門におよそ公平に分散されたが、その一人は伊牟田課長だった。しかも3 番目に高価なゲーム機だ。
 「伊牟田課長がシステム開発室の管理者じゃなくてよかったっすね」マリがため息をついた。「それこそ、裏ロジックで当選させた、とか言われかねないとこでしたよ」
 システム開発室のメンバーは、残念ながら夏目課長も含めて誰も当選しなかった。当選していたら、また口さがない誰かが、あらぬウワサを広めたかもしれない。それを考えれば結果的にはよかったと言える。
 「さてっと」マリが空になったワインボトルとグラスを掴んで、持ってきた袋に入れた。「まだ飲み足りませんよね。お腹も空いたし。どっかで何か食べていきましょうよ」
 「時短営業要請出てるからなあ」ぼくも自分のゴミを片付けながら言った。「開いてるとこあるかな」
 「どっか探せばありますよ。なかったらテイクアウトで」
 「どこで食べるんだよ」
 「そりゃ近いのはイノウーさんちでしょう」
 「......ま、とにかく撤退しようか」
 ぼくたちが帰り支度をし終えたとき、ドアが開いて、斉木室長が入ってきた。
 「二人ともおつかれさまだったね」斉木室長も一杯やったらしく、顔が赤くなっている。「もう帰り?」
 「そうです。何か食べて帰ろうかと」
 「そっか。じゃあ私も一緒に行こう。たまにはステーキでもおごるよ。いろいろ無理聞いてもらってるからね」
 マリは「えー」と唸ったが「ステーキかあ」と考え直したように首を傾げ、最後にはぼくを見て諦めたように笑った。
 「じゃ、ゴチになりますか」
 ぼくたちは会社を出て、横浜駅の方に向かった。クリスマスにしては比較的暖かい日だった。薄曇りだが、夜空にはいくつかの星が瞬き、地上には人工的な光が点在している。
 「昨日はみなとみらいオフィスビル一斉点灯だったんだよ」斉木室長が言った。「二人とも見た?」
 「残念ながら」ぼくは答えた。「いろいろ忙しくて」
 マリが陽気に笑った。
 「そ。いろいろでしたね」
 ぼくはここにいない木名瀬さんのことを思い、今頃、エミリちゃんと二人でゆっくり過ごしていることを願った。来年も、いろいろな課題が山積している。きっと会社の内外で、少なくない憂鬱な出来事が起こるだろう。それでも、このメンバーとであれば、何とかこなしていけそうな気がしていた。

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 今年の更新はこれで終わりです。次回は、1月12日の予定です。みなさま、よいお年を。来年もよろしくお願いします。

Comment(11)

コメント

匿名

良いお年を!

匿名

マリちゃん、どさくさに紛れて色仕掛けも不発…

匿名

ド修羅場モードが続くのかとドキドキしてましたが、
短スパン連続掲載のおかげで早期収束して安堵しています。
来年も楽しみにしています!

匿名

それなりに穏便な形に落ち着いて本当によかった

匿名

自分の身勝手でケイコさんを捨てておいて、
「俺たち、もっと互いに相手のことを思っていたときもあったよな」
は、ないと思います…

匿名

わけわかめってあなた・・・

じぇいく

今年もクリスマスプレゼントをありがとうございます。
皆様メリークリスマス!!
良いお年を!!

h1r0

今年もとても面白くて月曜日が待ち遠しかったです!
セクションDやイノウーたち、サードアイの皆さんの環境を想像する一年でした

来年もご活躍期待しております!


イニョウーがもらわないならマリちゃんは私がもらっていきますね

匿名D

イノウー、アレに詰まっているのは肉じゃないぞ。

匿名

貧乳のマリちゃん大逆転勝利か!?

いつも見てます

木名瀬さんは最終話近くで元鞘にもどるとみた。
イノウーはマリちゃんにフロントの特訓を受ける。

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