ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

イノウーの憂鬱 (32) 訪問者

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 「イノウーさん」マリが深刻な表情と声で言い出した。「ちょっとばかり相談があるんすけど」
 「金ならないよ」
 「そんなことじゃないです」
 「紹介できる男もいない」
 「あたしが欲しいのはイノウーさんだけ......いや、そんなことじゃなくて木名瀬さんのことですよ」
 「木名瀬さんがどうかした?」
 そう言いながら、もう「木名瀬」じゃないんだな、とふと思った。戸籍上の名字は旧姓に戻っているはずだ。もっとも今さら、大島さん、と呼ぶのも違和感がある。木名瀬さんは木名瀬さんだ。社内の大多数の意見も同じらしく、木名瀬さんのまま通っている。
 「あたしたち、今、クリスマスパーティの大抽選会を作ってますよね」
 「他にもいろいろ作ってるけど、目下のところ、メイン業務はそれだね」
 「前に言ってたじゃないすか。裏ロジックの話」マリはぼくの顔をじっと注視した。「あれ、木名瀬さんに適用できないですかね」
 そういうことか。ぼくは頷いた。
 「具体的にはどんなのを考えてる?」
 「二番目か三番目ぐらいにいい景品を、木名瀬さんに当選させるのはどうですか」
 「できなくはないけど」ぼくは表示してあった景品リストを見ながら言った。「木名瀬さんは、そういう形の同情は望まないと思うよ」
 「かふくはあざがあるとか何とか言うじゃないですか」
 「禍福はあざなえる縄のごとし、のこと?」
 「それです。木名瀬さんは十分つらい思いをしたはずでしょ。そろそろ、ささやかな幸せが来たっていいじゃないですか。あ、もちろん内緒でですよ」
 ぼくは考えておく、とだけ答えた。約束しなかったのは、すでに同様の依頼が各部署から届いていたからだ。クリスマスパーティまで、あと一週間と迫った今日時点で、10 件以上。これからまだ増えるかもしれない。
 最初は営業部だった。営業三課の大井田課長が、営業成績がトップだった課員に報いたい、と依頼してきた。夏目課長を通してくれるように頼んだが、大井田課長は内密にしたいから、という理由でそれを断った。余裕があれば、と返事を濁したが、翌日、マネジメント一課、ネットワーク業務課、秘書室、と立て続けに同様の依頼が届いた。
 ほとんどが、誰それを当選させてくれ、という依頼だったが、中には、あいつだけは絶対に当選させないでもらえないか、と言ってきた人がいた。よほどの恨みがあるのだろうか。ぼくは当惑しながら、それはできないと断った。対象者が夏目課長だったからだ。
 「オープニング画面の方はどう?」
 ぼくはマリに訊いた。抽選会プログラムを通して、マリの特訓を進めよう、という目論見は、数日前に斉木室長から命じられた新たな指令によって崩れ去っていた。クリスマスパーティ配信の最初に流すためのオープニング画面の作成だった。そういえば、去年のクリスマスパーティでは、数字が10 からカウントダウンした後、「ようこそクリスマスパーティへ!」と、一目でパワーポイントで作ったとわかる画面がプロジェクタに映し出されていた。毎年、茅森課長が作っていたそうだが、今年はシステム開発室にお鉢が回ってきたのだ。
 「1 分ぐらいになりそうですね」マリは肩をすくめた。「例によって、斉木さんチェックが入りまくってますけど」
 途中経過を一度見せてもらったが、なかなかセンスのいい動画ができていた。何かの映画音楽とともに、会社のロゴが暗闇から出現し、社内の各部署の画像がカットバックで流れる。動画編集ソフトを使ったのかと思うほどだが、css とJavaScript、SVG を駆使して制作されている。
 「最後はみなとみらいの夜景をバックに、雪を降らせようかと思ってるんです。まだ、途中ですけど、こんな感じで」
 マリはブラウザの画面を共有した。黒い背景に、大小様々な雪の結晶が静かに落ちてきている。
 「へえ、いいね。これは何で作ってるの?」
 「jQuery のプラグインです。雪の画像は拾ってきたやつで......」
 不意にチャイムが鳴った。マリは言葉を切って、訊ねるようにぼくを見た。
 「誰だろ」ぼくは立ち上がった。「ちょっと待ってて」
 「昔の女とか......」
 マリの言葉に苦笑しながら、ぼくはドアまで歩いてスコープを覗き......息を呑んだ。
 「え?」
 急いでドアを開けると、冷たい風とともに、木名瀬さんとエミリちゃんが駆け込んできた。木名瀬さんは、すぐにドアを閉じて、その場に崩れ落ちた。エミリちゃんはその首にしがみついている。
 「ど、どうしたんですか」
 木名瀬さんはぼくを見上げたが、息を切らしていて返事をするどころではないようだった。緊張した目で閉じたドアを見ていたが、しばらくして呼吸が落ち着いてくると、やっと立ち上がった。
 「急にすみません」木名瀬さんは頭を下げた。「申しわけありませんが、少しだけ居させてもらえませんか」
 「とにかく中へどうぞ」
 ぼくは二人をリビングへ招き入れた。ぼくが戻ってきたのに気付いたマリが「やっぱり女でした?」と笑いながら訊いてきたが、木名瀬さんたちを見ると、笑顔が消失した。
 「え、木名瀬さん?」
 「こんばんは、マリちゃん」木名瀬さんは硬い表情のまま言った。「お仕事中でしたか。ごめんなさい」
 「え、なんで?」
 「少しばかり事情がありまして」木名瀬さんはぼくに顔を向けた。「お手数をかけて申しわけないんですが、エミリに何か温かい飲み物をもらってもいいでしょうか」
 二人の服装はどう見ても外を歩くようなものではなかった。木名瀬さんはスウェットの上下で、エミリちゃんは薄いワンピースにタイツだ。
 「イノウーさん!」マリが怒鳴った。「何、ボーッとしてんすか。早く、暖かい飲み物! あたしもそっち行きます」
 「あ、ああ」
 ぼくは慌ててキッチンに駆け込んだ。
 幸いなことに、昨日、買い物に行ったばかりで、牛乳とココアがあった。ぼくは電子レンジで牛乳を温めると、ココアの粉末を溶かし、2 つしかないカップに注いでリビングに戻った。
 「どうぞ」
 木名瀬さんは礼を言って、表面を吹いて冷ましてから、エミリちゃんに渡した。エミリちゃんは少し味見をした後、ゴクゴクと喉を鳴らしてココアを一気に飲み干した。それを見て、木名瀬さんも少し落ち着いたのか、自分も一口飲んで、ホッと息をついた。
 「何か食べますか?」この分だと、お腹も空いているんじゃないか、と思って訊いてみた。「パンぐらいしかないですけど」
 「すみません。お願いしていいですか」木名瀬さんは壁にもたれた。「少し目を閉じさせてください。昨日から寝てないので」
 よほど疲れていたのか、その言葉と同時にまぶたが落ち、木名瀬さんは静かな寝息を立て始めた。エミリちゃんも母親の膝の上に小さな頭を載せ、うとうとしている。ぼくはキッチンに戻ろうとしたが、そのとき、木名瀬さんが不意に呼びかけた。
 「もし誰か来ても、誰か確認するまで、中に入れないでください」
 ぼくが頷くと、木名瀬さんはまた目を閉じた。ぼくは足を忍ばせてキッチンに行き、不意の来客にささやかな食事をふるまう準備を始めた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 マリは1 時間後に到着した。あらかじめLINE しておいたので、チャイムを鳴らす前に到着を知らせてきた。その頃には目を覚ましていた木名瀬さんは、LINE を見せると頷いたが、不安そうな顔で付け加えた。
 「周辺に誰かいないか、見てもらってください」
 ぼくがその言葉を伝えた数分後、マリは部屋に入り報告していた。
 「特に怪しそうな人はいませんでしたよ。どんな人が怪しいのかわかりませんけど」
 「ありがとう、マリちゃん」
 ぼくが提供したトーストとチーズをお腹に納めた木名瀬さんは、インスタントコーヒーを2 杯飲んでやっと落ち着いた様子だった。エミリちゃんはトースト半分を食べた後、ぼくのベッドの上でネコのように丸くなっている。
 自分とマリの分にコーヒーを追加し、それぞれ腰を下ろすと、やっと話ができる雰囲気になった。
 「それで何があったんですか?」
 木名瀬さんはため息をついた。
 「夫が......つまり元夫が、昨日の夜、急に現れたんです」
 ぼくとマリは顔を見合わせた。
 「確か」マリが訊いた。「別の誰かと暮らしているとか聞きましたけど」
 「そのはずでした」木名瀬さんは頷いた。「離婚したとはいえ、あちらの不幸を願う理由もないので、幸せにやっているものだとばかり思っていたのですが」
 驚いた木名瀬さんに、元ご主人は復縁を迫ったのだという。経緯は定かではないが、離婚に先立って、元ご主人は勤めていた商社を辞め、海外の食品を輸入販売する会社を起業していた。同棲している20 も年下の女性は、その決断に必ずしも賛成したわけではなかったが、とりあえずは元ご主人の言葉を信じて、事務などを手伝っていた。だが新型コロナの影響もあり、その商売は最初からうまくいかなかった。貯金は起業の資金として使い果たしていて、借金もあった。二人の生活は急激に困窮し、苛立ちからきつい言葉を投げかけ合う日々が続き、ある日、元ご主人は手を出した。怒り狂った女性は、元ご主人を追い出した。二人は女性のマンションで暮らしていたからだ。行き場所を失った元ご主人が思い出したのが木名瀬さんだった。
 「復縁を求めてきました」木名瀬さんの言葉は淡々としていた。「私は断りました。私の方には愛情が残っているとは思えなかったし、向こうは単に住む場所が欲しかっただけだとわかっていたからです。一晩だけ泊まっていいが、朝には出て行ってほしい。そう告げると彼は激昂しました」
 気が変わるまで、ここから出さない、と元ご主人は怒鳴り、木名瀬さんとエミリちゃんを部屋に閉じ込め、飲食物を与えようとしなかった。ドア越しに怒声を投げかけ、ときになだめすかし、ときに哀願し続けたため、二人は一睡もできなかった。今日の午後、元ご主人がトイレに立った隙に、二人は着の身着のままで脱出を強行し、何とか成功した。だが、スマートフォンもカード類も持ち出すことはできず、かろうじて掴めたのは玄関脇に置いてあった財布だけだった。最近は電子マネーの依存度が高くなっていたため、財布には少額しか入っておらず、タクシーに乗ることもできなかった。
 「彼はすぐに気付いて追ってきました。私は駅まで急ぎ電車に飛び乗りました。彼は追いかけてきましたが、人目のある場所では手を出してきませんでした。何度か乗り換えて、かろうじて振り切ったとは思いますが確信はありません」
 木名瀬さんは行き場所を思案した。何人かの友人・知人はすぐに選択肢から除外することになった。元ご主人が真っ先にあたるのは、それらだと予想がついたからだ。たまたま乗っていたのが京急線だったこともあり、距離的に一番近いぼくのマンションに向かうことにした。
 「警察に行くべきでしょ、それ」話を聞き終えたマリは、憤慨した顔で言った。「DV じゃないですか」
 「真っ先にそれは考えましたが、一度は生涯を共にすると誓った相手を警察に渡すのは気が進みませんでした。エミリの父親であることには変わりがないんです。それに彼は私たちに手を出したわけではありません。実害がないと、警察はなかなか動いてくれないものです」
 「十分、実害出てますよ」ぼくは言った。「監禁になるんじゃないですか?」
 「元商社マンで、その気になれば十分、魅力的な人物として振る舞うことができる人なんです。単なる意見の相違が大げさに捉えられただけ、と言い抜けてしまうかもしれません」
 フッと木名瀬さんの唇から、悲しそうな吐息が漏れた。
 「私自身、少々、混乱し、どうしたらいいのか決めかねています。とにかく、落ち着いて考える時間が必要です。イノウーくんにご迷惑をかけるつもりはありません。できるだけ早く、出て行きます」
 「ぼくなら構いませんが。元ご主人も、うちにいるなんて、思いもしないんじゃないですか?」
 木名瀬さんは首を横に振った。
 「そうとは限りません。ここにいるという確信はないでしょうが、ここの住所はもう調べているかもしれません」
 「スマホとかですか?」
 「年賀状ソフトです」木名瀬さんは説明した。「スマホも会社のノートPC も、生体認証でロックしてあるので、そこから調べることはできません。ただ、自宅のPC には年賀状ソフトが入っていて、住所データにイノウーくんの住所が入っているんです。去年、年賀状を送りましたから。そっちもログインパスワードはありますが、彼も知っているんです。変えておくべきでしたが、まさか、こんな事態になるとは思っていなかったので、つい後回しにしていました」
 「ということは」
 「今頃、住所データを手にして、巡回しているかもしれません。しかも、イノウーくんは"い"ですから、リストの上の方です」
 その言葉が終わらないうちに、チャイムが鳴り響いた。

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

 ※次回は、12月25日に更新予定です。

Comment(5)

コメント

匿名

クリスマスエピソードらしからぬ急展開

匿名

年賀状リスト、井上の下に伊牟田いない…?

匿名

なにげに覗いたら新しい話が!

匿名

エミリちゃんに穏やかなクリスマスを過ごさせてほしい…

のり&はる

クリスマスは不意打ちを食らうからなぁ…と思って来たらやっぱり不定期更新!\(^o^)/

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